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マスクの話をしよう。

マスクをつけなくなって半年近くになります。機内+αの「料金等を支払済であっても、マスクをつけなければサービスを受けられない場合」を除き、顔を出して(変な表現ですけど)過ごしています。

先日1ヶ月ぶりに飛行機*に乗り、やむなくマスクをつけたとき「圧迫感がある、耳まわりが窮屈、熱い、熱がこもって頬が火照る、息苦しい、自然と口角が下がる、人目を意識しない表情になる」など、ネガティブな感想や再発見しかありませんでした。

唯一のポジティブな感想といえば、「存在感のある小鼻が隠れるため美人風に見える」くらいでしょうか。でも、私はマスクでコンプレックスの鼻を隠すよりも、笑ったときに鼻が横に広がろうと、表情筋をフルに動かして爆笑する自分の方が溌剌としていて好きです。

*搭乗後は「ほかのお客さまのご不安解消のため、マスクの着用にご協力お願いします」とのアナウンスを4度ほど繰り返し聞かされるのも、2020年以降変わりません。2020年以降、1〜2ヶ月に一度は飛行機で日本各地へ移動して生活していた私は、耳にタコができるほど件の文言を聞いており、その度に「マスクの目的とは一体?」と困惑し続けています。

中川淳一郎さんと再会後、素顔に戻る

私がマスクをしなくなったのは、2021年11月初旬、唐津で暮らす編集者、プランナーの中川淳一郎さんのもとへ遊びに行ったことがきっかけです。

私は上のような理由でマスクをつけるのが苦痛で、かつ健康体すぎて風邪を引くこともないため、つける機会は近年ありませんでした。2020年以降も、自分は健康な心身だけが取り柄だなあと感じるくらい、相変わらずとても丈夫です。

ただ、2020年4月以降の東京は、ノーマスクではいられない空気が漂い、人がいるところではマスクをつけるようになりました。さすがに、屋外で人が密集していない場所では外していましたが。

ちょうど五輪前、人通りの少ない場所をランニングしているとき、見知らぬ高齢女性から「あなた、アスリートなんだからマスクしなさい!」と、なぜかアスリート扱いされ&激昂され、この国に根づいたマスク信仰の恐ろしさを感じたものです。

中川さんに会いに行ったのは、コロナ騒動に違和感を覚えている人やマスク嫌いな人、マスク着用義務を「?」と捉えている人たちが、中川さんと飲み交わす目的で全国各地から唐津にやってきていると知り、私もそのひとりだし、中川さんと話をしたいと思ったからです。

実に盛り上がりました。テレビを持っていないため、例えば、専門家(というより扇動家と言ってもいい)枠でメディアに引っ張りだこになっていた「北村氏」のことも、中川さんがTwitterで「パンツ北村氏」とたびたび話題に出しているのを機に知ったくらいでしたが、北村氏の珍発言からマスク教へとトピックは広がっていきました。

4時間くらい楽しいときを過ごしたでしょうか。その間、私は都内でマスクをとることの不安を中川さんに語りました。

マスクをつけないことで非国民のように見られ、変に絡まれたり危害を加えられたりするのは避けたいから、屋内では渋々マスクをつけている、と。駅構内や電車内で悲惨な事件もありました。自分が結構ガタイが良くて、強そうに見えることはさておき、そんな相談をしました。

中川さんは「うんうん……なるほどね」と優しく聞いてくれて、話の流れで「首とか手など目立つ位置にタトゥーシールを貼って、派手そう・強そうな雰囲気に見せれば、誰も近寄ってこないのでは?」案が出ました。

私は「ナイス提案です。それやります!」と意気込んで東京に戻りましたが、Amazonで商品ページを見ていると、シールの貼付やメンテナンスが難しそうなので結局買うことはなく、自然と「ただのマスクをつけていない人」になりました。

「なんでマスクしないんだ💢」心の声ダダ漏れな中高年男性

振り返ってみれば、先の高齢女性からの「屋外怒鳴られ事例」を除き、この5ヶ月で他人から絡まれたことはありません。考えの違う人にとっては「ほぼすべての人がマスクをしている中、なぜかノーマスクの変わった人」「近寄らない方が良い人」「やばい人」に見えるのだろうと想像します。

Twitterを検索してみると、「みんながマスクをしているのに、ノーマスクを貫くなんておかしい」「ノーマスクの人は思いやりがない」「周りからどう見られるか、という視点が欠けている」など、マスクに対し篤い信仰心を持つ人は、私のような人を「異様」「非常識」とみなしているようです。

この冬、とある友人と出かけたときも、別れた後LINEで「(あなたは)なんでマスクつけないの?」と聞かれ、やりとりを重ねるうちに引かれました。感染させる・感染するのを防ぐ意識の欠如を指摘されました。マスクの効果を信じている友人には、参考URLを送ることくらいしかできず、距離ができました。各自仕入れている情報が違うため、身近なところから断絶が生まれるのは自然の成り行きだなあと思ったものです。

道端や駅構内ですれ違った中年男性から「なんでマスクしないんだ」と言われたことは2〜3度あります。暴力行為等は受けていません。いずれの方もマスクをぴたっと装着しているせいか、聞こえるか聞こえないかの声量であり、ひとりごとだったのか、心の声が漏れたのか、怒鳴るほどのエネルギーがなかったのかは不明です。

多くの場では何も言われません。「入店されたとき、透明感が違いました(単純に全顔見えている人が珍しいからだと思います……)」「一気に明るい空気が広がりました」「素顔いいですね。私も(マスク)とりたいんですけどね」と言われたことも。

大人たちの思惑に巻き込まれた子どもたちも、大きな犠牲者

マスクをとりたい人は多いのだと思います。ただ、雇用されている場合、悲しきかな、納得のいかないことでも、上の人の考えに従わなくてはいけないケースが多いでしょう。ワクチンについても同様で、雇用継続の観点から打ちたくなくても打たざるを得なかった人たちがいるのは目にしていました。

企業も国の見解や他社の状況を見て「まだどこも外していないから、うちが外すわけにはいけない」と考えていると想像します。今の異様な世界で「1人目」として踏み出すのは勇気がいるのです。当然、マスク信仰者から苦情の問い合わせが入るでしょうから。「いっせーのせ」でもいいから結託してやってください、と思いますが。

外食大手のすかいらーくHDが、テーブルでのアクリル板常時設置をやめ、客から要望があれば設置する方式に順次変更していくと報道されましたが、コロナ騒動3年目を迎えてもこの程度の変化です。

アクリル板完全撤去とはならず、黙食推奨ポスターも剥がされず、消毒液も置かれ、ビュッフェ用のナイロン製手袋も相変わらず用意されています。「席につくとマスクを外すが、飲食店を出入りする瞬間はマスクをつける」「店内を歩くときは再びマスクを装着し、テーブルに戻ったらマスクを外す等、結果的にウイルスの付着したマスクを触りまくる等」のコロナしぐさ(飲食店編)も健在。先払い形式のカフェチェーンでは、全顔状態だと「お客さま、マスクはお持ちですか?」と問われるか、注文完了後に「マスクのご協力をお願いします」と言われます。こんな状況では、企業がマスクを撤廃する未来なんて相当先では? いや、そんな日ってそもそも来るの? と暗い気分になります。

子どもの成長を阻害する要素しかないマスク着用を強要する学校・保育の現場にも絶望を感じます。子どもの心身を毀損する目的で行われている施策としか考えられないからです。国を動かしているように見える人(その上に他国の影響力ある企業や投資家が関わっていますが)のいろいろな思惑に子どもたちが巻き込まれ、犠牲者になっているのを見ると気の毒でなりません。下校中の子どもたちとすれ違うことがありますが、特に小さい子の多くは、親や先生の言うことを絶対だと信じているので、マスクを外す発想にはならないようです。

私が可愛がっている子どもも、お母さんが卒園式や入学式の写真をLINEで送ってくれましたが、ほとんどがマスクをつけた写真でした。見ていると泣けてきました。コロナ騒動の中、東京にいたときに知り合った母娘なので、私は彼らの素顔を対面では一度も見ていません。

マスクをとるタイミングは自分で決めること

未だに下のような表現をメディアでも個人のSNSでも多く見受けます。「マスクが手放せない」「続くマスク生活」「マスク時代」「マスクメイク」「マスクを外せるのはいつ?」などなど。どうして「マスクを前提にした表現なの?」とシンプルに疑問を覚えます。

マスクは本当に手放せない? マスクのある生活は当たり前? マスクは「時代」というワードの冠になるほどの絶大なパワーがある? マスクは今外してはいけないものなのか? どれも「??」です。

手放してはいけない“武器”のようなものであれば、不織布マスクやウレタンマスクが道端にゴミのごとく落ちているはずはありません。マスクと生活、時代はセットではありません。自身の風邪や花粉症予防、ノーメイク隠し目的などでマスクをすることはあったとしても、コロナ以前、健康な人が季節を問わず常時マスクをつけ続けることはあったでしょうか。

「マスクを外せる日(とき)はいつ?」と表現する人は、マスクを外すタイミングを決めるのは誰だと認識しているのかなと気になりました。国のリーダーや著名人から「マスク外していいよ」と言われて初めて「はい、外します」となるのでしょうか。もしそうなら、権力的な存在に対し極めて従順というか、受け身体質なタイプだと思います。主体的か受動的かは性質によるので、どちらがいいも悪いもありませんが、少なくとも「マスクを外すタイミング」は自分の頭で考えて判断していい事柄です。顔を露出することは、軽犯罪法1条20号に規定される「身体露出の罪」には該当しません。何を言いたいかというと、マスクで顔を覆うことは法律で定められてはいないということです。

ただ、先のNHKのツイートのコメントを見ると、国家からのマスク圧は3年前から変わりませんが、人々の意識は確実に動いているようにも思えます。コメント、眺めてみてください。

もし「マスクを外したい」と感じているなら、さっさと外した方がいいと思います。私は機内+αを除き、全顔が常に外気に触れた状態です。深い呼吸ができ、匂いを感じることができ、皮膚が蒸れることもなく、口角アップへの意識も持て……と、素顔で感じることを書いてきましたが、これらはすべて以前は当たり前だったことです。

さまざまな情報源にあたり、自分の頭で考えた上で、意識的にマスクをつけない人たちは「誰かが外さないと、この国の人たちはずっとマスクをつけたままだ」と言います。私もその意見に同意しかありません。なので私のように影響力を持たない一般人でも、全顔で街を歩いて「あ、ああいう普通っぽい女性もマスクしてないんだ」→「自分もそろそろとろうかな」と考えをスイッチする人が出てくればいいなと思っています。

おすすめしたい情報や人たち

最後に、マスクをとることが不安な方向けに、私が見てきた中からおすすめしたい読み物や音声を添付しておきます。これらのアウトプットをしてくれた方々は、皆それぞれ多様な情報源にあたり、まとめてくれています。煽り系情報を多く摂取してきたという人は、触れたことのないタイプのものかもしれませんが、チェックしてみると偏りがなくなるのではないかと思います。

かねしろクリニック 公式ブログ

1月に先生の勉強会へ行きました。

さくら通信

ここから5-6本の放送もいいです。「本当に意味のあるマスクの管理方法」について語られている回がありますが、それを実現しようとするとむしろストレスで病気になるわ……的な話もあり「本当にそうですね、間違いない」と爆笑したものです。ロジカルな一方、ふと笑える切り口を入れてくれるさくら通信、何度も聴きたくなるほど。

作家のさくら剛さん、放送用に140枚を超える原稿を書き上げたそう。それに伴い、膨大な書籍や文献にあたっておられます。

中川淳一郎さん

名作コラムはたくさんありますが、特にこれはという一部を抜粋。


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