山にむちゅう(2)

 息も絶え絶えだった由真は持ち直してようやく身を起こした。舌に絡みつく余韻を振り切るために頭を振って、髪をかきあげる。

「……祐介、キス、うまいよね」
「そりゃな。うん。経験値が違う。由真ちゃんより長生きだから」
「他の事はヘタだから?」
「そっちはあんまり興味がないな」

 キス以外に手を出してこないことに対する皮肉を言ったつもりだったが、祐介は何のこともないように答えた。よもや、この男、不能なのではないか。いや、どうなのだろうか。目の前にいる色男は随分とほかの女も誑し込んでいるらしい。

「間山とこないだここにいたよね。見たよ、あたし。二人で出てきて、階段のところでチュー、してたでしょ」

 間山といえば、間山祥子のことだ。祐介の隣のデスクに座っている女で、由真から見れば地味な女だった。細身で長い髪の毛をまとめている以外は印象に残らないような女。メガネもかけていたかどうかもわからない。
 顔立ちは――まあまあ整っているが、由真の目には美形とまではいかない。Bマイナーぐらいだ。仕事も由真に比べればあまりできないほう。万事とろくさい印象で、声が小さいので何を言っているかわからないときがある。

「祥子? ……祥子はいい子だよ。おとなしいし、由真と違って謙虚な唇をしている。舌が長いし、よく絡む。キスすると小鳥のように囀る。反応、かわいい。あと、骨っぽくて軽いね。歯並びはいい。これは今までも女の子でもダントツ。由真ちゃんにないものだらけだ」
 思っていることをそのまま並べ立てた愚にもつかない女の寸評が返ってくるが、由真も同じような括りの中にある。由真は値踏みされている気分になって、むっときた。
 特に歯並びの悪さは自覚していたので、最後ダメ押しみたいに言われたのがいやだった。

「由真ちゃんだってさ、一昨日見たよ。佐々木先輩とくっついていたよね。お互い様なんじゃあないかな」
 誰彼構わずキスをする仲だというのはお互いよく知っている。由真の方はわからないが、祐介の方には罪悪感はないらしい。祐介は悪びれもなく指摘した。

「……悪い?」
「あんまり比べようとするのはよくないよ。お互い、そういうところあるんだから。わかってるでしょ」
「知っているからこそ、比べるなんて無粋なことはしないほうがいい」
 以前にも祐介に言われたことがあるので、由真は「……まあ」と短く答えた。祐介は吐き捨てるように「そういうのは愛が足りないよ」とつぶやいた。
「愛? こんなことしてるのに?」
 よくもまあ、そんなことをぬけぬけといえるものだ、と由真は思った。
 誠実さのかけらもない男が言う、愛という言葉に何の意味があるのだろう。
「こういうことだからこそ、愛がなければ、うまくやっていけないよ」
「こういうことを不特定多数の女とやるような男がなにをいってもね。誠実さなんて祐介にはないでしょう」
「じゃあ、見る? 愛がなかったらどうなるか」

 祐介はシャツをまくり上げて今まで由真に見せなかった素肌を見せる。背中を向けて、肩までシャツをまくり上げると、深い傷跡があるのが見えた。由真がぎょっとすると、祐介は包丁で突かれた痕だと言った。
「これ、マジ?」
 祐介はにっこりと笑った。
「こんな人初めて見た。いるんだ」
「これ以来ずっと反省してるんだ。分け隔てなく、深入りせず、やることだけを誠心誠意やらせていただくって気持ちが大事なんだよ。相手の体が目的なのに、相手の心までどうこうっていうのは虫が良すぎる」

 いっそすがすがしいほど身勝手なことを言っている一方で、同じ穴のムジナである由真は色狂いの本質を説かれたような気分になった。相手の体が目的で心は目的ではないというのは由真にとっても真実だった。
「一理、ないことはない」 
 はすっぱな性格の由真だったが、不思議なことに祐介には正直だった。彼の言うことには素直にうなずいてしまう。結局は体の相性が大事であるのだ。由真は祐介にそう言われて寂しい気持ちもあったが、同じ感覚を持てていることに安堵した。体だけとはいえ、自分が選んだ男である。

「僕は人間なら誰でも気にしないけどね。誰が相手でも手を抜いたことはないよ」
「男でも?」
「女の方がいいけど、可愛かったら、なんでもいいよ」
 なんとも都合がいいことをいう。由真は「冗談でしょ」と笑ったが、あながち間違いではないのではと感じていた。この男ならやりかねない。
 祐介はまだこちらに背を向けていたが、由真は彼の背中から視線を外した。

「でもさ、由真ちゃんみたいな子がいないと僕は困るよ。好きな時にチューさせてくれる子ってさ、そうそういないよ。由真ちゃんもそうでしょ」
「……まあ。その、キスだけってのはよくわからないけど」
「キスだけの関係って素敵じゃない? 僕は、僕が魅力的だって思った人間なら誰でも気にしないからさ。本当に誰だって気にしない。それが僕たちのためにもなるんだから」
「僕たち?」
「そう、ボ・ク・タ・チ」

 祐介はにっこりと笑うと、「じゃあ、屋上に涼みに行ってくる」と遊び道具に興味を失った猫のように部屋から出てしまった。
「ちょっと……ちょっと待ってよ」
 由真は慌てて、廊下に向かって声を上げたが、廊下からは「ちゃんと服着てきなよ。来てないと変態みたいだぞ」と返ってきた。

「誰に期待して脱いでやったと思ってるんだよ!」
由真は机の上に脱ぎ散らかしたブラウスとスカートを手繰り寄せた。



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