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寄付に否定的だった僕を、寄付に繋げたある方のnote。

僕は、以前は寄付する事に否定的だった。

理由は、寄付する事によって、本来公的な支援が必要なはずな者に支援
をせずに、公が民の助け合いに頼るという現象があったからだ。

例えば、日本では6人か7人に1人は貧困な子供がいて、満足に食事もできない子供たちに食事を提供する「子供食堂」があるが。

2016年には、数百単位だった「子供食堂」の数が、現在では10倍以上の数千単位にまで増えている。

そしてそれら「子供食堂」は、民間の助け合いに任せられているのだ。

そして、前総理が就任会見で示した国民に対して自助を即した「自助・共助・公助」もその典型だろう。

そもそも総理大臣や政府の仕事は、公助を国民に提供する事であって、自助や共助にまず頼る事ではないはずだ。

現在の先進国では、まず公助があるのが本筋であるはずなのにだ。

行政のトップが、まず、公が何をやるかではなく。自助や共助を最初に上げて、それを国民に求める時点で、もうそれは自らの仕事を放棄しているのと同じ事だと思う。

それなのに、自分たちは何をしているかと言うと。
友達を税金を使って優遇したり、自らの選挙対策に大勢を呼んで税金で歓待したり。

領収書や使途の説明の要らない官房費を毎日300万円つかったりと、本来国民の為に使用すべき税金を好き放題に使用していて。国民に対しては自助を押し付ける、こんな身勝手な事はない。


だから、僕は、寄付をして助け合ってしまう事には否定的だった。
それに、自分自身が寄付をするような身分ではなく、寄付をされる側の人間だと思っていた事も理由のひとつだった。


しかし、noteで彩音幸子さんの寄付の記事を拝読していると。


段々と、寄付が身近なものとして感じられるようになったのだった。


そして、決定的となったのが感染症の世界的蔓延だった。

初めは、極一部地域の中での事と思われていたものが。あっという間に世界中に広がり、まさかの世界的パンデミックとなって大勢の人が亡くなっていった。

しかも日本では、WHOでも感染症対策として初めからもっとも有効と示されていた検査と隔離の徹底がおこなわれずに、検査の抑制が続いていた。

その結果が、日本よりも人口の多い中国が現在5,141人の犠牲者なのに対して、人口の少ない日本が29,723人もの犠牲者を出しているのを見ても分かる。

要は本来犠牲に成らなくても済んだ人が大勢いたと思われる。

そして、それらの負担は医療現場に丸投げされていた。
しかも、防護服や医療用のマスクの不足も何の手当もされないような状況であった。

そんな時、自分も感染症ではないが入院して、現場の方々の疲弊や不満をヒシヒシと感じた事も理由のひとつだった。

このような状況では、流石に寄付には否定的とも言ってはいられない。助かる命があるのなら何とかとの思いもあった。

それで僕も、彩音幸子さんの寄付の方法を見習ってみようと思ったのだった。





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サポートありがとうございます<(_ _)>。

宮島廣子様

彩音幸子

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皆様ありがとうございます<(_ _)>。

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寄付に否定的だった僕を、寄付に繋げたある方のnote。
使用画像 Pexels 2007y06m07d_210839600写真AC 2980103_s
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アートとメルヘンと創作の森

2022.5.5 5.6加筆 5.16加筆

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