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【ドラマ】舟を編む第二話(2)

もう一度第二話を見てから続きを書こうと思ったけれど、うちの録画機器が壊れてしまいそれが叶わなくなった。正確には音声を出すソフトウェアの不具合なので、うちのシステム管理者が現在奮闘中で、いずれは直ると期待している。何卒よろしくお願いいたします。

さて、ドラマの振り返りを書きたい。今回は一話目から燻っていたみどりの恋愛関係の終結に至るお話だった。傷心のみどりが馬締に聞かれて失恋したことを告白。馬締に

岸辺さんにはあきらめて、あきらめて。。。あきらめて欲しいです。

と言われ、「ん?どういうことだ?」と疑問に思いながらも忙しさに追われてその場ではそのまま心の中に保留される。みどりは辞書編纂部での初めての仕事、他社の新刊辞書の精査作業を進めていた。失恋したばかりの身なので何気に「恋愛」という言葉に意識がいき、語釈を読んでみる。そこには「異性同士が」と書いてあって、みどりの心の中の何かを強烈に引き付けた。みどりは馬締が渡してくれたたくさんの他の辞書を繰って「恋愛」の語釈を見る。どの辞書にも「異性」や「男女」の関係と書いてあって、みどりの中に猛烈な勢いで疑問が湧き上がる。「なぜ?恋愛は男女に限ったことではないはずなのに、なぜただ一つの辞書にもそのことが書かれてないのだろう。なぜ男女に限定されているんだろう?」みどりはその疑問を馬締にぶつける。馬締は冷静にみどりの疑問を受け取り、答える。

そのことは編纂会議のたびに議題に上がっていました。辞書には典型例というものがあります。みなさん、「うさぎ」を絵に描いてみてください。はい。みなさんのうさぎはどれも耳が長いです。でも耳が短いうさぎもいますよね。人が辞書を引いた時、その語釈を読んで誰もがイメージできること、それが典型例です。辞書はそれを使います。

馬締のセリフ。ドラマを一度見ただけなので細かい部分は違っていると思います。

みどりはその理路整然とした説明を聞いて、感情を昂らせて言う。

でも!うさぎは辞書を引きません。耳の短いうさぎは辞書を引いて自分のことを言われていないと傷つくことはありません。でも、人は違います。上手く言えないですけど。

みどりのセリフ

自分の感じたこと、思っていることを上手く言葉にできずもどかしく感じながら「上手く言えないですけど」で言葉を発することを終えようとするみどりに馬締が言う。

岸辺さん。あなたの思いを言葉にしてください。今、あなたの思いを言葉にして伝えられるのはあなただけです。あなたの中にある光を消さないで、俺に伝えてください。

馬締のセリフ。このセリフはかなり違っていると思います。うろ覚えです。ただ、こういうニュアンスでした。

馬締がみどりの「思いを言葉にする行為」から逃げるのをがっちりと阻止している、かなりはっきりとした、ある意味厳しい言葉だと感じた。あなたの思いをちゃんと伝えてください、受け入れます、待ちますという大きな心ではもちろんあるけれど、それより何より、言葉を扱うその場所で、言葉にすることから逃げてはいけないという確固たる姿勢を示されたように感じた。このお話の中でたびたび出会う、馬締の特異な人間性ゆえに出る、素敵なセリフだった。そしてみどりは覚悟を決めて一生懸命自分の思いを言葉にする。「恋愛」の語釈への疑問と自分がその疑問を持つ気持ちなど、まだまだ論理的とは言い難いものの、言葉や辞書の後ろにあるべき人間性にチャレンジする疑問で、馬締はその意見に検討する必要性を感じ、上の先生方との会議を決める。みどりのセリフで良かったのは、第一話でみどりが松本先生に言われた言葉をきちんと受け取っていたことがわかったこと。

松本先生がおっしゃいました。「辞書はあなたを責めもしなければ褒めもしません。安心して辞書を引いてみてください」と。私は辞書を引いてみました。確かに辞書は私を責めないし褒めなかった。ただそれを教えてくれました。もし、同性愛の人が辞書を引いて、そこに自分が含まれていないことを見たら、その人は傷つくと思います。辞書は誰かを悲しい思いにするものになってはいけないと思います。

みどりのセリフ。うろ覚えです。

会議では、みどりの感情論がすんなり受け入れられるということはなく、先輩編集者たちや松本先生のプロとしてのきっぱりとした「辞書編纂のルール」と「辞書の位置付け」が説かれる。みどりはそれらを聞き、学びつつ、でも物怖じせず自分の気持ちをぶつけていく。会議の中で印象に残ったのは、馬締が

恋愛の項目に同性愛を加えた方がいいでしょうか。

馬締のセリフ

と言った時、荒木が

いや、そういうことじゃないだろう。
ね?岸辺さん?

荒木のセリフ

と言ったやりとり。これは聞いた途端には理解できずに目ではドラマを見ながら頭で考えていた。どうして恋愛の項目に同性愛を加えることは違うんだろうか?その前のやりとりで、同性愛という項目を足す案が出て、それも違うということになった。今の私で分かり得る範囲では、おそらく、同性愛という言葉が別に存在すること自体が、みどりが感じている違和感だということだろうか。「恋愛」という言葉が、それ自体で男女以外の組み合わせも包括するものとして存在するべきだということだろうか。誰かが「恋愛」という言葉を引いた時、誰もが線引きなくそこに含まれていると自然に感じるような語釈、ということだろうか。そういうことでしょうか、岸辺さん?

その会議では結論は出ず、松本先生はみどりに「恋愛」の語釈を考えるように促した。ドラマの舞台は2017年。松本先生はみどりに、

刻一刻と変わっていくだろう言葉の意味や価値観、人の心情、世の中の流れを汲み取って、その言葉の灯台守になってください

松本先生のセリフ。ニュアンス。

と言う。この灯台守は、前の会議前に馬締がみどりに言った「あなたの中の光を消さないで」と言うセリフと繋がっていると思う。お話が進む中で、一筋、言葉を光と称する流れがあって、頭の中にキラキラと輝く言葉たちの小川のような絵が浮かんできた。

第二話を見返すことができなくて一度見ただけなので素敵だと思ったセリフがきちんと浮かんでこなくてもどかしいが、辞書編纂部の会議までのところはこんな感じだったと思う。これからの部分も色々と思うところがあったので(3)を書きたいと思う。願わくは録画機器が直ってせめてもう一回見て書きたいが、1度見ただけのフレッシュな感じ方を記しておくのもいいかな。
ここまでの時点でも、やはりこのキャスティングが大好きだ。柴田松本先生の穏やかで余裕のある佇まいはイメージ通り。『空飛ぶ広報室』の時の室長の時のように、穏やかな喋りに説得力があってずっと聞いていたくなる。会議の場面での、登場人物たちの議題への理解度にも胸がすく思いがした。日々SNS で「なんでこんな間違った理解で無責任なリプライをしているんだろう?」と憤ったり虚しく感じている中で、あの会議では全員がみどりの意図していることを完全に理解して、その問題点を善処するために建設的な意見が積み重ねられていく。賢い人たちの、余裕のあるやりとりを見ているのがとても気持ちがよかった。ああ、私も賢くなりたいなと羨ましく思った。

またここまで1時間ちょっと書いてしまった。さすがに時間切れです。また脳が熱い。寝れるかな?

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