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【小説】アイツとボクとチョコレート【15話/完結】

15話 天にも昇るというのなら


「うわぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」

 足元に何もないと気づいたが最後、絶叫マシンも真っ青な急降下。フリーフォール。自由落下は加速する、教科書通りだ。もうすぐボクの体は勢いよく床に打ち付けられて、潰れたトマトみたいになるだろう。観念して両目を閉じた――けれど。

 ……むにゅっ。

(むにゅ?)

 床の衝撃では決してありえない、奇妙な感触。一瞬遅れて、手すりが床に落ちる甲高い音がした。何かがおかしい。ボクは手探りで体を起こし、ゆっくりと瞼を開けた。

「ベル様、そこは……ちょっと……」
「……え?」

 信じられない光景に、ボクは数度瞬きをする。四つん這いになったボクの下に横たわっているのは、大理石の床でもなく、埃まみれの絨毯でもなく、ましてや艶めく鱗のドラゴンでもなくて、真っ白で傷ひとつない、人間の素肌だったのだ。

「!!」

 状況を理解したボクは、考えるより先に飛び起きて背を向けた。

「どうして戻ってるんだよ!?」

 「ありがとう」とか「よかったね」とか、もっと言うべき言葉はあったはずだ。でもその時のボクに余裕なんかあるはずがない。

「……どうしてでしょう?」

 さっきまで直接胸に届いていた声が、普通に耳から鼓膜を伝って聞こえてくる。頭がクラクラしそうだった。

「とりあえず、これくらいは着て」

 ソファーに引っ掛けていた白衣を、背を向けたまま投げ渡す。しばらくして振り返ると、かなり窮屈そうではあったけど、なんとか向き合って話せそうなくらいに際どさが抑えられていた。

「私のせいで危ない目に遭わせて、申し訳ありませんでした」
「……いいよ。助けてくれたのもアンタでしょ」

 ボクが礼らしきものを口にすると、それが嬉しいのか、妙にモジモジしている。

「あの……ベル様、ひとつお願いが」

 ……きた。

「断る。服くらい自分で着てよね」
「そうじゃなくて! さっきの……もう一度お願いできませんか?」

 何のことだかかわからなくて黙っていると、アイツは下を向いてぶつぶつと何か言っている。俯いていても、顔が赤くなっているのが分かる。

「何言ってるか聞こえないよ。さっきのって何?」
「ですから! 私をじっと見て……
 『きれい』、って仰いましたよね?」

 たしかに言った。でもそれはドラゴンの姿に対して感じたことであって、目の前の半裸の教師に対しての感想じゃない。それよりも今はもっと気にすべきことがあるはずだ。あの時の鼓動のような音とか、どうして薬も飲んでないのに元の姿に戻ってるのか、とか。

「お願いです、ベル様。私、あんな気持ちになったの初めてなんです」
「わかった、わかったから! 必要以上に近づかないで」

 眩暈めまいが止まる暇もない。というか、ここに来てから気が休まった試しがない。

(だいたい恩返しに来たとか言っといて、頼みごとばっか)

 心の中では悪態をつきながら、さっさと約束を果たそうと、床に片膝をつく。同じ高さでじっと見つめると、その目はドラゴンの時と同じ、どこまでも続くようなあおだった。左右でほんの少し色が違うのもそのままだ。真っ白な肌は少し紅潮して、それを金色の毛束が縁どっている。あの時と同じ感情を抱きかけていることに、ボクは気づいてしまった。
 でも、素直になるにはまだ、唇に甘さが足りなくて。

「……まぁ、綺麗なんじゃない? ……それなりに」

 こんな言葉で納得してもらおうだなんて、我ながら子供っぽいなと思う。もう一度と言われるかもしれない。そう覚悟したけど、返ってきた反応は想像と随分違っていた。

「きゃ~~~っ! は、は、恥ずかしいです~~~!」

 顔を両手で覆って悶えてる。自分で見つめてほしいと言ってたくせに、こんどは見ないでくれとか言ってる。恥ずかしいのはこっちのほうだと思うんだけど!?
 付き合ってられるか。そう思ってボクはソファーに身を投げ出した。

「さっさとここを出よう。他の服も着ちゃってよ」
「わかりました。この白衣を脱ぐのがまた一苦労なんですけど……あれ?
 見てください、これ!」

 立ち上がり、白衣の袖をパタパタと振るアイツ。当然ながら、脚や胸元が見え隠れしている。

「何見せようとして――」

 文句を言おうとして、はたと気づく。さっきまではボタンをかけるのも精一杯なくらい、白衣は小さかったはずだ。いや、白衣が小さかったのではなく、体のほうが大きかったと言うべきか。

「もしかして、完全に元のサイズに戻ってる?」
「……と、思います」

 ボクはこの短時間に起きたことを必死に整理した。
 ――薬を飲めなかったアイツが、だんだんと巨大化しドラゴンに戻った。
 ――謎の動悸のような音が聞こえ、ドラゴンが咆哮した。
 ――その直後、アイツは人間に戻った。この時まだ白衣は小さかった。
 ――アイツの懇願に応じて、恥ずかしいことを言わされた。
 ――悶えて元のサイズに戻るアイツ。

 ……なんだか嫌な予感がする。

「ひとつ確認したいんだけど、
 ボクが落ちる前に聞こえてた音って……?」
「えっ!? もしかして私の心臓の音、聞こえてました!?」

 ビンゴだ。わかるだろうか。コイツは胸が高鳴ると、人間の体に戻るのだ。つまり『ときめき』とか、『きゅんとする』とか、そういう状況になると、ってことだ。そうなるともうひとつ疑問が湧いてくる。

「もうひとつ確認。いつも薬飲んだ後、どんな感じだった?」
「そうですね~、心臓はちょっと苦しかったですけど、
 目の前がキラキラして、気持ちがフワフワして……。
 なんだかさっきみたいな感じです!」

 要するに同じ状況だ。ドラゴンの人間化を保つ薬は、人間の『ときめき』という感情を物理的に作り出す装置だったんだ。

(こんなものに右往左往させられてたのか……)

 脱力とともに生じたのは、笑いだった。

「は……は……はは……あははははははは!」
「ど、どうしたんですか、ベル様!?
 なんだか悪の帝王みたいになってますよ!?」

 だって笑うしかないじゃないか。あまりにも呆気なくて、馬鹿馬鹿しくって。

「よくわからないですけど、ベル様がいつもよりすごく楽しそうで、
 私も嬉しいです!」
「これは楽しいんじゃなくて――うわ!?」

 着替えかけの背の高い体が、ボクを羽交い絞めにしてくる。

「今日はベル様、いっぱい笑いましたね!」
「わ、わかった……わかったから離し――」
「やっぱり笑って生きるのが一番です。いい子、いい子」
「う……く、くるし……」 

 そして、暗転。

「……ベル様?」
「…………」
「ベル様、しっかりなさってくださ~い!!」


**

 ――文化祭の日の一件から、数週間が経った頃。
アイツは元気に保健室に復帰していた。

「やっぱり『コレ』なんだよなぁ……」

 放課後の保健室で、ボンボンショコラをひとつ口に放り込む。

「ああっ! ベル様、もっと味わって食べてくださいよ~」
「別にどう食べたっていいでしょ。ボクが買ってきてるんだし」
「関係ありません。チョコレートに失礼ですっ!」

 頬を膨らませたアイツが、チョコレートの箱をボクから取り上げる。曰く、「ボンボンはときめきの宝石」なんだそうだ。

 あれからボクたちは、薬の代わりになる「ときめき」の素を探しに探した。少女漫画、恋愛映画、乙女ゲームにBLドラマ。どれも一定の効果はあったけど、時間がかかるし燃費が悪すぎる。その対策を練るために、ボクたちはあの時パンケーキを食べ損ねたカフェで作戦会議を開いた。それが解決への大きな一歩になった。

「わぁ~! これがスペシャルパンケーキ……!」
「よっぽど食べたかったんだね。ボクのぶんもシロップあげる」
「ありあとうございます! トロトロトロ~。
 では早速……んんんんん~~~っ!」

 一瞬で目がハートになっていた。これだ、ボクはそう直感した。
 とはいえパンケーキを頻繁に食べるというのも手間ではある。店が閉まっていたらまたドラゴン化が進みかねない。そこであれやこれやと手軽なスイーツを食べさせてみた。その結果、最も効果が高かったのが『チョコレート』――正確にはボンボンショコラ――だったのだ。
 あの恥ずかしい要望に応えたボクの気力・労力と、このボンボン1粒が同じ効力を持つと思うと若干やるせないものがある。こう言うとアイツにショコラボンボンの何たるかを熱く語られてしまうので、黙っているけど。

「所詮、ドラゴンは色気より食い気ってワケだね」
「もしかしてベル様、チョコレートに妬いてるんですか?」
「はぁ!?」

 思わず声を荒げてしまう。でも最近のアイツときたらどこ吹く風だ。それどころか、白い頬を桜色にして、こんなことを言う。

「ふふ。ミツハはベル様が一番ですよ?」
「はいはい」

 軽くあしらって、いつの間にか季節が変わった窓の外に視線を移す。
 ――この世で一番甘いのはチョコレートなんかじゃなくて、ドラゴンなのかもしれない。

<<完>>


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