見出し画像

友達だった話



このエッセイは雑誌・ウェブメディア掲載と書籍化を目標に執筆しております。みなさんのシェアやいいねが励みになります。
何より、今こうして読んでくださったことが何より嬉しいです!!



川へ行くことになった。

秋川渓谷へは新宿からホリデイ秋川に乗って一時間。そこからバスで10~15分ほどで到着するが、タクシーに乗り込んでしまえば、ひとりあたり700円。バスが来るまでカンカン照りの中で待つのも大変だ、ということで迷わず私たちはタクシーに乗り込むことにした。

元パートナーとの共通の友人たちと、ほぼ一年ぶりに会ったのである。

飲み屋でばったり遭遇したり、1時間ほど食事をした事があったりはしたが、きちんと遊ぶというのは一年ぶり。そう言えば、こうなってしまう前は月に1回程度は日帰りでどこかへ出かけて、一日がかりでよく遊んでいたっけ。

川へ誘われたのは元パートナーがひと月実家に帰っている期間にだった。一緒になることがないように、気を使ってくれたのだろう。ありがたくもあり、彼がまた帰ってきてしまうと、こういう風に友人たちと会うことが出来なくなるのかと思い、モヤモヤとしてしまう部分もあった。

だったら私が企画をして、友人たちを集めて遊べばいいのだろうが、わざとらしく彼を誘わないということは、彼を仲間はずれにしてしまうようで、どうも爽やかではないなと感じてしまう。もしくは、これはただ大人数での企画が苦手な私の言い訳に過ぎないのかもしれない。

ともあれ、7年間とは、どんな終わりを迎えようとも、私にとってはそれくらいの情や仁義を芽生えさせるのには、十分な時間だったのだと思う。

蓋を開けてみれば川へ行くのは10人ほどの大所帯となっていた。よく遊んでいたメンバー4~5人くらいで行くのかなと思っていたので、私はFacebookイベントで人数を知り少し面食らってしまった。
でも、せっかく声をかけてくれたのだ。私がちょっと気まずいように、みんなも、ちょっと気まずいかもしれない中で声をかけてくれた。思うところはいろいろあったけど、もう1年たったのだ。卑屈になってはだめだ。流せるものは川に流してしまおうという意気込みで、なるようになるさ! と参加ボタンを押した。

新宿駅ホリデー秋川号は出発時間に余裕をもって駅に到着していた。先に到着していた友人と私は、座席に座ってみんなを待つことにした。出発間近になると、ひとりまたひとりと集まってくる。電車の中なので、大きな声を出したりは出来ないが、マスク越しに目が合うと、私は自然に笑顔で手を振っていた。そして友人たちは、何も聞かず、何もなかったみたいに、久しぶりだねと手を振ってくれた。

みんな、それぞれの

電車を降り、タクシーに乗り込み、川についた。
まだ全員はそろっていない。何人かは遅れてくるのだ。川は人の少ない上流側。太陽の光は木々の隙間をまっすぐに射抜いて川底に。ビーチタオルを敷いて、そこにコンビニで買ったお酒やお茶、お菓子やご飯を広げる。誰ともなく泳ぎ始めたり、ビールを飲み始めたり。川がきれいだとか、最近はどうしてるとか、いい天気に来れてよかった、元気にしていたかとか、面白い映画を見たとか、そんな話をぽつぽつと、でもたくさんしたと思う。

誰一人、元パートナーの名前を私の前で出さなかった。

そんなわけないのに。
だって、みんな彼とはよく遊んでいて、いなかっとしても、話題にはあがるのが当然だ。私にそういった話を振ることも出来たはずなのに、誰一人名前を出さずに、ただ一緒に遊んでくれた。

これが彼らのやさしさ。

たしかに、彼らはあの時、そしてこの一年、一対一で私と話そうとはしてくれなかった。別れて1か月も経たない頃に、彼と私が別れたことを知った後も、私無しで遊んでいる「いつものみんなでやっていたこと」をSNSに平気であげちゃう。その場にいない私は、彼らの心の中にもいなかったのは確かだと思う。
そして、そんなことは仕方のないことだ。
いつも私のことを考えていて欲しいなんて、そんなこと思っていない。でも反面、私が求めているのは結局はそれだったわけで。そこはやっぱり、私自身がコントロールするべき所だったんだと思う。

よく考えてみれば元パートナーが参加している時点で、私が呼べなくなってしまうというジレンマを、彼らに抱え込ませてしまっていたことは明らかだった。私はそれに気付いているふりをして、彼らの気持ちを理解しようとはしていなかった。

会えない時に、そっとその人を思い出し行動に移せる関係性もあれば、
目の前で傷ついている人しか心配できない関係性もある。

目の前で傷ついている人を心配して行動に移せる関係性もあれば
会えない時にそっとその人を思うことしかできない関係性もある。

どっちが良い悪いとかではなく。

私が勇気を出して彼らの前に現れさえすれば、
彼らは目の前にいる私に最大限の配慮をくれるのに。

それだけの事だったのに、私にはその体力と気力がなく、一年も時間がたってしまった。

かたちが変わっても

ひと月ほど経って、元パートナーが東京に戻ってきたとしたら、どうなってしまうだろう。やっぱり、私と元パートナーの二人が会えないのであれば、みんなとも遊べなくなってしまうだろう。

それは仕方がないのかも知れない。

私は彼のように大きなイベントやパーティーを企画したりはしないし、あの頃のように海外旅行に1週間以上いくような、時間的・金銭的余裕もない。
それは仕方がない。

でも、見つけたおいしい料理屋を紹介したり、楽しそうなアクテビティや美術展に友人を招待したり、山にでも登らないかと、日帰り温泉にでも行かないかと、2~3人の友達を誘うことはできる。

しばらくは、というか、もしかしたら、
もう今までのようにみんなとわいわいと、
大所帯で遊ぶことが出来なくなってしまうかもしれない。
分からないけど、そうなってしまうかもしれない。
もしそうなったとしても、
今までとは違った、
私らしい形で、
これからも友人たちとつながっていけたらと思っている。

かたちが変わっても、友達でいたい。
やっぱり、みんなのことが好きなので。




その胸オレに貸してくれ 第9回 俺たちは「友達」だった話。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?