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【短め短編小説】『A Brush(ア・ブラッシュ)一触れ☆Episode 2 泉先生の場合』《A bit Painful but Heart-warmingなお話》(2418字)

蓮の不思議な体質 (前のエピソード「私の場合」をお読みくださった方は「泉先生の場合」へどうぞ。

 前回、私こと藤澤ふじさわ蘭子らんこは、竜崎りゅうざきれんと自分の一風いっぷう変わった友達関係について話しました。そして蓮の不思議な体質のことも……。
 蓮は他人に触れた途端、その一触ひとふれでその人の苦しみを一瞬にして体に取り込み理解します。そして、その苦しみの度合いに合わせてその人に寄り添い、癒やすという運命を背負っています。やがて取り込まれた苦しみで蓮の心は耐えられないほどの痛みにさらされます。その痛みから開放されるには、苦しみの原因を作った人に謝罪させる必要があるのです。悲しいことに、癒やしのプロセスが終わると、蓮はまるで飽きられた子供の玩具おもちゃのように忘れられてしまうのです。
 今日は、そんな蓮と泉先生のお話をしたいと思います。

泉先生の場合

 蓮が歩けるようになると、蓮の両親は蓮が他の子供たちとは明らかに違うことに気づいた。蓮は体を触られるのを極端に嫌がり、手を繋ごうとする親の手を振り払うようになった。お風呂は必ず一人で入りたがり、身支度も早々に一人で整えることを覚えた。
 蓮には友達が一人もいなかった。幼稚園でも近所でも、蓮は他のどの子供とも遊びたがらなかった。幼稚園に行っても、他の子供たちから離れて独りでひっそりと遊んでいた。
 それでも蓮は決して不幸そうではなかった。いつも静かににこにこと笑みをたたえる可愛らしい子供だった。それがある日、幼稚園で貴一きいち君というクラスメートが蓮に無理やり触ろうとした。蓮が嫌がるのを面白がり、体の大きな貴一君は背後から蓮を羽交はがめにした。蓮は意識を失った。
 心配した蓮の母の美智子は、蓮を精神科医に診てもらうことにした。それが子供の自閉症やアスペルガー症候群の専門家である柳楽なぎら大学病院の川口泉先生だった。
 美智子と一緒に泉先生の診察室に入ると、蓮は言われるままに泉先生の前の椅子に座った。
「こんにちは。川口泉です。竜崎蓮君だね。どう? 元気かな? どこか痛いとか苦しいとかない?」
 泉先生はそう言って手を伸ばし、蓮の手を取ろうとした。
 すると、蓮は怯えたように椅子から飛び降りた。
「蓮君、大丈夫だよ。何も痛いことしないよ。握手しようと思っただけ。ごめんね、驚いたね」
 蓮は何も言わずに泉先生を見つめた。
「すいません、先生。蓮は人から触られることが嫌いなんです」
 美智子が申し訳なさそうに言った。
「いいんですよ、お母さん。いろいろなお子さんがいらっしゃいます。平均というものはありますが、正解はないんです。体の大きさも性格も振る舞い方も口の利き方も、大きくなったら学校の成績も、平均の範囲だと親御さんはみなさん安心されますが……。あ、成績だけは違いますね。いずれにしても、お母さん、心配しすぎず、まずは蓮君がどんなことを経験し、どう感じているかを理解しましょう」
 蓮はじっと泉先生の話を聞いていた。4歳の蓮は、泉先生が言ったことはよく分からなかった。でも本能的に、泉先生は信頼に値する人間だと感じた。
「じゃあ、蓮君、まずは握手してみよか。それから蓮君の心臓のご機嫌をこれで聞いてもいい?」
 そう言って泉先生は、首に掛かっていた聴診器を手にとって蓮に見せた。
 蓮は黙ったまま頷いた。
 泉先生は微笑みながら、両手でそっと蓮の右手を包んだ。
 泉先生の手が蓮の手に触れるやいなや、蓮は手からびりびりとした衝撃が体中を駆け巡るのを感じた。蓮はまた意識を失った。
 蓮は緊急入院し、昏々こんこんと眠り続けた。蓮が眠っている間に、血液検査からfMRI(磁気共鳴機能画像法)まで、様々な検査が行われた。眠っている蓮は、誰かが体に触れても気づかずすやすやと眠り続けた。
 検査の結果、何も異常は見つからなかった。1つのことを除いては。
 その1つとは、蓮の脳の下前頭回かぜんとうかいのミラーニューロン、扁桃体へんとうたいを含む情動関連領域、内側ないそく前頭前野ぜんとうぜんやのMRI値が非常に高かったことだ。脳のこれらの領域は、他の人間がどう物事を認識しているかを認識するメンタライジングと言われる認知プロセスに関係する。
 蓮は眠っている状態だったにもかかわらず、まるで覚醒状態にある人が大災害で大勢の人が被災する様子を目の当たりにするように活性化していたのだ。
 つまり、起きている状態で人が戦慄を感じ、場合によってはPTSD(心的外傷後ストレス障害)を患ってしまうほどの神経細胞の興奮があったのだ。
 泉先生は、蓮がずば抜けて高い共感能力を持っており、共感の結果として、共感相手の情動が極端に強い場合、意識を失うなどの強い反応を示すことがあると結論づけた。また、睡眠がそうした共感反応から蓮をある程度守ってくれる可能性があるとも考えた。
 入院して3日目の夜、蓮は目を覚ました。目を覚ますと、心配そうな泉先生が蓮の顔を覗き込んでいた。
「蓮君、起きた? 大丈夫? どこか痛い? 苦しい?」
 蓮は黙ったまま首を振った。
 泉先生は悲しげな優しい眼差しで蓮を見て言った。
「蓮君、蓮君には先生の気持ち、分かったんだね」
 そこまで言うと、泉先生の目が涙で潤んだ。
「うん、そうなの、蓮君、先生にもね、蓮君と同じぐらいの女の子がいたの。さくらっていう名前だった。でもね、治らない病気になっちゃってね。先月、お星さまになっちゃった」
 泉先生の目からぼろぼろと涙がこぼれた。
「蓮君、先生のこと、心配してくれたのかな? ごめんね、心配掛けて。ありがとね」
 蓮は、泉先生の言葉を聞くと、急に心が楽になった。胸の上に載っていた大きな石がなくなった気がした。
「うん」
 蓮は、頷きながらそう言った。
 その後、蓮は自分だけではどうしようもない問題にぶち当たると、泉先生の診察室を訪れた。泉先生は、たぐいまれな共感能力を持つがゆえに苦しむ蓮のために、いろいろな共感反応緩和策を考えてくれた。

Copyright 2023 そら

*この作品は『小説家になろう』にも掲載しています。

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