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2023年7月7日 広島市長会見 真珠湾×ヒロシマ 「和解の精神」「4期目なので」

広島市長の定例記者会見が7月7日、広島市役所でありました。8月6日の広島原爆の日を1カ月後に控え、広島市のいわゆる「平和行政」に関するさまざまな質問が、広島市政記者クラブ所属の記者たちから投げかけられました。特に、6月22日に公表され、6月29日に調印に至った、米ハワイ州真珠湾の国立公園と、広島市の平和記念公園との間の姉妹公園協定の締結関連についての質問が相次ぎました。

安佐南区上安町の不安定な盛り土問題についても質問がありましたが、今日は取り急ぎ、平和行政に関する部分の質問と回答について、テキストを起こしました。

戦禍を経て、「和解」とは「平和」とは何か。そして「ヒロシマ」とは何か。そういったことについて、現在地を示唆する内容だったので、その部分を共有します。

広島市政記者クラブと広島市の共催の広島市長会見の様子


記者(代表質問):平和記念公園とパールハーバー国立記念公園との姉妹公園協定について。先日、平和記念公園とパールハーバー国立記念公園の姉妹公園協定を結ばれました。協定締結の感想や意義、協定を生かした今後の方針について、改めて市長のお考えをお聞かせください。また、協定を結んだことについて、賛否様々な声が聞かれます。それぞれの声について市長の受け止めをあわせてお願いします。

松井一実・広島市長:
まず協定締結の感想、方針ですね。先日の調印式におきましてですね、ラーム・エマニュエル駐日米国特命全権大使がその場でお話されることを聞いておりまして、その大使の受け止めはですね、このたびの協定締結は、オバマさん、バイデンさん、カーターさん3名の米国大統領、カーターさんはね、現役ではないということでありましたけど、お三方が広島を訪問した際の副産物と言いますかね、そういった表現をされたように思います。

そして、その協定締結の意義については、日米両国の人々が、両公園を訪れて和解の精神を学ぶことを期待するものであるというお話だったと受け止めました

そんなことを聞きながら私自身は、戦後78年を迎えようとするこの現時点でですね、かつては敵味方に分かれていた日米両国の市民が、ともに和解の精神のもとで、未来志向で、交流を深めるきっかけとしてですね、姉妹公園協定を締結することができるようになったなと受け止めました。そのことについて大変感慨深く思ってるところでもあります。

したがって、こういった協定、今後どうするか。取り組みでありますけども、まずは両国の次世代を担う若い世代がお互いの歴史を学ぶ。核兵器のないより良い未来の道筋を描くことができるような交流とかですね、企画、その実施について米国側と検討していきたいと思います。

その上で、とりわけ次世代を担う若い世代の交流促進ということに関しては、和解の精神に通ずる施設などを仲介にした世界の各都市、例えば、この場合は平和首長会議加盟都市ですね、そういったところとの協定締結といったようなことも視野に入れた取り組みを検討できればなと思っています。

世界中でですね、国が争った後の施設をですね、使って今後仲良くしようと言っているところはたくさんあるんですね。そういったことに関して我々、ある意味でモデルケースをですね、作りましたから、そういったことを広くやっていくということはどうかなと、考えながらやるかなと思っているという状況です。

そして、協定結んだことでですね、賛否いろんな声があってということであります。

新聞を見させていただいて、賛否両論あるなということは受け止めておりますけれどもですね、私自身は、読んだ限りにおいてですね、この協定締結に賛成していただいてる声については、ある意味で未来志向、こういうことに立った上で、核兵器の使用ということをね、二度と繰り返してはならないという、この市民社会の機運醸成を図っていくことが重要であるという考え方をですね、支持する、そうだなと受け止めていただいてる、そういう意見じゃないかなと思っています。

一方、否定する声に関しましては、早すぎるんではないかですね、とか両公園の歴史的な位置づけが違うとかいったことを理由とされております。そういう意味ではですね、前提となる条件が整ってないんじゃないかということをね、強調されている意見と受け止めていいんじゃないかなと思いました。

その上で、私としては、市長になりまして12年間これまで、ずっと「迎える平和」という考え方でいろんな取り組みを進めてきている中にありまして、いわゆる否定する立場というものを強調されてる理由、そのものを否定するわけではありませんけれどもですね、和解の精神、これを重視した対応をすべき時期に来ているんじゃないかと判断いたしました。

したがって、二度と戦争の惨禍を繰り返すべきではないという考え方をですね、双方で共有する絶好の機会が来たんですからね。これを逃すことなく、大切にしていこうということで協定したと理解いただきたいと思います。

記者:
今の説明にあった和解の精神を重視するべき時期に来ているというところにも関連する質問なんですけど、市長は議会の答弁の中でも、2017年ですか、オバマさん来られた翌年にハワイの県人会側からも、この姉妹公園都市締結の打診があったけど一旦断られたと説明されてまして、その間どういった形でこの機運が醸成されて、今回締結の判断に至ったかという部分について改めて。

松井市長:
先ほど申し上げたように、議会でもね、言われたけど私は「迎える平和」を重視して多くの方々に来ていただく、各国首脳とかですね。いろんな市民の方に来ていただいて、被爆の実相を見ていただき、そして、できれば被爆者の証言を聞いて、こういったことがあってはならない。そしてあってはならないということを、加害者・被害者の立場を超えて全人類としてあってはならないという受け止めをしてくださいということを、慰霊碑の碑文の説明のときにさしていただきましたが、ずいぶん多くの方に言ってまいりました。


松井一実・広島市長

そういう意味では、加害者・被害者の立場を超えて、全人類として未来志向でことを自分なりにしっかりと伝えてきたので、その伝えて来たことの一つの証として、まだ市長になって時間がたってない段階で、あったときには、しばらく検討するためにということでお断りしたという経緯がありますのでね。もう4期目に入りましたしね。私自身とすれば、自分で今の気持ちを多くの方に伝えてきて、条件を整える努力をしてきたと判断してやったということであります。

記者:
もう一点、古い話になるんですけど、広島市は浜井市長の時代に、ホノルル市との姉妹都市提携というのを1959年に結ばれてる。まだ原爆投下直後、10数年しか経ってない中での、かつての敵、真珠湾攻撃の場所で協定締結というのは、今ご説明された和解による平和とか、未来志向という部分とも重なる点があるかなと思うんですけど、そのあたり一応今回締結に当たって意識されたところがあるかどうか。

市長:
今言われた1959年当時のことについて背景理由、なぜそうやったかっていうのは、実は役所で調べてもよくわかんないけど、手続きは残ってますけど、根源的な理由、なぜかということはね、正確にはわからない。ただ、事実関係とするとアメリカとの姉妹都市提携があったということを契機にその後今度はソ連との姉妹提携もやってるという事実もあります。相当、国際的なバランスも考えてやったというのがあるかなという思いはしてますけども、検証したわけではない。

私自身は、そういう意味で、このたびの協定というものが姉妹都市提携を締結したという、そのことよりも、その後の、締結から後の年限にして64年間にもなるんですけど、その間の広島市とホノルル市のいわゆる市民交流、実際に平和教育、経済、文化等々いろんな面で交流を重ねてきておりますので、いろんな意味でのやり取りがあり、これが積み重ねてきて市民ベースでの交流がしっかりできていると受け取りました。

そして、この交流の実績を積み上げたということは、先ほど申し上げた和解の精神が双方に十分行き渡ってきてるんじゃないかなと思うんですね。2017年の段階でホノルルの県人会の方からあったときには、まだと申し上げたんですけど、それからまた経ちましたから。どうでしょう。そのときの提案を生かすタイミングが来たと捉えたと受け止めてください。

記者:
先ほど賛否わかれてるというか、被爆者の中でも賛否、好意的に受け止めてらっしゃる方もいれば、否定的な方もいらっしゃるという中で先ほどの前提となる条件が違うとおっしゃいました。こういったその前提となる条件を超えてこの公園協定っていうものが未来志向に繋がるにはどうしたらいいものか。

松井市長:
前提条件が違うという言われたご意見があるので、向こうが軍事施設で、こちらがそうじゃない破壊された施設が違うんだからっていう、これ事実ですからね。これを今から変えることはできません。ですけど、平和を追求する上で重要なのはそういった施設を破壊するという行為、周辺におる人の命を狙うという行為、都市を破壊する、あるいは人命を奪うというその行為そのものについて、二度とそういったことをしないようにしましょうと。その声で破壊されたものは何だからそれはいいんだとかっていうふうには多分皆さんおっしゃらないと思うんですね。

ただ、特定の国が戦争状態の中で、多くの無辜の市民を殺したと。それについて、その後、それは正当防衛だというのはね。戦争やめさせるためだというような説明を加えて、相当その主張を繰り返してきた、そのことに関してもある意味で、非常に無謀なことをやり続けた相手とね、そんな簡単にね、はいそうですかと言っていいでしょうかという気持ちがわかんなくありません。

だけど、それを言えばですよ。平和な世の中を作ろうと言ってるこの言葉をいつ、どういう形で、その当事者として結べるんでしょうね。それ以外の方と仲良くするけど、そういうことは絶対しないということになってしまうじゃないですか

最初申し上げましたように、このような思いを誰にもさせてはならないというのは、全人類、そういった方も含めて、その後継者ですね、その方いませんよね。その国におられる今の方々と仲良くしていきましょうということ。やる他ないんですね。だからそのタイミングをどこにするかということでやり続け、和解の精神というものが培われたというタイミングでというふうに、自分のその主張の歴史からすれば、3期目、4期目に入りましたから、その間、努力をしてきた一定の成果を踏まえてやるタイミングじゃないかなと思った

私も、何十年もね、これからやるわけでありませんし、後者に託すという道もあるんですけども、そこは申し上げましたように、被爆者の方々もね、だんだんいなくなって、78年だというそういったことも勘案すれば、今のタイミングでやることが重要じゃないかなと思ったということです。

(盛り土関連の質疑)

記者:先日ロシアのメドベージェフ前大統領が核威嚇するような発言を行ったと思うんですが、市長さんどのように受け止めていらっしゃるか。

松井市長:
私自身、各国の首脳が発言したことについて、いちいちね、コメントするという立場では本当はないかと思うんですけども、今言われたように、核兵器に関しての話なんで、どう思うかということだというふうに受け止めたいと思います。

直接聞いたわけじゃないですけど、原爆を投下すればね、戦争は終わらせられるといった趣旨の発言だったと受けとめました。これ自身、どう考えてもですね、今までもずっと説明してきております「ヒロシマの心」に通ずる、こんな思いを他の誰にもさせてはならないというそういう思いをね、ある意味では、明白に踏み躙ったと思ってます。

だからどうしろというわけじゃないんですけど、その発言そのものはね、そういった類ではないかと思います。そのことからもですね、私自身の思いなんですけども、そのいわゆる核兵器をコントロールすることができる立場にあった方ですよね。そういった方が、核兵器そのものは、今度のG7の広島ビジョンありましたようにね、あそこで書いてあったのはですね、自分たちG7が取ってるいわゆる安全保障に関する論理はね、核兵器はそれが存在する限りにおいてはね、脅したりとかね、使用するとか、といったことにね、利用すべきではないという考え方のもとにやってる。つまり、眠れる伝家の宝刀で使わないんだけど持ってるだけにすべきだという考え方で安全保障をね、組み立てるという文書ありましたよね。

ですから、核は持ってるけども使わないんだということで、核兵器が存在する限り、自分たちを正当化しようとするような考え方。それは核兵器をそのまま持っていることを正当化するんじゃなくて、理想的な持ち方をすべきだと言ってるんですけども、この発言はですね、その理想的な持ち方そのものを打ち壊してますよね。まさに、脅しに使うとかね。いうことじゃないですか

ということはですよ、すべきだという理想を求めながら、各国首脳が言うんですけども、それをやらない、実施しない、実行しない為政者がいるということを証明したわけですよ。ということは、核抑止論そのものがね、ある意味で成り立たないんだということを証明したんじゃないかと思うわけであります。それが、理論的な帰結であります。


会見に臨む松井一実・広島市長

ですからそういう意味で、世界の為政者は今「前」ということで、核兵器のボタンは持っていないということなのかもわかりません。しかし、そういうことをやった人がね、言ってるわけですから、そのときでも持ってたらわからないということでありますので、まさに現為政者ですね一刻も早く、核兵器廃絶に向けた具体的な取り組みをやるべきだと、やらなきゃいかんということを改めて皆さんに意識させるということなんじゃないかなと思います。

(中略)

記者:
平和市長会議についてお尋ねします。国内加盟都市に青森県むつ市が8月に加わるという見通しになって、国内の加盟率100%まで残り2市となりました。今後残る2市に加盟をどのように働きかけていくのか。また加盟率100%を達成した後に、新たな活動展開をどのようにお考えなのかを。

松井市長:
実は、国内100%加盟を目指すとしたときの思いはですね、国内の少なくとも全ての自治体に、ヒロシマの心をわかっていただき、根づかせるためのベースだと思ったわけであります。そして、そうしていただければね、広島の取り組みに共感して日本全体がね、「ヒロシマの心」を訴えてますよということをいろんなところで使えるから、思って参りまして、ようやく、あと2都市となったわけであります。

したがって、100%になれば、当初の思いを実現すべく、今やり始めてますのは、平和文化の振興ということで、例えば広島の市内では11月を平和文化月間にしてね、平和文化を振興しようってのやってますよね。だから、100%上がれば、全国に向けて、1年のうち一定の期間をね、平和文化を振興するための取り組みをしましょうということを、全国の各市町村に向けてお願いできるようになりますよね。等々ですね、まさに「ヒロシマの心」を国内で広げるための絶好の機会が訪れるということになってます。

あと2都市はですねそれぞれ、もうちょっとなんですけど、首長さんの理解がもう少し頑張ってないと、主にこういったことをやるとね、政治闘争のね、具にされるみたいなことを思われてるのかわかりません。私は、そういったのは乗り越えてね、政治というものは、究極、国民の安全・安心を求める際のですね、いろんな方法論を考えるやり方なんで、目標値は一緒なんだと。その目標値のところを共有しましょうと言ってるんだから、問題ないんじゃないですか、ということで、多くの都市に協賛いただいて加盟してきてます。もう一息だと思います。

記者:
先ほどパールハーバーの話の中で松井市長の被爆の実相という言葉を使われたと思います。これも以前から、例えばG7サミットで首脳に被爆の実相を見てほしいという話をされたと思います改めてお伺いしたいのが、原爆の日まで1カ月切りましたし、松井市長の考えられる「被爆の実相」とはどういうものを指されるのか。

松井市長:
実相…。私自身は、原爆が投下されたときの話を、慰霊碑の前でね、ここから北東に300メートルね、上空600mのところでね、原爆が炸裂してね、地上で4000度から5000度のね、熱風、風も吹いて晒されたと。そういった中でですね、想像してみてください。その直下にしていた人ね。生きてると思いますかと。即座に命を絶たれるでしょう。そして、その真下というかその下にあった原爆ドーム、残ってるのは奇跡なんです。圧力とかね。熱とか風とかで倒れるところ、たまたま上から来たんで下に地上があったんで、骨組みが残ったという。

そういうことがあったという。残しますけどもね、ここで多くの命が失われ、建物もなくなり、都市が灰塵と帰したと、こういう思いです。そして、もう一つ瞬時にして、ひとものがこの地上から消し去られるということと加えてね、かろうじて生き延びた人、この方々も、実は放射能の被害にあってですね、障害という形でいつまでもですね、苦しむ。

まったく戦争行為と関係ない、その戦争行為が終わってね何十年もですね、自分の身体にそういった病理現象を抱えさせられると、これが原爆を使うということの結果なんですよと。「被爆の実相」と言われる、いろいろ言うと〓になりますけども、これがすべてだと思っています。

(以下、別件質疑)


松井一実・広島市長


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