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言葉の力を持つ、ミュージシャンというもの

今日5月24日は、ボブ・ディランの誕生日です。

わたしが初めて洋楽を認識し始めたのがボブディランかもしれません。
それは当時やっていた伊坂幸太郎原作の映画「鴨とアヒルのコインロッカー」という作品で、「Blowin’ in the WInd」が使われていたことだったからだと思います。
これはボブディランを知る曲としてはあまりにもキャッチーで、とっても気に入った曲でした。それはみなさんもきっと同じだと思います。

しかし、他の数多くの曲はたいへん難解で当時のわたしの感覚では亜あまりにもついていけないほどでした。そこで有名な数曲だけに絞って聴くのみになってしまっていまし
た。

みうらじゅんさんは、日本人の中でもボブディランの事を誰よりも知っている人間だということをのちに知ることになりました。みうらじゅん賞なるものを本人にトロフィーも送っていますから。
その三浦さんが言うところの「ディランが今の自分と同じ年の時に作ったアルバムを聴け」というのを毎年実践することは、あながちディランを知ることをできる唯一の方法かもしれません。

数年前にFUJIROCKに出演していたボブディランは映像を通して、最近の動くディランを見たのがこれが初めてでした。

ベタに「Knockin’on Heaven’s Door」「Like a Rooling Stone」「Mr.Tambourine Man」とかが好きです。「Like a Rooling Stone」は特にボブディランがフォークソングの旗手として民衆から崇められていたにもかかわらず、アコースティックギターからエレキギターに持ち替えて弾くその時に歌われていた曲として有名です。
「裏切り者」と言われてあの歌
の歌詞「How does it feel?」がリンクしているのが、絶妙というか。戦いというか。時代を担っていたという感じですかね。それがそんなに遠い過去のようでそこまで昔じゃないっていう。すごいです。

黒人のことについて調べている時に、ボブディランが若い頃にジョーン・バエズらと共に公民権運動や反戦活動の際に演奏していたということ、その頃に歌っていたとされる「The Death Of Emmet Till」は衝撃でした。
白人女性に口笛を吹いたと、兄弟に因縁をつけられひどいリンチを加えられ殺害された14歳の黒人少年の歌で、実際にあったとても有名な話を題材にしていました。
この時代の音楽は、民衆に多くの力を与えるものだったのだと理解できました。

日本であったフォークの時代が、わたしは少し偽物のように感じてしまいました。
やはりアメリカやイギリスはその音楽の誕生にストーリーがあるように思えます。
必然的に現れた新しい音楽のジャンルたち。それが民衆に広がっていく。日本はなぜかそれらの多くを海外のトレンドとして扱って、上部だけに着飾っている気さえしてしまいました。考え過ぎかもしれませんが・・・

それだけ、ディランのもつただの音楽ではなく「言葉の力」や「音楽の力」を凄まじく社会を動かすものに昇華する才能を持つ人がいたということが素晴らしいと感じました。

お誕生日おめでとうございます。

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