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人は時に"待つ"という状況に置かれる

色々なことを「待つ」という状況は
生きてる間にどれだけあるのか
生きてる間の半分は「待つ」に費やしてるんじゃないかと
今日1日だけでも既に半日は待つという行動で
時間を費やした気がしたんだが

今は
"折り返しの電話が来るのを待っている"という状況

そりゃ待つ間何もしないわけではないが
しかし
それにしたって"待つ"という状況は常に起こっているのだと思い知る
家事をするにも
ご飯が炊けるや洗濯機が止まる
煮炊きして仕上がるまでの時間も"待つ"だし
人に食事を提供して食べ終えるのも"待つ"だ
洗濯機も干して乾くまで"待つ"だし
試験や抽選の結果も"待つ"だよなぁ…
働いて得るお給料も振り込まれるのを"待つ"だろうし、宝くじの結果も"待つ"だ。

次の誕生日も、なんならトイレに入るのも前に人が使っていれば"待つ"をしないと使えない…


だけど、流れる時間は変わらない
流れ続ける泊まることは無い
進むから過ぎてゆくから
時が流れる進み過ぎてゆく先にあるなにかを
常に"待つ"という状況に置かれているんだと
なんとなく
それが生きるひとつなのだと…



なんか書いてますが
行動あるのみ!
という体力もなくて待つが多くなった気もします

今は仕事へ行っている子供たちの帰りを待つ
ですかね…

色んな待つを重ねて行く人生です
ごきげんよう( *・ω・)ノ


月の下を通る多分宇宙ステーションと思われる光


月と飛行機


いつだって空を見上げて生きてます

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