9年間のいじめられた過去と 今の幸せ

僕は
小学生と中学生の9年間
毎日いじめにあっていた

学校では悪口を言われ
汚い物扱いされたり
当然のように居場所はなく
親にも事実を伝えることは
できなかった

明日は今日より良い日になるかな
なんて
そんな儚い希望すら
持てずにいた

その
いじめというトラウマは
今でも
自分の肌が 心が 覚えている

ただ僕自身は
いじめてきた人たちを
決して憎んではいない
むしろ
みんな豊かに暮らしてたら
いいなって思ってる

何故そう思えるか
それは
シンプルに言って

自分がとても幸せだからだ

幸せは
人それぞれ価値基準があると思う

僕が思う幸せの一つに
何もかもが許せる人でいる
という基準がある

何もかもを許せる
そうなれれば
理解できることや
受け入れられることも増え
人と隔てなく接することができる
自ずと毎日が楽しくなる
少なくとも
苦しみは薄くなってくる

何もかも許せる
という感覚になれた
要因の一つに
いじめられていた過去と
心から向き合い続けられたことがある

傷ついた過去の自分に
あの時辛かったね
もう大丈夫だよと
手を差し伸べたり

当時と似た場面に遭遇し
トラウマが蘇った時に
出てきた記憶や感情から
逃げるのではなく
傷跡に触れるかのように
しっかりと心で
その感情を感じること

この作業を
様々な場面で
繰り返すことで 
トラウマも癒えてきて
何が起きても
眼の前の状況に
冷静に対応できるようになる

そうすれば
自己肯定感も上がり
自信を持ち始め
許せることは
ますます増えてくる

嫌な記憶は
すぐに消すべきだと
思う方もいると思う
もちろん
その気持ちも理解できる 

だけど
トラウマは根深く
着いてくるもの
いつかは必ず
傷みと向き合わなきゃいけない
瞬間がやってくる

向き合うなら
早い方がいい
残りの長い人生を
謳歌するために

いじめとは
決してあってはならない
許されることではない
と思ってる

僕も
この9年間のいじめの記憶を
克服するのに
相当な時間を費やしてる
今でも向き合い続けている

繰り返しになるが
嫌な記憶から
逃げるのだけでは
苦しみはなくならない
向き合うこと
傷跡に触れることは
恐いかもしれないし
痛いかもしれない

でも
生きていく中で
この作業は
ずっと大切なこと

向き合った先には
必ずの幸せが待っている

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