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唯一無二の人。

ふたり笑顔で何かを話していたとき、「(あなたが)この世で一番大事だよ」とパートナーに言った。事実、この人より大事だと思う人は、地球を含む宇宙空間にいない。

彼は彼で私のことを「やっと出会えた人」「大好き」「大事ちゃん」などと言う。これに対する返報性の原理がはたらいているわけではなく、私も純粋に彼のことが大事でたまらない。

人との交流が多い生活を送る中で、素敵な人というのは存在する。私の心をふわっとくすぐってくる人の魅力に触れるのは楽しい。

ただ、それはそれで別枠。社交を通じて日常に潤いを与えられるから、大事ではないわけでは当然ないのだけれど、彼を大事だと思う気持ちとは切り口や質感が違う。

パートナーは今、唯一無二の人。言語化したらありふれた言い回しになりそうで難しいけれど、なんかしっくりくる、すとんと落ち着くのだ。

一緒にいると、私が最も素でいられて、リラックスできて、自然と微笑んでしまって、度々笑いが止まらなくなり腹筋が鍛えられ、童心に帰ることができる人。

(かといって、だらけすぎることはない。これからも特別に大事な女性として扱われたいし、「きれい」「セクシー」と言われ続けたいから、それなりのことはしている。いい意味での緊張感をわずかに残しておく)

もちろん、何年も一緒にいて慣れ親しんでいるから、というのもあるだろうけれど、それを超える何かがある。

1時間後には忘れているような、超を付けるのが適切なくらいどうでもいい話題で盛り上がる友人であり、仲良くお出かけする恋人であり、性愛を深めていける同志であり、課題を打ち明けられる信頼できる人であり、というように互いにいくつもの顔、役割を持っていて、それに無理がない。

(私たちが子持ちの夫婦であれば、こう上手くはいってないと思う。特に自分は不器用だから一切の余裕がなくなるだろうし、母としてのタスクだけでパツパツになり、夫への関心を持てなくなる気がする。“子を持つ生き方”に興味がないため、あくまでもいろいろな材料を踏まえた想像だけれど)

36年生きてきて、愉快な男性たちと付き合ってきたけれど、今が最高な状態にある。過去の人たちとの付き合いの中で、自分自身の思わぬ一面を知ったり、各種失敗を通じてパートナーとの愛の深め方を勉強したりして、ここにたどり着いた感がある。

彼と出会ったばかりの頃、こんなnoteを書いていた。でも、自分なりにこの人生を堪能しようと、好き勝手に活動していると、自由を愛する神様が見てくれているのか、特別な縁を結んでくれるのだろうか。

「永遠」はあり得ないとしても、今、一番大事な人。物理的に離れているとき、ふとした瞬間に彼のかわいい表情を思い出して、可笑しくなってしまうことがある。幸せ者ねと思う。感謝を忘れず、ふたりでいる時間は、全力で彼を楽しませたい。

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