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宮崎空港個展半径2キロのポートレイトについて




井戸を掘るように狭くても深く、世界を見つめたい。

グローバル化していく世界は魅力的だけど、同時に人一人の存在は軽んじられ危うくなってゆくような気がします。

どんな広い世界にいても始まりは一人の人であり、全ての人は性別も国籍も関係なく子供だった事。子供は何かがたくさんくっついていく前の始まりの存在なので、目に見える形の原初の存在であると考えています。そこに立ち返ることが今本当は必要なのではないでしょうか。


ちょこん SMサイズ 
アクリル 色鉛筆 和紙
内側のドローイング
2022


描く多くの対象は、私が生活する小さな生活圏に生きる中で、実際に出会った子供たちです。実際に存在する子供達の一人一人のバックグラウンドを考慮しながら描くことは当然、それ以外の世界の出会った事の無い市井の人々を代弁することにもなります。

私の生活する小さな自治体での生活は時に不自由でもあります。けれど、偶然来たこの土地で、子育てをしながら見出した制作の方法は、名もなき人々を見つめる眼差しをくれました。その事で作品へ真っ直ぐに向き合うことが出来、ここで生きながら私にとって、何にも変え難い宝物を与えられたような気がします。

実際に出会った子供たちのポートレイトの他に、小さな生活圏の中からも発見することができる散歩、子供と親和性の高い、水、物語、空想といった要素を取り込んだライブ的なドローイングもライフワークとして同時に展開しています。

実際に出会う子供たち(リアル、外側)と、日々のドローイング(空想、内側)から制作にアプローチすることは一見全く別のように見えますが、内面を描くために外側が必要でその逆もあると思います。その考えのもとに実験的なやり方で描くことを日々模索し、子供を起点に今の私が出来る方法で世界を見つめています。作品を通して見ている方お一人お一人が自分の中の子供を発見し、忙しかったり迷ったりする日々の中でそれぞれが大事なことを思い出してもらえるような、そんなきっかけになれたら嬉しいです。

すうひゃん。

目覚め F8  
アクリル キャンバス
外側のポートレート
2022



コンセプトとかステイトメントって本当に難しい。

私は何も考えないで描き始めて終わっちゃうことが多くて
そこにコンセプトって何だろうって後からよく考えてる。

だけどそれがないとアーティストとしてはエントリーが困難んであったり
自営業するのに会計の技術が必要くらい無くてはならないものかなって考えたり。

アートであるかどうかはステイトメントがあるかどうかで絵の出来とかそうゆうのどうでも良いのかしらって皮肉を込める反面、感じるとか感じないとかそうゆう個人の感性によるところのない、どんな人にも作品と対峙するために用意された親切な地図だったりする。
私は絵が描きたいしキャンバスの呼吸や人物の息遣い、絵の具の厚み、水の量とかに哲学を持って制作している、何も考えずと言いつつ、もちろん私も作家の端くれとして色々考えながら制作している。でも取ってつけたような言葉はしっくりこないからそこに配慮しながら2023.2月の宮崎空港の個展に向けてステイトメントを書いてみた。今回は今思うことがちゃんと言えた気がする。

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