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市民との対話「考えていない」2023年9月28日、原爆投下責任論議「棚上げ」発言を受け、平和公園ガイドが要請

広島市の幹部が、米国の原爆投下責任の論議について「棚上げにする」と発言したことを受け、連日、様々な人たちが市に対して要請や申し入れを行っています。今日9月28日は、平和記念公園で修学旅行生らにガイドをしている人たちが、要請文を持って訪れました。例によって粗々のテキスト起こしですが、共有します。太字やリンク等はわたしが加えたものです。(初出以降敬称略)


平和学習講師団・辻隆広さん:

講義及び要請書として、読み上げさせていただきます。広島市長松井一実様、被団協平和学習講師団(平和公園ガイド)からです。抗議及び要請。原爆投下の責任を問うことを棚上げし、市民不在で前のめりな、広島市の姉妹公園協定における「和解」方針の提示に抗議します。

1.広島市の平和記念公園と米国のパールハーバー「国立記念公園」との姉妹公園協定をめぐり、市民局長が21日の市議会で「原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点では棚上げして、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図っていく」と答弁しました。私たちは、この答弁を、広島市が、ヒロシマの心に向き合うことなく、市民不在で進め「和解」に前のめりにふみこんだ方針であることを批判し、抗議します。

2.さて、1945年8月6日、広島市ではアメリカ軍の原子爆弾攻撃によって、市民が暮らすまちで多くの一般市民が殺害されました。広島平和記念都市建設法による平和記念施設として、多くの一般市民が戦争下の日常生活をおくり、無残にも殺されたその土地の上に広島平和記念公園はつくられ、その土地の記憶を伝えて今に至っています。今回、広島市が提案した「和解」方針は、そのような平和記念公園の土地の記憶に向き合っているとは思えません。

3.土地の記憶とは何か。たとえば、平和記念公園の本川沿い緑地に大きな自然石でつくられた慰霊碑があります。「広島二中原爆慰霊碑」です。当時中島本町(爆心地から約600m)で、建物疎開作業中だった二中1年生(12、13才)は被爆し、ほとんどが即死でした。その碑は、戦災と原爆で亡くなった広島二中の職員・生徒の慰霊のために建てられたものだそうです。裏面に犠牲となった多くの生徒・職員の名前が刻まれていて、私たちが、子どもたちをガイドしてここへ連れてきてそのひとり一人の名前を読むと、碑を見学する子どもたちの表情が変わることがわかります。

子どもたちや教員の名前がびっしりと刻まれた広島二中の慰霊碑

4.8月6日、中島で行われる建物疎開作業に動員された広島県立第二中学校の生徒は、朝8時、新大橋(現在の西平和大橋の辺り)の東詰めから上の本川筋の道路に集合し、一学級から六学級まで二列横隊で東を向いて並び、点呼を受けていました。

「河野幹雄くんは、ピカッと光ったなと思ったときから目が見えなくなり、山田哲司くんは、数人の同級生が爆風で本川の中に吹きとばされるのを見ました。故選浩行くんは、突然、大きな音といっしょにあたりが白いけむりでいっぱいになり、近くの建物がこわれて、木やレンガが飛んできて、みんなその中に埋まったといってます。四学級担任の箕村登先生が「血路は川だ、川にとびこめ」といわれたのを、たくさんの生徒が聞いて、満潮の本川に三、四メートルの高さの土手からとびこんでいます。」

猛火が一年生たちを川に追いやりました。逃げ場は川しかありませんでした。新大橋近くにあったがん木には、近くにいた女子中学生、地方義勇隊の人たち、2千人もがおしかけたといわれます。川におりる石段は、やけどした人でうずまり、一学級の正木侃くんのように、石段の途中で息絶えたものもたくさんいました。広島平和記念公園は、こういう事実の上に成り立っている場所です。

5.前述のように、平和記念公園とパールハーバー「国立記念公園」との姉妹公園協定をめぐり、市民局長が「原爆投下に関わる米国の責任の議論を現時点では棚上げして、まずは核兵器の使用を二度と繰り返してはならないという市民社会の機運醸成を図っていく」と答弁しました。局長は、市議からの「協定は原爆投下や核抑止論を肯定するのでは」との質問に対し、「和解の精神とはあくまで現時点では責任に関わる議論を双方で棚上げにして、二度と戦争の惨禍を繰り返すべきではないという考え方」とも述べました。

6.人類を破滅させる核兵器の開発・製造・保有・おどし・使用の問題は、国家の責任と市民による監視との緊張関係の中にあります。国家の責任を問わず、市民社会の機運醸成を求める広島市の方針は、市民を守るべき地方自治体としての責務を捨ててしまうことにつながります

7.重ねて、22日の市議会で「棚上げ」の意味について、市局長は「一般的に問題の解決処理そのものを放棄するものではなく、あくまで事情に応じて一時的に保留するというものだと思う」と説明しました。被爆の実相・核兵器の非人道性を根拠にした原爆の投下責任をアメリカ(国家)に問わず「棚上げ」し、ただ広島市のいう「和解」「未来志向」にのみ前のめりである姿勢がよくわかります。

8.今、日本政府は、「核兵器のない世界を追い求め続ける」とし、核兵器廃絶は遠い未来の目標としていますが、広島市においても核兵器の非人道性を問う声を保留(棚上げ)するならば、それは核兵器廃絶を遠い未来の目標とすることと同様です。核兵器の非人道性を問い、直ちに核兵器廃絶へのプロセスに移ることを世界に発信する多くの世界の市民がいる時代に、残念ながら、市民に任されて平和行政を担う広島市が、広島市民の歴史的遺産である平和記念公園から核兵器の非人道性・原爆投下の責任を問う声を奪おうとしているように見えます

9.私たち平和学習講師団は、以上のように考え、ここに、原爆投下の責任を問うことを棚上げし、市民不在で前のめりな広島市による「和解」方針の提示に抗議するとともに、広島市としてアメリカ政府に原爆投下責任を正面から問うていくことを要請します。以上です。

少し付け加えると、今まで要請とかいろいろ質問という形で何度かさせていただいてるんですけども、そのときは今回の協定について一番最初は協定締結に応じる、というので来ました。それでその後は今回の評価という問題があるということで、いろいろわからないことが多いということがありまして、いろいろ質問をするために来させてもらったんですけど、それがずっと今の経過であったと思うんですが、今回の広島市議会の発言を見て、申し訳ないんですけど、やっぱり今回の全部文脈を読んだ上でのことなんですけど、「棚上げ」っていう言葉に非常に、まず腹立つという前に、何とも言えない何か恐ろしさもあったし、「やっぱりそうなんだ」っていうのもあったりします。

なぜかというと、それまでに何度か話をした中で、今回の協定にはかなり無理があるんじゃないかと。広島の原爆のことをきちっとするっていうのが見えない中で和解とかそっちの方に走ってないかって話も今までしてきたと思う。ですが、その中でのその「棚上げ」っていう発言だったので、これは非常に重いなと。

昔たちが考えている、平和公園でいろんな人として取り組んできた今の広島のいろんな経験が割とあっさり、ということはちょっと表現悪いかもしれないけど、横にやられてるっていうことを、今回は非常に感じましたので、やっぱりすぐに声を上げるのが私達がやるべきことだろうと思って今日をこさせてもらっています。

野坂正紀・国際化推進課長:
わかりました。ご意見いただいたことは、関係職員、関係各部門にもきちんとこういう要請文ということでいただいたという情報提供をしておこうと思います。

辻:
抗議ってことも伝えてもらうのはもちろんそれはお願いしていました。それは今お話あった通りだと思うんですけど、要請としてね、やっぱり広島都市としてはですね、原爆投下責任を正面から問うっていうことを、逆に今回のことが、これだけの問題提起してるわけですから。改めてそこをきちんとしていこうっていうことについては、なんらかの返答ってもんじゃないすね、市民との何ですか、いろんな話し合う場を必要という意味も含めて、そういう場を持たれるんですか。まず、今日は難しいでしょうけど、要請っていうことですから。


辻隆広さん

課長:
市民の方と話し合う場というのが、今まさにこういう場もそうです。さっき辻さんもおっしゃって、今回4回目ですよね。きちんとお話は聞いてますし、ご納得はいかないかもしれませんけど市の立場というのをお伝えさせていただいています。なので、市民の話し合う場っていうのはもちろん、こういう形で来ていただいたりとかですね、そういうのはやってるつもりです。私としては。今までちゃんと話しあいはしてますね。

辻:
はい、はい。こちらの話し合いの場をお願いしたときには、必ずこうやって場を持っていただいているので。

課長:
それを話を聞かせていただいてますし、いただいたお話っていうのはちゃんと何か関係してる職員の方に伝えておりますので、そういった中で、なかなかご納得はいかないかもしれないですけども、私達は市としてこういう風に考えてきたんです、こういう風に考えています、こういう風に今後やっていこうと思いますっていうのは、今できている。私もこういうふうに、ご意見聞かせていただいたりとかですね、こういう場を設けて、逆に広島市の考えをお伝えするってのはすごくいいことだと思いますので、引き続きあればいいなと思ってますので、そこは全然私拒んではないと思いますし、お話できればいいなと思います。こうやって意見交換することでですね、お互いこう、理解がちょっと近づいたらいいなと思うんですけど。

辻:
申し訳ないですけどね。広島市っていう大きな、私も広島市民ではあるんですけど、大きな何かブラックボックスがあって、そこへ向けて声を上げてるだけっていう、だから言うてもちゃんと元気出してくれてるんですけど、これがね、これからの子供たちにとっても必要だと思って活動してるんですけど。どうも今、自分が住んでる広島市がブラックボックスに見えてしかないっていうのが実感ではあります。だからそういうことも受け止めてもらったらと思うんですね。広島市と行政に事態がどう見えてるのかっていうのも、私達思ってる部分。

佐久間さん:
そもそも最初の段階になるんですけど、市民との話し合いをしてるとか市民の意見を聞いてるっていうけど、協定を結ぶ前に市民からの話は全然聞いておられないですよね、市民の意向は。そもそもそこの話し合いなしにここに来てるから余計にね、もうなんか割り切れないものっていうのがあるんですよね。元々の出発の段階から結論ありきで来てる。だからそこの市民の意向っていうのはどう受け止めようとされてるか。そもそも協定を結ぶまでの段階の市民の思いを、読まれたことあるかもしれないんですけど浜井市長が『原爆市長』っていう本を出されていますよね。平和公園を作るときにも苦労されて、もうすごい怒りの中、怒りも持ちながら苦労されて作られてますよね。それを考えると、そんなに簡単に協定が結べられないなと私は感じたんですよね。

忍岡妙子さん:
市民の声を聞く場として、今おっしゃっていただいたので、これはもうしっかり言わなきゃいけないなということを、とても強く思っています。私が言いたいのは、私達公園のガイドをやっておりますが、その多くは元教員です。教員の世界、学校の世界でね。やはり何かというか、日常的に生徒同士のトラブルもあります。そういうときに当事者双方のいろんな事情を聞きながら、背景も聞きながら、その上でお互いの気持ちを出した上で納得のいく解決の方向っていうのを、探る。そういうことをやってきました。それが教育の場で、あるいはその後ろにある保護者たちの思いだと思いますけどね。

そういう中で、過去のことはいいんだ。いろいろあるとは思うけれども、未来志向で、とにかく仲良く和解でいこうと。聞き入れられるわけないと思います。そういう常識的な立場から考えてもね。今回の棚上げという言葉がとても象徴的に出ていると思うんだけれども、まさに私達の本当に日常生活の感情からは離れた認識だなと思います

二つ目は、退職してから15年。平和公園でガイドやってるんですけれども、そこで私達がやっているのは、観光ガイドではありません。今これからも行くんですけど、私達が子供たちに伝えたいと毎日毎日喋っていることは、広島がどういう歴史をたどってきたか。戦争・加害も含めて。その上で、広島が戦争の中で果たしてきた役割、そういう広島で今私達はどういうところに立っているかっていうと、これは市の施設としてちゃんと追悼記念館でもありますけどね。


普段使っている説明資料を掲げて説明する忍岡妙子さん

今、生徒たちが立っているそこが、地下に何があるか。今現実に本当に無差別の殺戮の上のその廃墟の上に立っている。そういう認識の上に、今また現実の世界を見たときに、私達はとても平和だとは言えないような状況にあります。核兵器の恐ろしい状況の中です。オバマさんが何年か前に来ましたよね。そのときに、ちょうど広島の資料館の下、発掘調査をやっていました。本当に現実を見て、市民がどのような殺され方をしたとか、そういうことが一番よく見える場だったと思うんですが。そこを見てもらえ、と思いましたけれども、広島市のやったことは、綺麗に戻して、簡易アスファルト舗装をして何事もなかったかのように、オバマさんの目には入りませんでしたね。そのオバマさんはこういう現実を反映して持ってきたものは核のカバン。これを大統領の役割としては当然なんだろうけれども、それを広島に持ち込みました。

こういうことも私達は生徒たちに話をしています。広島の過去・現在。未来志向というならばね、やはりこういったことを子供たちに知らせた上で、その上で、子供たちがどういう未来を作っていくか。それを考えさせるのが、未来志向だと思います。この間の姉妹提携の経過を見ましたときに、棚上げという言葉にすごく象徴されていると思うんだけど、そういうことをあやふやにしたままで、平和、和解というのは、やはり広島市民の立場としては納得できないものがあると思います。私はそう思います。

そういう市民の感情をもっと大事にしていただいて、いろんな場でそういう声を聞いていただいて、ことを進めていただきたいな。まず本当に市民の声は、しっかりプラス面もマイナスでもあるかもしれないけどね。そこを聞いていただきたい、その場を作っていただきたいと。思います。

山根岩男さん:
姉妹協定の話を聞いたときにもびっくりしましたけど、今回の棚上げはもっとびっくりというか、腹立ってっていう感じです。その点で言えばね、協定をあれするっていうことで言えば、それこそ、戦争責任については、棚上げではなくて、今からしっかり議論をするという。市も、市民も含めてに議論をする。これこそ求められているんじゃないかなって思うんですね。その点ではね、私達もいろんな形で議論を起こしていくっていういうことは取り組んでいきたいなとに思います。

大内正子さん:
はい。話し合いを持つというお気持ちはあるっていうのはわかったんですけれども、私達は私達が求めてここに話をさせていただいてるわけなんですけど、一般市民から見ると、仕事されてる方とかいろんな状況があってね、なかなか市の思いとか考えとかが、まだ伝わってないと私達は思うんですね。以前にも「市民と市政」などに、そういうこのたび、棚上げがあったんですけれども、こういうふうな思いなんですよっていうことをぜひぜひ多くの市民に知らせていただきたいなと思います。そういうことがなくって先ほどから言ってるようにこの協定が結ばれたことやら、このたびのこういう問題とかが出てきますと、ますます私達が国際市民局、国際化推進課に対しても、何かあの不穏なというか、はいアメリカの言いなりになってるんじゃないかとか、はい。

広島市として平和行政を進めていく上でも、そういうきちんとした方針っていうのは、ちゃんとないんじゃないかというふうに思ってしまうんですね。ぜひぜひ私達も要請しておりますけれども、ぜひぜひ市政の方から、市の方から市民に働きかけるっていうところもやっていきいただきたいなと思います。


野坂正紀・国際化推進課長(正面向きの右側)

課長:
わかりました。議会の方でも、今後この協定に基づいて、どのような交流をするかというのを考えております。私の中で考えて先方とも話し合って、協定がですね、意義あるものになるような交流を考えていきたいと思ってるんですけども、その内容についてはですね、例えば市のホームページなんかでですね、こういうことをやろうと思ってますというのは公表しようと思ってます。

実際その交流があった後もその交流がどんな内容だったのか、そういったところも公表するようにしてですね、その方にもご理解いただいて、やってよかったなと。この協定結んでよかったなというような、情報は多く出していきたい。

大内:その辺のホームページになったりするのは予定としてはいつとかありますか。

課長:
まだその交流内容自体を検討する段階・・・。

大内:
これ1ヶ月前に私達が9月1日に来たときも、同じ回答を得たんですけど。1ヶ月で動きがないということですかね。

課長:また来年度の交流に向けて今考えてまして、それが予算が伴うものでも、あれば当然それは議会に諮って、予算を確保してという手続きになります。そうなると、通常市の議会の流れでいきますと2月議会に、2月から3月にかけて行われる予算特別委員会というところで、こういうことをするからこれだけの額を変更しますというのが出ますので、そのときに議会の議員の皆さんにそれをご審議いただくということになります。

それが適正ではないということであればそれは否決されるするし、議会の中で話し合われて、それはいいですねということであればその予算は、通ると思います。そういったところはあの場で今から出てくると思いますので、新規で予算が伴うような言語授業であれば、だったところで皆さんの売れるのではないかなと思ったし、先ほど申しましたように、事業が実際に実施されて、その結果なんかも公表はしていきます。

佐久間:
すいませんね。私の感覚としては、実際に被ばくした人の思いとかいろんなものと、それからもそれを知らない、もう戦後生まれでそういうことを知らない人の感覚っていうの原爆に対してもね、若干ズレがあるし、だんだんに薄すれてきているように思うんで、があるしだんだんにズレてきてるように思うんですよね。交流するときに、戦後生まれでそこまで感覚が悲惨なことを感じてない人のところに焦点を当てるとね、ものすごいぼやけたものになると思うんですよね。だけど実際には本当にね、被害を受けた人の思いっていうのを忘れてはいけないと思うんですけど、それがないから今みたいなことになってるようにも思うんで。そこら辺はどういうふうに考えておられる。交流する時、被爆者の人の思いをどういうふうに反映させていくかっていう。

課長:
まだ交流する内容を決めてないというのはご説明した通りですけども、これはあくまで例えばですね、例えば、パールハーバー、ホノルルから若い人が来られて、広島で何が起こったかわからないという方がおられたら、被爆者の方の証言を聞いていただくとか、資料館に行って被爆の実相を見ていただくとか、そういうのは当然交流のプログラムの中に入ってくるんじゃないと思います。

佐久間:
私ちょっと今年ベトナムに行って、そこの戦時博物館に行ったんですよね。ベトナム戦争のことが、もうアメリカの写真か何かのちょっとした写真なんかもう、やっぱりどれだけ戦争が酷いことなのかっていうのがね、すごいちがう。広島の原爆資料館見たときにちょっとあっちみたときにえ?とか。また原爆って、一瞬ね原爆ってそこまで良くなかったのかなというのは頭を横切ったんですけどね。

そういう写真、写真とかそういうものがね、全部。もう本当に追及しないようにっていう感じのものばっかりされてるから、その実際に来て、アメリカから来てみてもね、そこら辺が感覚としてはすごい、そんなに大したことはないかなっていうようには思わないと思うんですけどね。ただ、そのベトナムで見たみたいにも、なんかもう見るに耐えないような写真がばーっと出てますけどね。

辻:
今言っちゃったことは内容は全部は知らなかったんですけど、ただ要するにそれぞれの国がどう戦争のことを伝えるかって大事になってくる。もしまた、原爆の特徴としてはやっぱり市民が大量に虐殺されたとかいう問題について、どれもこれも同じが使えない、それぞれのちゃんと背景をちゃんと。そこを広島は広島のことをしっかり見つめながら、ちゃんと通じる言葉を持たないけんと思います。だから、今のところ、今回「棚上げ」の言葉、申し上げないですけど、どうも言葉がヒューといってる、軽くなってしまってるんじゃないかなって今の体験が今あまり伝わってないんじゃないかっていう心配したのは多分そういう言葉の使い方からですね。

まずは交流のしっかり内容を掴んでもらって、伝えてもらうこと。要請の引き続きの先を、これからの取り組みのこともまだこれからだということも、残念ながらそれはずっと1ヶ月2ヶ月待ってるんですけど、予算のことを絡めてって話になってくるとちょっと違うかなとは思うんですが、それはまた、これは話をするときはあると。

大内:
すいません、これは市長さんとか、市民局長にもきちんと読んでいただけますよね。

課長:
はい。

大内:
ぜひお願いいたします。

左から佐久間さん、辻さん、忍岡さん、大内さん、山根さん


課長:
またこうやって、なかなか意見の溝は近くならないかもしれないですけど、こうやってお話するのは、最初に申し上げた通り、全然私は拒むものではないですし、お互いの意見をこうやって話しするってのはすごく大事だと思うんです。またさっき言ったように交流を考えてるっていう中でですね、ちょっとご意見とかいただければですね、それまた参考になるかもしれません。なので、またこういうふうに機会を持つのは全然私は拒むものではございませんので、また何かあれば、ぜひこういう話させていただきたい。

辻:
一緒に作れるところを作っていける部分があると思うんですね。二中の碑のことを紹介させてもらったんで、もう知っておられるかもしれないですけど、みんながそういうところに足を運んで、証言とか読みながらいろいろ、いい意味での想像力を働かせることが大事だっていう時代だと思うので、そこら辺はそれぞれのところで、勉強って言葉がふさわしいかわかりませんけどして行きたいと思いますね。

忍岡:
はい。ちょっと、こうやって私、ごくごく少数でお話聞いてもらったりしているんですけど、例えば一般市民を対象にした、ちゃんと予算のついた案が議会に出される以前に、公聴会というような、広く広くまず基本的に市民がどう考えているか。市としてはこう考えているんだということを紙面とかホームページではなしに、生に対話ができるような、そういう知らしめ方というか、はい。そういうのは考えておられませんか。

課長:
今のところは考えておりません。ただ、それはちゃんと議会に対して説明しようと思ってますので、公聴会という形は今考えておりませんけども、そういう形できちんと議会の方で、市民の代表の機関である議会の方にですね、予算が伴う収益事業については、ちゃんとお諮りしてですね、そこできちんと審議をしていただこうと思っています。

大内:
私達、11月11日、平和公園の成り立ちとか意味についての学習会を行うんですね。いろいろ資料も今集めたりしてるところなんですけど、ぜひよかったらそういう会にも来ていただいたらいいですし、はい。その資料がその交流に何かお役に立つんなら、ぜひ提供もさせていただきたいと思っております。

課長:
ぜひそういう意見っていうのはまたいただければ、はい。


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