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一人は弱い

圃場(ほじょう)で育てられる稲のように、みなと一緒に生きてゆくのが人間です。

稲が空き地に一本で生き生きしているのを見たことがないのは、枯れるからだろう。

人間はわがままで、一人になりたがる人もいる。

人間関係に疲れたからと。
恋愛なんてこりごりだからと。
自分時間を邪魔されたくないからと。

友達に囲まれて過ごした少年時代
これはまるで圃場だった。

会社や家庭では仕事人間と呼ばれた
これはまるで生育中の稲のように。

年老いて誰とも関わらなくなった
溢れたダメ稲のように。

そりゃいつもいつも、誰かと過ごしていたわけではない。

一人、更ける夜もあった。
一人、悩んだ日々もあった。
一人、みんなを考える事もあった。

だけどね、一人で悩みが解決したことなんてなかった。

子どもの頃は、親に相談した。
親元を離れたら、友人に相談した。
家庭を持てば、家族に相談した。
それでダメなら、本に向かった。

いつも助けてくれる。
誰かが。何かの形で。

こう思うようになったのは、昔の稲刈り体験。

稲は集まっている。私たち人間も集まっている。それが、稲のようにくっついていないだけで。

人は助け合いとよく言ったものだが、全くその通りだった。

一人で悩むことなんてない。

私は助けられてここまで来たのだ。
そしてきっと私も意図しないもので誰かを助けたかもしれない。

人はみんな何かで悩んでいる。

ふらっと外に出て人間観察をしてみる。
「自分の方がまともだな」
そう思うことがある。

自分が上じゃないけど悩みレベルが
「そこまでではなさそうだ」
という感想を抱く。

悩みは自分一人で解決しないといけないものではないのが、ようやっとわかった。

大事なのは、悩みを一緒に背負って歩いてくれる、誰かがいてくれるのかだ。

米作りも一人では、なかなか終えられない。助けてくれる人を求める。これが助け合いと言うのだろう。

どうしてか
いつからか
子ども時代には言えていたのに。

「手伝って」

(恥ずかしい)(みっともない)
と空耳がするようになった。

それは何処からだろう。
頑張っている人に水を刺す人がいる。

「傷の舐め合い」「弱者の遠吠え」
言う人は、言われたくない言葉を使うそうだ。

言われて落ち込んでいるところに
「気にするな」
と言ってくれる仲間。

他人の言葉が効果的なのは、目の前の事に集中できるようになるから。一緒懸命に話を聞く。

あなたは優しいから。ちゃんと返事を持っている。

みんなのおかけで、内にこもってしまわないようになれていく。

そうしてその内、気にならなくなってくる。

イヤな火は収まるだろう。
記憶からもなくなるだろう。

そこからがチャンス。
踏ん張り時。

一人ではなくみんなで。

ここまでやって来た仲間たちと伴に行動する。
例え、近くにいなくても。
例え、一人ぼっちと感じていても。

あなたのこれまでに、みんながいてくれる。

いつの間にか、助かっている。
そして、いつの間にか助けている。

それが人の生き方と思う。


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