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私というひと〜自分史〜その17

【長文です。長文嫌いな方、興味がない方は読むのをお控えくださいね。】
【自分史なのでもちろん実話です。】

20  これはまさにホームレス

中学1年生の時の夏休みに入る頃、結局山奥に移住するのを決定したのか、家を作る場所に通いました。

最初は通っていたんです。

でも通う車のガソリン代も無くて、そのうちに親にある事を聞かれます。
「あんた、そっち(家を作っている場所)にかーさん達(ずっと)いるけど、こっち(今住んでる家)にいる?」と。

は?ずっと?

「いや、ついてく。」
ついていくしかありませんでした。
ついていきたくはありませんが、私一人でいつ帰ってくるかわからないのなら、死んでしまいます。

ついていきましたが、ついていっても地獄でした。

お風呂もない(今の家もありませんが)、トイレもない。もちろん、住む家もない。

でも、帰れない。

家族でホームレス状態になったんです。

寝る場所はテント。
テントを張った場所は、かろうじて屋根のついた大きい建物?
もちろん外とは筒抜け。
ただ屋根のついた、玄関もない、壁も一部しかない建物。

その向かいにこれから家になる動物小屋。

食べ物は木を燃やしてガス代わり。
それに釣ってきた魚やそこら辺に生えている山菜。
その場所のご近所さんから頂いた野菜。
ちょっとした長期保存の効く缶詰などの食べ物。

寝るのはもちろんテントで。布団をひいて。

お風呂はもちろんないので、タオルで体をふく。
水は動物小屋にひかれていたので、親戚の人の敷地なのでちゃんと了承を得て使っていました。

電気はありません。夜は懐中電灯です。

1番困ったのはトイレ。
汚い話ですが。
排水口というか、溝。
そこに排泄。
外です。

もう人間が生活している状態ではありません。

正直、街のホームレスの人達の方がいい生活してるのでは?という状態。

それを2,3ヶ月ほど生活を続けたのです。

もちろん、中学校は夏休みを終えて、登校が始まります。

スマホも携帯電話などという物もありません。

親は子供を育てる義務もありますが、学校に行かせるという義務もあります。

本人が行きたくないなら学校に行かないのも選択肢です。

でも、どう考えても親の都合。最低限、事情を先生に伝えるのが筋。

でもKはそれすらしませんでした。

後程友達から聞いたのですが、
中学校はプチパニックになっていたそうで。
担任の先生が家に電話しても出ない。
家に行ってもいない。車もない。
生活している跡がない。

友達に聞きまわっていたそうです。
夜逃げしたのではないかと焦っていたそうです。

たまたま、行く前に友達のひとりに私が夏休み中にここに行くと言っていて、場所も教えていたんです。

1度だけ友達が友達の親の車でその場所に遊びに来ていたのです。

それを聞きつけて、場所を突き詰めて、担任の先生が血相をかえてやってきました。

私は親がちゃんと中学校に伝えて、この場所に来ていると思っていたので、びっくりしました。

しれっと、Kが先生にここに引っ越してきますのでしばらく休ませますと言った記憶があります。

は?何ここに来てるんだよ?と言うのではないかというほど、逆ギレしてるかのような態度でした。

その間に家の家賃などももちろん払わず。公共料金も支払わず。
先生にもその態度。

でも、それでも、私は親に従う事しかできませんでした。

流石にその間はTからの性的虐待もほぼ無く。そこだけが救いでした。

家がやっと形になったのは秋でした。
もちろん私も労働しました。
労働そのものでした。

そこでやっと今まで住んでいた家に帰り、引っ越しをすることになりました。
多分借金は踏み倒し、物も全部片付けず、最低限の物だけを持って行ったと思います。

数人の友達ともしばらく会えず、会えたと思ったら引っ越すという辛い別れになりました。それでも、引越し先は隣町。会えないことはないと思っていました。

そして。山奥で暮らすことになるのです。

今日の話はここまでにします。
長文読んで頂きありがとうございました。