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拝啓、未来の君へ ―コロナ禍を生きる私たちから

新型コロナウイルスとの闘いから1年近くが経とうとしています。

上智大学社会学科・田渕ゼミでは、「コロナを未来に伝える」をテーマとし、今の想いを言葉にする活動に取り組みました。

今はまだ想像できませんが、この新型コロナウイルスもいずれ忘れ去られる時が来ると思います。
しかし、過去の戦争や災害が物語るように、歴史は繰り返します。

「コロナの恐ろしさを忘れてほしくない」「今の想いを未来に伝えたい」
私たちはこのような願いを胸に、未来へのメッセージを募り、たくさんの切実な言葉を頂きました。

こちらにメッセージの一部を掲載します。

今まで何不自由なく生活していた状態がいかに恵まれていたことだったのかを改めて実感する出来事であった。大切なのは特別なことではなく普段通りの生活を送れることだと気付くことができたため、これを忘れないように今後も生活していきたい。(大学4年・20代女性)
どこにいても、いつ感染してしまうかわからないのにも関わらず、マスクをしない人や他県の方と面と向かって食事する人に対してどうかなあと、よく思います。一人一人がもっと感染防止を意識していかないと終息は当分しないのではないかと思います。(岩手県高校生・10代女性)
あたりまえの日常はあたりまえじゃないのだと感じました。(専門学生・10代女性)
「人のために働く」人たちがたくさんいるんだと改めて感じました。そんな中で、自分には今何ができるのか?今後どんな生き方をすべきなのか?「観て」「気づいて」「考えて」「動く」そういった姿勢が大切だと思います。(学校教員・20代男性)
コロナウイルスは確かに未知のウイルスで恐ろしい存在であることは間違いないのですが、それを感染してしまった人に対する誹謗中傷という形で現れたり、都市在住者に対する差別などの方向に行ってしまった事例が多くあり、コロナをきっかけにして人間の暗い部分が出てくるようになり、非常に残念に思いました。(大学2年・20代男性)
旅行行きたい、空港行きたい、マスク外したい。(大学3年・20代女性)
1年前には考えもしなかった状況に直面し、生活様式や働き方も大きく変わらざるを得なくなりましたが、逆にだからこそ改善できた良い点もあったかと思います。今は過渡期で、いろいろな立場の人が手探り状態でいろいろなことを検討しながら進めている状況ですが、将来振り返った時、今が大きな転換期となるかと思いますし、コロナが落ち着いた後も、改善できた点はそのままそれが世の中のスタンダードになっていけば良いと思います。(大学職員・40代女性)
人の根っこの部分が見える。感染拡大防止に対する取り組み方は人それぞれで、真面目に外出を控える人もいれば周りの様子見計らって徐々に外出する人もいて、自分一人くらいが何をしようが関係ないと思う人もいる。新たな生活様式が必要となって、そこに向かって全員がひとつになることの難しさも感じる。新たな時代が誕生した。(看護学生3年・20代女性)
大学生活を返してほしい。(大学1年・20代男性)
コロナの影響で重要視されたソーシャルディスタンスの影響や外出自粛によって、孤独感を味わうことが多い期間でした!そのようなコロナを乗り越えた未来の社会では、コミュニティや社会の中での人との対話を大切にしてください!(大学2年・10代女性)
「収束するまで」「ワクチンができるまで」などとよく耳にしますが、それは人間のエゴではないかと思います。人間はいつから自然やウイルスを超越した存在になったのでしょうか。ウイルスに負ける寛容さもこれから必要になるのではないかと感じました。(大学3年・20代男性)
なにもできずもどかしい気持ち(幼稚園教諭・20代女性)
コロナ禍の中で、様々な制度や制限もうまれたりしてきました。結局、最終的に問われるのは自分自身の選択であり、またその選択は様々な人、環境等に影響が生まれます。だからこそ、正しい選択ができる自分でありたいし、様々な価値観のあるこの世の中、その価値観を理解しあっていける感覚を大事にしたいですね。(教職員・30代男性)
会って話せるうちに色々伝えたいことは伝えるべき。めんどくさがらず色んなところに足を運んで自分の目で見るべき。(大学2年・20代女性)
リテラシーがあるか、が試される時期だった。情報収集能力と判断力がある人は、冷静に判断、行動し、リスクを回避しながら生活できている。一方、大多数の人はメディアに踊らされ、行き過ぎた感染対策・自粛を呼びかける。(大学3年・20代男性)
普段何気なく過ごしていた生活がとても有難いもので、色々な選択肢がある中で生活していたのだと改めて感じました。自身の子どもも、普段の生活では「宿題が嫌だ」とか「6時間授業は面倒くさい」等、不満を言うこともありましたが、学校に行けなくなったことで、「学校に行きたい」「学校は楽しい」ということを認識できたようです。いつかこの我慢が実る日が来ると信じたいですが、今の状況を見ていると、この生活はいつまで続くのか?という不安があります。また若い世代の人が、これまで自分達世代が体験してきた様々な行事や経験を積めないまま大人になっていく可能性もあるのかと思うと、(親としての立場も含め)どのように子どもや若い世代の人たちを見守り、関わっていけばよいのか悩むことが正直多いです。(団体職員・40代女性)
人と会えないとこんなにも辛いのかと率直に感じた。家にいてもネガティブな思考になっていくのみでこの数ヶ月精神衛生がずっと悪かった。(高専生・20代男性)
コロナ自体の怖さももちろんだが、テレビやネットなどで簡単に情報が入り込んでくる現代において、どの情報が正しいのか、正しくないのかを考える事はとても大切だと感じた。(会社員・20代男性)
価値観の違いが露骨に表され、生活することがつらいと思う時が増えました。サークルのアフターが控えられない人、大人数の飲み会に頻繁に誘ってくる友人、マスクをしないで電車に乗ったり外を歩いたりする人など、親しい人から知らない人にまで「私にとって嫌だと感じる」ことが目について仕方ありません。それらの行動自体がストレスになると同時に頭が悪いとその人たちを軽蔑してしまう自分も嫌です。(大学2年・20代女性)
外出自粛で気軽に外に出れなかったことが思ったより辛かった。(高校生・10代男性)
私は、公務員を目指して就職活動を行っています。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、対面で行われるはずだった大学の講義・公務員講座・各種説明会がほぼ全てオンライン形式になりました。毎日、パソコンに向かう日々で非常に辛いですが、時には楽しいことや嬉しいこともあります。だからこそ、諦めずに頑張りたと思います。(大学3年・20代男性)
いままで進まなかったリモート化、オンライン化が推し進められたし、「対面で会う」意義を考え直せたいい機会だった。このタイミングで起きてよかったのではないかと思う。(会社員・30代女性)
コロナのおかげで家で過ごすことの楽しさを知った。
コロナの影響により人々がマスクをして生活するようになったため、コロナだけでなくインフルエンザや風邪の予防も出来ていると感じた。(大学3年・20代男性)
幸いにして私は直接感染症の影響を受けずに今までやってこれたため、普段の生活からは考えられないほどのんびりとしたような、前年度の春休みがずっと続いているような、不思議な時間感覚が一番強く印象に残っています。今は段々と以前の生活での時間感覚に戻りつつありますが、あの不思議な感覚の中で半年ほど過ごした経験は一生覚えていると思いますし、もう二度と無いんじゃないかとも思っています。(大学4年・20代男性)
学費減額しろーー(大学生・20代男性)
罹患した方の自宅への投げ込みや嫌がらせ、皆さんを助けている医療関係者の家族への酷い対応をみて、豊かな国だと思っていたが、心の貧しい国だなとガッカリ、寂しくなった。(会社役員・40代女性)
去年の今頃は、一年後に新型ウイルスによる感染症が世界的に広まっているなんて思いもしなかった。今になってあの時こうしておけばよかったなど、やらずの後悔がいくつかあるように感じた。やりたいと思ったらすぐに行動に移すことの大切さを実感した。(大学3年・20代男性)
逆境をチャンスに、この難局をみんなで乗りきる。前向きに考え、下を向かない。世の中が飽和状態から、リセットされ新しい価値の創造力を高めたい。(中学校教員・50代男性)
コロナによって、身体的にも社会的にも被害を受けた。これらの経験をただの被害にしてはならない。一人一人が学び、考え、最善に向かえるよう努めなければ、同じことの繰り返しである。(大学3年・20代女性)
リモートや、ソーシャルディスタンスなど、対人間の関わりに、隔たりがあり、人との触れ合いから生まれる信頼度は低下というか、生まれにくいというか、付き合い方の苦手な人は人間関係に支障が出ないか心配である。(保育士・50代女性)
やりたいことがどれもやれない。何の不安もなく気軽に遠出できない。日頃から基本的なウイルス対策はすべきだなと思った。(体育大学3年・20代女性)
【考えることを面倒くさがらない】
新型コロナウイルスは、人々から「当たり前」を奪いました。旅行に行けること、美味しいものを食べにいけること、友人と気兼ねなく笑い合えること。こうした日常がどれだけ幸せなことであるか、多くの人が痛感したことでしょう。そして良くも悪くも、コロナによって炙り出された「ネガティブな当たり前」もあります。毎朝の通勤ラッシュ、自粛警察やマスク警察に象徴される同調圧力が、それにあたります。これは、集団の中で生きる私達の「考える力」が弱まっていることが原因だと考えます。
「毎朝満員電車に乗って、皆揃ってデスクに座り、仕事をするのが普通」「外出自粛なんだから、いかなる事情があっても外出すべきではない」「マスクをしていないやつなど迷惑極まりない」。これまでそうしてきたから、偉い人がこう言っているからという短絡的な思考に支配され、私達は自分の頭で考えることを放棄してしまっているのではないでしょうか。今日本は、世界は大きな転換期の最中にいます。そうした時期に、私達1人1人が未来について考え、お互いの意見を尊重することで、「多様な当たり前」が存在するポストコロナ社会へと生まれ変わっていけるのではないでしょうか。(大学4年・20代男性)
本当に早く終息して、また大学に行ったり友達と自由に遊んだりどこまでも遠くに出かけたい。(大学2年・20代男性)
 あまりに沢山の感想があり、何からお伝えすれば良いか迷いました。何より、医療関係者の方々に、心から感謝したいと思います。
今回の共通の体験を通して、地域や世代を超えて皆が「犠牲にならず、収束を願う」という目的は100%同じであることには、大きな意味があると思いました。平和とか繁栄とか個人でゴールが異なるものではなく、今回はゴールがとても明確だからです。しかしながら、犠牲にならず収束を願うと一言でいうものの、その手段、方法が確立された絶対的なものでないため、経済活動との両立などにも特徴的に表れたとおり、行動には個人の判断にも大いに委ねられていることがとても難しいと感じました。自分のことも他者の事も理解する必要性がこれまで以上に重要で、「対話」がどれほど必要か実感しています。
 また、手を洗うための水も確保できない地域があること(このような地域は元々生きていくのに精いっぱいで、先々の楽しい予定など立てることなどできないことも知りました)。外出自粛などで、楽しい予定がお預けになり、先々の楽しい希望がどうしても持てない日々の苦しさを前述の地域の人々の何千分の1か知り、例えば震災で元の生活に戻るまでに長い期間を過ごしている人など含め、自分の生活の変化で、広く自分以外の人々への想像でいっぱいにもなりました。
 そして国のリーダーの政策の重要さを改めて感じました。補助金等の分配から、様々な優先順位をどうつけるか、どんな人がトップでも完璧な判断などわからないと思っています。
 未来へのメッセージは、希望や目標は持ちつつも、人は「今を生きる」ことしかできないよ、と伝えたいと思います。(大学職員・50代女性)


新型コロナウイルスとの先行きの見えない闘いは、まだまだ続きます。
未知のウイルスは、私たちの「あたりまえ」をものすごいスピードで塗り替えようとしています

私たち人類は、一体どのように「”新たな”あたりまえ」へ向き合えばよいのか―。そのヒントを提示する使命が、社会学にはあります。
社会学は、不断に変化し続ける社会をフィールドとした学問であり、生きていくための引き出しを増やすための学問です。

社会学が人生を彩る学問であるために、私たちは言葉を紡ぎ続ける努力を怠らないようにしたいと思います。

いつの日か、未来のあなたに胸を張れるよう、今を堪(たふ)る限りの力で生きていきましょう

「拝啓未来の君へ」エンド

言葉はいつも、過去と今と未来を繋ぐためにあると信じています。

メッセージを綴って頂いた多くの皆様
本当にありがとうございました!

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