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「メモの魔力」の魔力

今日はラム肉の日だ。

噂の人気店でお食事会。
待ち合わせまで少し時間がある。

高田馬場を訪れるのは3回目。
週末、夜、繁華街。
賑やかな声と往来。
カフェをのぞいてみたが満席だった。
土地勘はなく、おまけに方向音痴である。

こんなときは書店にかぎる。

「本」の看板に吸い込まれて雑居ビルの3階にたどり着いた。
本の山から「メモの魔力」を手に取った。


私のメモ

どちらかといえばメモを取る方だと思う。
お気に入りのシャープペンシル、4色のフリクションペン、使い慣れたノートを持ち歩いて、公私問わず毎日メモしている。
でも、書くだけで活用できていない気がしていた。
だから「メモの魔力」を手に取った。

「メモの魔力」には、習慣的に行なっていることがいくつか書かれていた。
ペンの色分けは、他者と自分、事実と思考の分類。学生のころから続いている。
外部記憶は、頭の中身を軽くしておきたいから。覚えていられないから外に保存しておきたい。
手書きのメモはあえて選んでいる。


手書きのメモには理由がある

ゼミやセミナーで、膝の上に置いたノートPCへの入力に疲れを感じていたある日、ふと顔を上げた。
みんな下を見ている。
講師や登壇者は私たちに向かって話をしているのに、私は画面ばかり見ていたことに気づいた。

ノートPCを閉じて、手書きのメモにすると表情が見えた。
頷くと目が合った。
語られていることからより想いが伝わってきた気がした。
首と手の痛みが軽くなった。


気づきから少し後の3月、日経新聞で奥平和行編集委員のお話を聞く機会に恵まれた。
一対一の取材のときはPCを使わず手書きでメモをとる。
相手に聞いている姿勢が伝わり、対話の深度が増す。
表情や間から、話している人の音声以外の情報を得る。
相手のいるメモは、自己完結ではなくコミュニケーションだと思った。

それから手書きを中心にメモを取るようになった。
伝えてくれる人たちの想いを少しでも受け取りたい。
もっと知りたいから、聞いていますよと伝えたい。

「メモの魔力」にも奥平さんのお話と共通することが書かれているように思った。

個人的に、手で書くことで線の強弱や絵など自分の思考や感情が残るとも感じている。


私に足りないもの

読み進めるうちに気づいたのは着地。
着地ができていないから完結できないのかもしれない。

文章を書いていてどうしても完結できないときがある。
特にイベントのレポート。
詳しくない分野は間違ったことを書いてしまうのが怖い。
流れを書くだけなら、私が書く意味はあるのだろうか?
何を書けばいいんだろう?
私が感じたことを他の人が読んで面白いのだろうか?
書きながら沼にはまり、noteには下書きの山が日々成長している。

「何が言いたいのかわからない」文章にならないよう着地点を明確に。
「なぜそう思うのか」突き詰めて考えること。
文章はジブンゴト化のアウトプットなのかもしれない。

「メモの魔力」の魔力

あっという間に20分が経過していた。
本は残り1/5ほど。
なぜか思考が広がっていく。
この本は、メモだけの本じゃなかった。

「メモの魔力」の魔力にとりつかれた。

美味しい羊を堪能したら、帰ってじっくり向き合おう。


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