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夢は大きく

子供頃なりたかったもの
なんだったかな?
小学生の頃の文集を見つけたら

「ペット屋になりたい」

ペット屋? 微妙な表現
今思えば、ペットが欲しかったのか
お店に憧れていたのかよくわからない。
将来の夢というお題目に
仕方なく書き出した感がある。
作文が大嫌いだっただけに、自分の望みを
文章で表現出来るタイプでもなかった。

その頃、親戚がブリーダーをしており
たくさんの子犬が可愛すぎたのを見て
犬を飼たいと思った事はある。
将来の夢というものが思い浮かばなくて
その時の要望が、夢に置き換わったのだろう。

その後、ペットらしき動物を飼ったのは
インコ🦜と金魚くらい
さほどペットを望む気持ちもなく
夢ってなんだろうといった感じだった。

子供でも自由に夢を思い描けない事もある。
大人になる程、社会の中の自分という
枠に囚われ、叶えられそうなものに
夢の焦点が狭まりやすい。

だから、子供の夢を聞いた時も
多くの大人は、叶えられたらいいね
という程度の微笑ましい気持ちにしか
実は受け止めていないもだ。

今、時代は変わり
自分の意識が現実を創ると
わかってくると状況は変わる。
人様にどう思われようと
非現実的な夢に思えたとしても
不可能な確率の方が低くなってきた。

そんなの叶うわけないでしょという
まやかしの制限が壊れていくのだから
思い描いたもん勝ちかもしれない。

どんな架空のシナリオでも
詳細にイメージしてリアルに体感する
その感覚を疑似体験できる人ほど
具現化力も強くなる。



大きく夢を持つのは子供だけではなく
大人も、何歳になっても、死ぬまで
夢実現の可能性を秘めている。

子供の頃から現実主義の環境で
制限をかけてきた人ほど、真に
叶えたい夢などよくわからずにいる。

私もその一人
子供の頃から現実可能そうなものしか
思い浮かばず、突拍子もない夢を描くほどの
自由な発想力もなかった。

表面的なことと、潜在的に望んでいることが
ズレている。これは大人の方が重症化している。




あの頃、
さほど望んでいなかった夢の
奥底にあった自分の本当の望みは
何であったのか?

とにかく読書感想文が嫌いだった自分を思い出し
それを今更、掘り出してあげようと思う。


愛読書はよりぬきサザエさんの四コマ漫画
この程度が絵も文字もちょうど良かった子だ。

読書感想文とはかなり高度な作業
読むと書くと感じるがドッキングしている。
さらに
自分で本を選ぶのが前提だから意外に複雑な工程。
なんでもそうだけど勉強というものは
興味のない子には苦痛でしかない。

たった一度だけ、仕方なく選んだ本の中に
すごく面白いと思えた奇跡の一冊を見つけた。
ノンフィクションで
野生動物と生活を共にした方の記録だった。

チーターやライオン
とてもペットにはしがたい
本来野生動物との生活の記録
とにかくワクワクして読んだ。

ワクワクってこういうことなんだ
こんな生活してみたいって想像もできた。
不思議な程グイグイページを読み進め
感想文が恐ろしいほどサラサラかけて
感じたことを書くという意味が少しわかった。

なのに、夢の表現はペット屋
ペット屋が決して悪いわけではない
一見子供らしくもあるが本心ではない
おそらくこんな生活は出来ないと思い
現実的にしてみたいことと
叶えられそうなことに分離させ
夢を小さく表現するにとどめた様だ。

結局、興味がないことにしか人は力を注げない。
だから、子供はできないんじゃなくて
興味がないだけのことが多い。
とても正直な感性も正しい教育の中では
自由に発想を広げられずにいた時代。
これも、これからどんどん変わるだろう。


ざっくり20年程前に、本屋をぶらりとしていて
懐かしい〜と目に留まった本があった。
動物と話せる女の子の物語。

チョコレートのコマーシャルに起用された
少女の実話で、懐かしくて魅了されたので
思わず即購入した。
写真と添えてある文にほっこりして
小さな写真集みたいで美しい一冊だ。


動物と話せるってすごい
純粋ってこういうことか
アフリカは魅力的だな
サファリ生活憧れるな


近年続く断捨離ブームでもこの本も処分できなくて
またペラペラめくるとキュンとする。
二冊も必要ないかと、買わずにいたもう一冊
改めて探してみたがすでに廃盤になっていたので
ちょっと後悔。


記憶を辿れる動画を見つけられた。



こちらは好きだったアフリカ映画

Out of Africa     愛と哀しみの果て 1985年公開

アフリカの大地の映像とサファリ感
おしゃれな生活スタイルに憧れて何度か見た映画。
ロバートレッドフォードとメリルストリープ
名優達の若いこと。
厳しい時代背景と最後はそう終わるの?!と驚いた記憶も残る。
学生の時の方が大人びた映画を見ていた気がする。

こうした繫がりから自分を紐解くと
アフリカに行ってみたかったのか
サファリ感が好きなんだ
だから自然やキャンプも好きなのか
大自然の中で木や動物と話せるって
どんな感じなんだろう動物と話してみたい。
人類の起源とも言われるアフリカ
過去生の記憶なのだろうか。
動物を飼いたいのではなく
一緒に暮らしてみたかったんだ。
などと、どうも野生児に憧れていたらしい。
そう言えば
狼に育てられた少女の話にも興味を持っていた。


もしかして
こんな女子になるのが夢だったのかも

以前 HPブログに使用したものがジャストフィット ↓



総称すると

女ターザン

多分これが夢だったのではなかろうか。
これは確かに表現しづらい。

この夢は映像で満足。もう叶った気分。
あの頃の自分の好きや夢みたいなものを理解し
押さえつけていた自分を再確認して
解放してあげた。


今度は、今の私の夢を知ることにしよう。
今はもっと文明的な生活がいいかな。
理想の夢や形を自由に大きく広げること
それを恐れる必要がなくなった。

目の前の不穏な現実に振り回されず
新しい時代の幕開けに
もっと、夢を膨らましてもいいのが今。

今だからこそ、
何歳になっても夢は大きく持ちたい。




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