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愚痴ってそんなに悪いこと?

愚痴は良くない。

本当にそうだろうか、とこの頃思う。

私は愚痴を聞くのがそんなに苦ではない。
もちろん毎度延々と聞かされたらさすがに疲れてしまうが、
私に話してくれてありがとう、と思う。

以前私が関わった人々を思い返してみると
「愚痴を吐かない・愚痴を聞かない」タイプの人は
みんな私との距離感が遠かった。

もし愚痴を聞いてくれないのであれば
その人は悟りでもひらいているか、
あなたの人生のゴタゴタに巻き込まれたくない、
距離を保っていたい人なのかもしれない。

もし愚痴を吐かないのであれば
その人はあなたにネガティブな影響を与えたくない優しい人かもしれないし、
あなたとの距離が遠くて心情を吐露するまでの関係性が
確立していないということかもしれない。

もちろん、この限りではないが。

混同してほしくないのが
「愚痴」と「悪口」だ。

愚痴には必ずネガティブな対象の相手が存在する。
その相手との軋轢が愚痴を生む。
「この状況をなんとか良くしたい」という気持ちが愚痴である。

対して、
とにかく相手を攻撃したいという
悪意のかたまりが悪口である。

悪口は良くないけれど愚痴ならいいじゃない、と思う。

悩んで悩んで、一人で抱えきれないことだってある。
誰かに聞いてもらえたら。
そう思って愚痴を言うことすら悩んで、
この人なら、この場所でなら、と話してみる。
私も少なからずそういうことがある。

私は今、観葉植物を育てているが
植木鉢にもいろんな種類がある。
プラスチックでできているものだったり、
テラコッタなどの焼きものだったり。

プラスチックでできているものは丈夫だが水分を蒸散しにくいので
水が多すぎると植物の根っこが腐ってしまう。

テラコッタなどは割れたり欠けたりもするが
水分をうまく蒸散してくれるので水が多くても根っこが腐りにくい。

愚痴もこれと同じだ。
溜めにためて抱え込みすぎると心が腐ってしまう。
適度に吐き出すことも必要なのだ。

愚痴を言うのも割と勇気がいる。
(呼吸するのと同じだけ愚痴を吐く人もいるが、
それは別の問題を孕んでいるのでここでは除外する)

だからこそ、
「愚痴を聞かせてくれてありがとう」
と思う。

大変だったね、辛いよね、と
聞いてあげられる人でありたい。

でも、愚痴を言うだけで終わらせてはいけないとも思う。
傾聴して一緒に悩み、最後はポジティブに変換することは
とても大切にしている。

愚痴を言って、また頑張れる。
それでいいじゃない。





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