心の潔癖と向き合う②
上記の記事の続きです。
人としての土台づくり
内向的で繊細な人の本心は「小さな幸せを大切にし、静かに暮らしたい。」そんな些細な願いなのではないでしょうか。
この大雑把で雑音だらけの世界の中で、静かに暮らすことは、とっても贅沢な願いなのかもしれません。しかし、1ミリでも近づける努力があるのなら、それは私にとって、新しい明日をつくる力になり、報われる努力となります。
幼少期より《どこか変わってる人》な私。
何が変なのか?どう変なのか?今でも分からないまま生きていますが、加藤諦三先生のご著書と出会い、報われない日が格段に減少しています。
努力はしているのに、何故か報われない。
他人を優先しているのに、自己中だと言われる。
周りの人に理解されない。
上記のようなことが多ければ多いほど、報われない努力に時間を割き、疲労感を募らせている可能性が高いです。心の潔癖症が深刻化していった過去の自分自身のパターンを振り返り、報われない努力を辞めるに至った今、私自身に必要だったことをご紹介したいと思います。
《人の自然な欲求を知る》
私達は人間です。人の性や習性・反応やシステムから逃れられません。
人として誰もが持っている共通部分と
個体差&個性が生じる個別部分が必ず自分の中にあります。
人間としての自分
個としての自分
自分と認識している人間の中には大きく2つの側面があり、自己理解を進める中でこの部分を再認識することは、一歩前に前進したい時にとても役に立ちます。それは自己理解にとどまらず、他人への理解・他人からの理解にも影響を及ぼすからです。
介護の勉強をしていた時に習った【マズローの欲求5段階説】を改めて思い出し、自分の状況と照らし合わせてみると、土台となる4や5の欲求は、根本的な人として機能や特徴になっていました。
自己実現の欲求
↑承認欲求
↑社会的欲求
↑安心・安全の欲求
↑生理的欲求
✳︎下から順に5→4→3→2→1と人の欲求は満たされていくという考え方です。✳︎
それぞれの段階についての詳細は調べて頂くとして、人の欲求は図のように、下の段階を満たしながら、上へ向かい、自己実現していくことが自然な流れです。
各段階の内容には個性や環境が関わってきますが、今回理解して頂きたいのは、人としての自分という土台の上に、個性が現れるということです。このような事を知り、日常生活を眺めてみると、内向性や感情・感覚に圧倒され生じる混乱はかなり激減します。
少なくとも「なぜ?こんな感情をいだくのか?」という問いには「人間だから」という答えをもってして、納得できるのです。
私自身、こんな当たり前のことを自覚ぜずに生活をしていた訳ですから、手当たり次第に自分が良いと思うことをやり続けていく上で、生きづらくて当然だったなと思いますし、人間関係も上手くいかなかったことについても、納得しています。ずっと自分は、変な人だと悩み、変な人=特別な人だと勘違いしてきました。勘違いをしてきたからこそ、今でも傲慢さや上から目線の言葉を使っていることもありますし、決して人当たりの良い人間ではありません。しかし、今後はこの内向性を活かし<自分なりの在り方>をこれからは探索研究していきたいと思います。
最後に
自分を知ることは
他人を知ることです。
内向的な人は、自分を知ることで、他人を知っていくルートが自然なのだと実感しています。心の潔癖症と向き合うことで私自身はとても生きやすくなりました。世の中に出回っている方法は基本的に結果論です。
一人一人に合った方法を見つける視点を持って下さい。傲慢になるのではなく、謙虚にできることがあるはずです。誰もが唯一の存在ですが、誰もが特別でもなんでもありません。特別に見えることはあるかも知れませんが、それは自分と向き合った人が輝いて見えているだけです。良い意味で自分特別扱いしなくなった時、自分の活かし方や目的地が見えてくるのだと私は思います。自分を救える救世主は自分だけです。
2023.8.18 記録
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