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どん底まで落ちたら、掘れ。という言葉

おはようございます。こんにちは。こんばんは。
そして、初めましての方は、はじめまして。
今日の僕は、なにもかもどうしたらいいか分からなくなってしまう日のようです。今日はどんな服を着たらいいのか、どんなご飯をたべたらいいのか、今日は外出した方がいいのか、それとも家でゆっくり過ごすべきなのか。
考えなくてもいいことを考えてしまい頭を抱えている最中に、note開いてなんか書いてみようかという決断だけができた。
これは、偉いぞと自分を褒めてあげたい。

何を食べたらいいか分からなく、取り敢えず作り置きしてた、かぼちゃの煮付けだけ食べました。

坂口恭平さんの【独立国家のつくりかた】を読んでいて出会った言葉。

どん底まで落ちたら、掘れ。

養老孟司さんが座右の銘にしている言葉

いま、僕は人生においてどん底なのかな。
うーん、けどどん底に落ちようとしているかもしれない。
眠れないとき、心の闇に包みこまれているときにそんなことを考える。
だけど、考えれば考えるほど尽きない不安がそこから湧き出てくる。
自ら何度も何度も不安の中へと溺れ、時間が経てばそこから這い上がってまた、溺れに行く。そうやって、もうすぐで2ヶ月が経とうとしている。

”考えすぎだよ、もっと気楽になりなよ”
とよく励ましの言葉をもらう。苦しいときは、その言葉がすごく救われるのだけれど落ち着いて再び考えるとね何か違和感を感じるんです。
まず、僕の性格上考えることは避けられないのです。よって、気楽に毎日過ごすことも難しいことになる。
もう一つは、考えすぎは良いことかもしれないということ。僕は、全力疾走で走り続けていたなか、なんにも興味が持てなかった。いま、立ち止まってみて胃もたれするほどに色んなコトに興味を持っている。
仕事って?コーヒーって?焙煎って?お金って?無理のない働き方って?家庭料理って?家事って?
なんだか自分のなかで哲学的な対話をしているような気分。考えすぎは辛くしんどく、心に毒かも知れないけどすごく大切なことな気がします。
そういう意味では、どん底のなかちょっとづつだけど掘っているかもしれませんね。

すこし気持ちの整理と気づきができました。

このnoteから誰かの人生の手掛かりになるような時がくることを僕は願っています。

拙い文でしたが最後まで読んでいただいて本当にありがとうございます。 明日は、来週は、一か月後は、半年後は、来年の将来の僕はどうなっているのでしょう。 では、また数日後か来週に来ます。

15時57分. その日

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