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#3 ジャーナリングイズグッド


かれこれ2年半、ジャーナリングを続けている。


日記と何が違うのって。

私がするジャーナリングは、心が感じたこと、思うこと、自分の頭の中に浮かぶ考えを書くもの。ポジティブなこともネガティブなことも、過去のことも今のことも未来のことも書く。


毎日書くわけじゃないのが私なりのポイント。

書きたいときは1日のうちに3回くらい別のことを書くときもあるし、ばーっと長々書くときもある。かと思えば1週間に1回だけ1行で終わる、なんてこともある。


1日の中で書く時間も定めていないから、朝起きてすぐ書いたり、昼間に書いたり、夜寝る前に書いたりする。

muuteというアプリを使ってジャーナリングをしているのだが、家でも電車の中でも思い立ったときにすぐ書ける。書きたいときに書けないのはもやもやが募るだけなので、デジタルなジャーナリングが私には合っている。


自分の中に大切にしまっておきたい感情とか、人には話すほどのことでもないけどちょっと引っかかることとか、人に発表するまでもない将来へのささやかな欲望とか、そういうことを、自分だけで完結させかつ自分ではないどこかに出せるところがあるというのは、私の心をとても安定させる。

そして、誰にも見せないことを前提とした言葉であることを私は大事にしている。
良いことも良くないことも全て、心の深いところから湧いてくるものをすくい上げることができるから。


特にネガティブな感情について、ジャーナリングは私にとって大きな意味を持つ。

何かが起きてネガティブな感情が私の心を支配するとき、私はまず自分の感情とその感情を引き起こしたトリガーを整理する。すると、そのときの自分にとって何が良くなかったのか、実際の状況と心の状況が文脈を含んで見えてくる。

書いているうちに、自分は本当はこうしたかったんだ、自分のこういうところは変えていきたいな、これからの自分はこうしていきたいんだ、という思いに気づく。

自分の思いや課題がクリアになると、これは頭の片隅で意識して生きてみよう、次はこうやってみよう、と行動の指針が立つ。自分の心が未来に向かって動き出す。

まあ、そんな簡単にはいかないことも多々あるけれど。


それでも、自分の頭の中で糸がどんどん絡まっていくよりも、糸を少しずつ端からほどいて綺麗な糸玉にまとめた方が何か新しいものを作りやすい。

そしてネガティブを糸玉にしたら、もうその糸玉はどこかへ放っておいて、あまり見ないようにしている。

これまでいくつもの糸玉を作ってきた。初めこそぐちゃぐちゃな糸玉ばかりだったけれど、2年半もやっていればだんだんと上手になった。今では結構良質な糸玉を生産していると思う。


糸玉は、知らぬ間に溶けてなくなっている。

日々、考えていることは変わるのだな、と思う。

私の心は移りゆくということがわかっているだけで心の持ちようが全然違う。ジャーナリングを始めて1年くらい経ってそのことに気づいてから、自分の心の動きに安心できるようになった。


ジャーナリングはこれからも気ままに長く続けていくと思う。私の心の位置を、正しいところにゆらゆらと置いておくために。


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