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ほろ苦い日々は、誰かと心を分かち合うためにある

※ラ・ラ・ランドのネタバレしかありません。お気をつけください。

今更ながらラ・ラ・ランドを見た。評判のよさは知っていたし、好きになる映画だ、という確信もあった。でもずっと観られなかった。

銀幕の世界を目指す女優と、「本当のジャズ」を楽しめるお店を作りたいピアノ弾きの映画。「選ばれない日々」を過ごしている中、2人は運命的な出会いをする。

今はSNSもあって、少しずつ状況は変わりつつあるだろうけど、どうしたって表現の業界は「選ばれ」なければ前に進めない。
4歳からのんびりとクラシックバレエを習い、大学から現在までジャズダンスをだらだらと続けている、趣味の域を出ない私ですら「選ばれない痛み」と、何度も向き合った。


ハコと演出という制約がある限り、どうしたって、すべての人がセンターで、最前列で踊れるわけじゃない。公演内で私の踊る役に名前はあるだろうか、ソロパートはもらえるだろうか、サビでの自分の立ち位置はどうなるのか、どんなに雰囲気が温かくて楽しい稽古場でも「選ばれたい」という切実な思いは、みしみしと満ちている。


私は、隅っこでも楽しく踊れればそれでいい、と思ってしまう所があるけれど、かといって本当に隅っこを指定された時は、相対的な自分の実力値を突きつけられた気持ちになる。し、逆に最前列で踊る時は、そのズドンとした責任の重みでふらふらしてしまう。

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そんな、私が感じたものよりもずーっと苦しい、内蔵を抉られるような痛みへの覚悟を持ち「自身の表現を生業とする」と決めた人たちの映画。
そんなの絶対に平常心では見られないと思った。まあ、見られなかった。

ミアがオーディションで落ちるとぐずぐずと泣いたし、席の空きばかり目立つ劇場をどうにかして埋めてあげたい!と思ったし、それが正攻法じゃないとわかっていてもコネクションに一縷の望みをかけるルームメイトたちの気持ちもわかる。

でもみんなそんな日々は全て舞台袖に置いて、笑顔でリノに立つんだもん。
泣くしかない。

選ばれなかった痛みの先にあるもの

本作のストーリーはとてもシンプルだ。夢と情熱を共有した2人は、一方通行の標識も無視して恋に走り抜け、お互いの情熱のために声とクラクションを荒げて、お互いの夢のためにサヨナラする。

5年後、ミアもセブも夢を叶えた状態で(本当によかった…)ロサンゼルスで再会する。そして起こりうることのない「2人で夢と情熱を共有した未来」が、彩り豊かでハッピーなミュージカルとして繰り広げられ、映画は閉じられる。あのとき、キースの会話を無視する未来、セブがミアの舞台に間に合う未来、2人でジャズバーに足を運ぶ未来。

試合、受験、恋愛、仕事…力及ばずだった経験は誰しにでもあるし、うまく消化できず何年もの間、悶々と過ごすことだってある。いつでもかっこいい自分でいられたら、世渡りはどんなに楽だろう。

あの時ああすれば、こんな未来もあったのかな。そんな繰り返しの人生。
でも、いつでも上手くいかないからこそ、こんなほろ苦い気持ちを主題にした映画が表現者によって生みだされ、多くの人が同じ感情を分かち合える。
ラ・ラ・ランドが評価される世の中でよかったなあ、と観終わって心から思った。

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その時は絶対にそうは思えないんだけど、舞台袖に置いてきた「選ばれなかった痛み」は、世の中をより豊かで優しい場所にしていくために、欠かせないものなのだと、この映画は教えてくれる。
ラ・ラ・ランド、いいですよね〜!



読んでくださいましてありがとうございます〜