【小説】アイツとボクとチョコレート【14話】
14話 目を逸らさないで
最悪だ最悪だ最悪だ!「服を脱がせろ」? いくら中身がドラゴンだって、仮にも教師が生徒に対して言う言葉なのか!? ボクがセーラー服を着てなかったら――いや着てても同じだけど――間違いなくセクハラの絵面だと思うんだけど。
こんなことになるんだったら、空き教室にアイツを置いて来るんだった。変な同情なんてやめて、薬なんて探さなければよかった。わざわざ山本に頼みごとして、タクシーなんて呼びつけて怪しまれて。ああもう、時間が巻き戻せるのなら、巻き戻したい。
(……仮にできたとしても、どうせ同じことしてるんだろうけど)
「ベル……様……?」
青息吐息で見つめられて、降参する。
「……わかったよ。とりあえず白衣からね」
もともと背が高いこの教師は、普段より10センチ以上は背が伸びているようだった。本来ならゆとりのあるはずの白衣が、脱がしにくいったらない。次に水色のカットソー、それからホックの壊れた黒いタイトスカート。脱がせるというより力任せに引き抜くに近い。残るは……。
「……はぁ」
ボクはため息ひとつついて、破れたストッキングを剥ぎ取り、胸部と臀部を締め付ける小さな布を取り去った。するとボクのなんかよりもっと切実な深い息が、目の前の生き物から漏れた。
「ありがとう……ございます…………」
すらりとした手足。なだらかな曲線を描く背中。その全てが白く光を放っているようだった。ところどころ、長い金の髪がまとわりついているから、そう見えるのかもしれない。
ボクはまるで一枚の絵画を見るような気持ちで、横たわる白い肢体を見下ろしていた。――しかし、その白昼夢のような時間は、すぐに破られることになる。
「ぐ……ぅ、ぁぁあああああああ………………!!」
聞いたこともないような、激しいうめき声。それに折り重なって聞こえてくるのは、メキメキと木が軋むような、形容しがたい音だった。
よく見れば、丸くなった背中のもっと下の方、尾てい骨の辺りが隆起しはじめている。
(まさかここから尾が生えるとでもいうのか?)
ボクの想像は当たりだった。白い人間の皮膚を突き破って、骨が、肉が生まれてくる。同時にやわらかだった肌には、光沢をもつ鱗がくっきりと刻まれていった。
「ぁあああああっ……!!!!」
曲線を伝い、したたり落ちる透明な液体。咆哮を上げる度に口は大きく裂け、牙が伸び、鋭くなり、しなやかな手足は美しくもたくましくなっていく。
(ドラゴンに戻るって、こういうことだったんだ……)
もっとおとぎ話めいた変化を想像していた自分に気づいて、妙に恥ずかしさを覚える。「なればいいじゃん」なんて簡単に言って連れてきたけど、本人はメチャクチャ苦しかったりするんじゃないか? ボクは震える脚を必死に踏ん張って、視線を下から上へと這わせた。
先細りしている長い尾。鱗に覆われたなだらかな背には、いつか見た時よりもっと大きな一対の翼があった。その全てが白い。光が当たると金の粉をまぶしたように淡くきらめく。そして何よりも目を引いたのは、力強い角を両側面持つ、威厳すら放つその頭部だった。
(これが……アイツ……)
閉じていた双眸がゆっくりと開かれていくと、そこには海のような碧が覗いていた。
「終わった……の?」
ドラゴンはボクの言葉に、鳴き声で答えた。鳴き声というよりはむしろ知らない楽器のような、不思議な音だ。
もっと近くで見たくなって、大きな階段を上り始める。ドラゴンはそんなボクをじっと見守っていた。
階段を上り切ると、そのまま近くの手すりにもたれかかった。ドラゴンがゆっくりとこちらに首を向けてくる。ガラス張りの壁面から差す陽が、少し眩しい。
『ベル様、お疲れでしょう』
不意にアイツの声が聞こえて、思わず左右を確認する。
『私ですよ。鳴き声では伝わりにくいと思って、
直接心に語りかけてるんです』
驚いた。ドラゴンっていうのはそんなことまでできるのか。
「それがアンタの本当の姿なんだね」
『はい。びっくりさせて、すみません』
「ドラゴンになってまで謝らなくていいよ」
ボクは手すりに背中を預け、ドラゴンに背を向ける。
「……ボクのほうこそ、謝るべきなんだ」
ドラゴンはボクの言葉に驚いたのか、心の声ではなく鳴き声でなんだかんだ騒いでいる。
(どうせ『ベル様』が謝ることはないだの、何も悪いことをしていないだの
言ってるんだろうな)
「モールでのことだよ。急に突き放すようなこと言って……
ちょっとだけど、後悔してる」
『ベル様……まさかあれからずっと』
「ずっとじゃない! 何度か思い出して……あんまりだったかなって
思っただけだから」
『そ、そうですよね。すみませ――あっ』
いつもの口調じゃ、巨大なドラゴンの体も形なしだな。なんてことを思いながら、ボクは独り言のように続けた。
「……ボクには姉さんがいるんだ。もう数年前に死んじゃったけど」
ボクの一番の望みは、姉さんが生き返ること。二番目の望みは、姉さんが生きてた頃に戻ること。三番目は……ない。
自分でも驚くほどに、嘘偽りない言葉が口からこぼれ落ちた。アイツがいつもの姿じゃないから言えたのかもしれなかった。
『そう……だったんですか……。話してくれて、ありがとうございます』
役に立てなくてごめんなさい、とドラゴンは嗚咽する。
そんなこと言うな。言わないでくれ。
「だから……! お前が謝ることじゃ……ない……っ…………」
膝から崩れ落ちた。赤い絨毯に、ポツポツと染みができる。どうして泣くんだ。泣くようなとこじゃない。しかもアイツの前だっていうのに。
『……大丈夫ですよ』
背中を撫でるような、あたたかな声。ボクは思わず顔を上げた。
『大丈夫です。今は辛くても、別れはいつか乗り越えられます。
私が長い時を経て、ベル様との別れを乗り越えたように』
振り返って見たドラゴンの眼は優しかった。海のように空のように、ボクを包んでくれる、そんな色をしていた。
「バカ……。
ドラゴンと違って、人間の寿命は長くて100年なんだってば」
『あっ……! そうでした』
「ホント、気が抜ける」
ボクは濡れた目元を拭いながらゆっくりと立ち上がり、窓の外に目をやる。煤けたガラスの向こうで、遠くの空がオレンジに染まり始めていた。
「これからどうするか考えないと。
とりあえず学校から逃げてきたってだけだからさ」
『そうですね……。ベル様をちゃんとお家に
送り届けなくちゃなりませんし』
「ボクのことなんてどうだっていいんだってば。今言ってるのは――」
苛立ち気味に振り返って、真正面から視線が合う。一瞬の空白。
白の世界に深く揺らめく、二つの碧。その色は左右で少しずつ違っていた。
『ベル様? どうしたんですか?』
「………………ぎて」
えっ、と聞き返されて余計に苛立ちが増す。こんなこと何度も言わせないでほしいのに。
「綺麗すぎて…………忘れた」
ドクン、ドクン。――なんだ、この音は?
ドクンドクンドクンドクン。――更に速く、大きくなる。
ボクの心臓の音? そんなわけない、こんな音が聞こえてたら生きてはいないだろう。ということは……
『べべべ、ベル様! どうしましょう!? 私、私……』
巨大な白い竜があたふたしている。
(お前か!!)
「ちょっと落ち着いて! シャンデリアすごい揺れてる!!」
『でっでででっででででも!』
続いて、耳をつんざくような高音の鳴き声。床が、壁が振動する。
(まずい、このままじゃホテルがもたない……!)
そう思った次の瞬間、視界がぐらりと揺らぐ。
ボクは掴まっていた手すりもろとも、真っ逆さまに吹き抜けを落下していた……
>>15話(最終話)につづく
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