世界の見え方まで、少し変わってしまっているのに、気がつきました。
緊急事態宣言が出されるかどうか、というニュースが、どれだけテレビを見ないようにしても、入ってきていて、もしかしたら、今日あたりではないか、とか、もう出す準備をしているとか、いう話が出てきてしまっていた。
たぶん、緊急事態宣言、という言葉自体に、自分が、恐さを感じているのだろう。
今日あたり、スーパーはパニックに近いことにならないだろうか、と思ったり、そこまでいかなくても、最近、午後空いている頃に、スーパーに行くと、なぜかラーメンやスパゲッティなど、乾麺の棚が空になっていることが多かった。ちょっと前は、お米の棚が不自然にスカスカになっていたりするから、それも含めて、買い占めに対しての、微妙な恐怖心もあった。
昨日は、米びつがほぼ空になって、あと1合くらいしかなくなったから、買いに行こうと思っていたら、「寒いから、やめなよ」とまっとうなことを妻に言われ、それもそうだと思って、やめてしまっていた。それは、普通に納得していたのに、今日、朝9時頃に起きた時に、今日、もしかして、スーパーが混んでいたら、そこがリスクが高い場所になってしまうから、昨日行けばよかったと、密かに後悔をしていた。
今すぐに行ったら、開店時間になってしまうから、行列に並ぶことになりそうで、それは、やっぱりリスクが高い。だけど、午後になり、緊急事態宣言の話が、さらに具体的になったら、またスーパーが混んで、危険になるから、などと、普段だったら考えないことを考えていた。どうして、こんなに怯えているのだろうと自分で思いながらも、「3密」を避けるために、できることはなるべくしようと思って、午前10時半頃に出かけた。
スーパーはそこそこ混んでいた。
家族連れで、カートを使って、2つのカゴにめいっぱい買っている人たちもいたけれど、みんなマスクをして、もちろん自分もマスクをして、だいたいが一人で来ていて、普通に、買い物をしている。
なるべく距離をとって、今日はお米を10キロ買うから、2つのカゴを積んだカートをひいて、あちこち、妻に渡されたメモをみながら、歩く。
通路に止まっている人がいたら、その横をすり抜けたりしないで、十分に距離をとって、遠回りしたりする。
基本的に、怯えながら、買い物をしているような気がする。
買い物をすませて、支払いはセルフレジに並ぶ。お米は予定通り、買えてホッとした。カートがあるから、前の人とは距離がとれるし、人が少ない場所に並んだから、うしろには人がいないままだった。本を読みながら、待った。4月から、レジ袋が有料なところが多くなったのだけど、ここは違うので、袋をもらって、そのあたりから、予定と違って、なんだか、ちょっとバタバタする。
周りを見ると、スーパーに入った時からは、人が少なくなっているから、やっぱり開店してすぐは、すごく人がいたのではないか、と思った。
やたらと人と距離をとろうとしていたから、荷物をつめるために、かごを置こうとした場所に、他の人に先に置かれてしまい、また別の場所に行く。そこで、荷物を袋につめるが、いつも使っている、指を湿らせるスポンジが、こわくて使えなかった。
スーパーの出口で、除菌アルコールをプッシュする。手にもみこんでいたら、うしろから、体がくっつくように、私を押すように、前へ回って、中年男性が、プッシュをして、去って行った。
除菌のための行動なのに、どうして感染のリスクを高めるのだろう、ほんの数秒を待てないのだろう、とイラっとする。だけど、こういう時でなければ、こんな風にいらつかなかったかもしれない。
帰り道に、まだ、道にマスクが落ちていた。
今、貴重品になってしまったマスクが、どうして、無造作に落ちているのだろう。
ちょっと前だったら、ほとんど、「あ、マスクが落ちてる」としか思わなかったのだけど、今は、こちらの意識が変わってしまっている。
最初見た時、ちょっと、ギョっとしてしまった。
家に帰って、妻に、落ちていたマスクの理由を聞いてみたら、すぐに答えがかえってきた。
「おそらく、ドリンクかなんかを飲んで、その時に、マスクをはずして、ポケットか何かに入れて、それで忘れて、落としたんだと思う」。
自分の方が、ちょっと平常心を失っているのだと、分かった。
ほとんど外出をしないようにしているうちに、「3密」に怯えすぎて、大げさに言えば、自分の世界の見え方まで、少し変わっているのに、気がついた。
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『平田オリザ氏の話をラジオで聞いて、図書館に行って、気持ちにフタをしていたことに、気がつきました』。
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