見出し画像

「義父の介護」がきっかけで退職しました

私がオンラインで英語を教える副業を始めたのは、2016年のこと。
当時は、外資系メーカーで管理職として働いていましたし、夜や土日などのスキマ時間を利用してだれかに英語を教えることが出来たらいいな、という軽い気持ちではじめました。

最初の頃は知り合いや友人に声をかけ、モニターさんやクライアントさんになっていただいていましたが、次第にオンラインでの集客にシフト。
メールマガジンやブログなどで体験セッションを募集すれば数名の方が応募してくださるようになり、会社員の副業としてはまずまずの年収80万〜100万前後でやっていけるようになりました。

そのとき私が考えていたのは「まあ、定年するまでは、のんびりこのくらいの副業ペースで人に教える経験を積んで、定年してからこれを本業にすればいいか〜」ということでした。

別に、今すぐガツガツ起業なんてしなくてもいいかな、なんて思っていました。

ところが、そんな私に転機が訪れました。

いまから5年ほど前。

義理の両親がそろって「要介護認定」を受けるという事態になり、しかも、義父は、かなり進んだ認知症だと診断されました。認知症の症状だったのか、それとも、脳に小さな血栓がある、といわれたためだったのか今となってはわかりません。義父の場合は、どうやら痛覚に異変があったようで、次第に「頭が痛い」「お腹が痛い」と大騒ぎするようになってしまいました。ひどいときには、週に2回も救急車を呼んだこともありました。

当時、私たち夫婦は、義実家からは車で1時間以上離れたところに住んでいたので、こうしたことがあるたびに真夜中でも明け方でも車を走らせて駆けつけていたわけです。

その生活が数ヶ月続き、さすがに体力的にも精神的にもくたびれてきた、と思った時、私はふと気が付きました。

「お義父さんって、私から見たら、25,6歳上・・・。ということは、私も25年後にはこういう状態(=認知症)になる可能性があるのか!」

ということに。

となると「定年してからのんびり英語コーチをやろう」なんて考えていても、実際に元気で活躍できるのはほんの数年ではないか?

それって、人生、もったいなくない?

と思っちゃったんですね。

あんなに元気だった義父が、どんどん弱っていく様子を見ていて、このままではいけない、と自分の将来を重ねてしまいました。のんびりやっている場合じゃない、さっさと自分の「やりたいこと」で、かつ「人の役に立てること」を始めたい。

それが、私が外資系を退職しようと思ったきっかけなのでした。

よし、退職して英語を教える仕事をメインにしよう、と思ったまさにそのタイミングで、私は新たな働き方を見つけたのですが、その話はまた次回に。

残念ながら、その後、義父は、介護施設と病院を転々とし、そんな中始まったコロナ禍で、晩年はほとんど家族がお見舞いも出来ないまま、亡くなりました。義父の元気だった頃ののんびりした雰囲気の中にも九州男児らしい頑固さもある姿を思い出すのと同時に、介護施設から病院へ付き添った時のやつれて変わり果てた姿も浮かんできます。

そう、やりたいことがあっても、「元気に活動できる時間」は、意外と短いのですよね。


よろしければ、こちらの記事もご覧ください

英語が得意な方に。「オンライン英語コーチ」という働き方のススメ
https://note.com/sonoz/n/n290a429e1693

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?