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嫌なことから逃げないのがえらいのか

 特に中学校や高校の部活で言われることであるが、「辛くても辞めるな。」とか「辞めるのは逃げだ。弱い者のやることだ。」とかいう根拠の無い言葉がこの世に溢れている。そのほとんど、いや99パーセントが実体験に基づく過剰一般化の結果であるのにもかかわらず、それによって振り回される人が絶えないのは問題ではないだろうか。

 この考え方が、私が個人的になんとなく感じているものではなく世論となっている証拠のひとつに不登校問題があるだろう。不登校の子どもたちには長らく、”学校という場所から逃げること”、”人間関係から逃げること”を選択したというレッテルが張られてきたように思う。最近は、フリースクールやオンライン授業など、学びの多様化によりそのような風当たりは弱まってきているだろう。とは言え、依然として「嫌なことがあっても我慢することが一種の正義」として捉えられていることは否めない。

 もちろん、生きていれば良いことばかりじゃない。昨日話をしたおじさんも、「かなり年をとっているものの、働き手不足のため(労働者として)こき使われている。」と嘆いていた。だからといって、その仕事を辞めるわけでは無いだろうし、生きるのが辛いようにも見えない。まさに嫌なことと上手に付き合っている姿であった。

 正直、嫌なことが全く無い世界なんて現実世界じゃない。人間である限り、嫌だという感情が湧き上がってくることそのものを否定することは残念ながらできない。だから、多少の嫌なことは我慢しなければならないのだとつくづく思う。なぜって?ひとりでは生きていけないから。

  

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