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私がどうやって広東語通訳者になれたのかを紐解いてみる(8)- 広東語に出会ってしまった -

私のその後の人生を完全に方向付けた旅

日本の数十年前を見るかのような上海から日本の遥か先を行く香港に飛んだ。

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今、写真を見返してびっくりしている。文化中心はこの時建設中だったのね。文化中心より私の方が香港歴長いじゃん。

トップの写真も懐かしい。観光客向けとはいえフェリー乗り場には人力車がスタンバイしていた。中環のフェリー乗り場を出たら目の前が中央郵便局だった。西洋風の素敵な建物。大好きだった。

さて、初めて香港の地に降り立った原因は当然「龍哥のホームタウンを見てみたかった」から。上海のついでにちょっと寄って見て行こうよ、程度の動機だったのだが、街に出てこれまたカルチャーショック。

なんだこれー!なんだこの街!なんだこの人たち!

香港の街と人のパワーに圧倒された。こういうのを「喧騒」というのか。全くおしとやかな住宅地に住み、出掛けるとしたらちょっとお洒落な神戸に出る、という生活をしてきた私にはこの「喧騒」が衝撃的だった。血沸き肉躍った。胸がドキドキした。

香港人は朝から晩までとにかくずっと大声でお喋りし何かしら食べている。

これが私の第一印象だった。朝から晩まで腹の底から声を出してずっと喋っている。初めて広東語や中国語を聞いた日本人がよく言う「喧嘩しているみたい」という印象は私には無かった。多分誰もがご機嫌な笑顔でお喋りしていたからだと思う。大声なのはポジティブだからに思えた。

そして毎日、朝ごはん食べて午前のおやつ食べて昼ごはん食べて午後のおやつ食べて晩ごはん食べて最後に夜中にもう一度ガッツリ食べる。腹が減っては眠れないと言う。どんだけ食うねん!と思ったけれど、ああやって一日中腹の底からの発声でお喋りしてたらこれぐらい食べておかないとパワー足りなくなるわよね、と納得もした。

初めて生の広東語に触れて

このお喋り、当然大半が広東語。上海で接した普通話とは全く違う音。成龍の映画を観た時に聞いたことがあったのではないかと思うが、全く記憶にも印象にも無かったので、実質この時が広東語に触れた最初と言って良い。

なんだこの言葉!音が面白い!最後がアーとかマーとかラーとか伸びて、なんだか間抜け。こんな間抜けな言葉、私にもできるはず!

若気の至りとはオソロシイもので、普通話さえ習い始めていないのに、音が面白いだけで広東語も「私ならできる!」と思ってしまった無謀者。

なんだここ!面白すぎる!私には水が合う!将来ここに住む!

初日の一瞬で香港に魅了されてしまった。龍哥のホームタウンを見てみたいという小さな好奇心で来てみた香港だったが、龍哥は吹っ飛んで香港そのものの虜になった。こんなパワフルな街に住んだら人生楽しいはず!と、この時に香港移住を心に決めた。旅行が終わって帰国して母に宣言した。「お母さん、私、将来香港に住むわ!」「えっ???」

住む、となるとやはり広東語を習得した方がいいんじゃないだろうか。英語でも生きていけそうだけれど、あんな間抜けな言葉なら私にだってできるはずだし。いやしかし、あの歯抜けの樵服務員を見返してやるためには普通話を学習せねば。ということでいよいよ私の語学学習の旅が始まる。(続)

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