上賀茂

 上賀茂は私にとって、非常にゆかりのある場所だ。

 2011年3月。私は山口県山口市の実家から、着慣れないスーツを身にまとい、スーツケースと小さなかばんを持ち新幹線で京都駅に向かった。

 市営地下鉄から北大路駅に、そこからタクシーを使い柊野別れへ。別れの交差点から徒歩数分。小さなお米屋さんの入るビルの3階が私の部屋だ。

 私は新しい土地に来たらとりあえず散歩をする。私が住んでいた上賀茂という地域は、現在にも続く葵祭を行う上賀茂神社を中心とした古い町だ。京の都からは外れ、聚楽第の外でもあるが、江戸時代は上賀茂神社の直轄地でもあり、神社境内には紫式部の参詣した摂社も存在している。

 私は俗に「大学が大好き」だったため、4年制のところを6年通ったが、辛い時やここ一番の時はよく上賀茂神社で頭を下げて、神様からのお手紙とばかりにおみくじを引いたりしていた。

 私の通っていた京都産業大学の周辺は特段、何かあるわけではない。古い時代から都の外れであり、学祖・荒木俊馬博士が京都産業大学を開学するまではうっそうとした山のみがあり、鞍馬・貴船への街道があるだけだったようだ。

 それは私が大学に入ったころも変わっていなかった。たしかに、初期のOBと話していてもコンビニがあったりバスが通ったりと変化はあったが、洛中の大学や東京・大阪の大学と違うところも多かった。

 その一つ。私の住んでいたアパートにはお風呂とトイレがなかった。こんなアパートが、この時代にたくさんあったのだ。

 よく私もシャンプーとボディソープ、タオルと小銭をもって、近くの柊湯という銭湯に通っていたが、この銭湯も学生が多く集っており、大繁盛とは言わずとも若い人が多く来ていた。

 そして上賀茂神社の門前に当たる御薗橋には学生御用達の食堂が集い、私は特に、橋の入り口近くに構えるハイライト食堂上賀茂御薗橋店は大のお気に入りだった。本店は京都大学を擁する百万遍に。あとは龍谷の十条、立命館の衣笠、京都学園の御池と大学生御用達の定食屋で、ジャンボチキンカツ定食のごはん大盛りとくれば、体育会の学生もペロリ、私もペロリと食べていた。そして、この定食が600円ちょっとで食べることができていた。

 夏は暑く、冬は凍える京都の町。

 洛中のビル群や巨大な寺社仏閣。その陰にひっそりと洛外の雰囲気。

 京都は学生の町といわれている。そして、多くの大学は案外と学生以外の出入りも自由なことが多い。どうでしょう、古くからの学生の生活の場をのぞいてみるのも、また、一興であろうと思います。

 そして、2017年3月。朝のトラック。靄が少し出たころに、大家さんからの言葉をかけられながら私は岡山に向かいました。トラックの3人掛けのシートの真ん中に座り、京都を離れました。

 上賀茂の美しい景色を目に焼き付けながら、楽しかった学生を思いながら、私は今も生きて、たまに思いをはせて、たまに上賀茂を再訪して。

 うれしい偶然は私が今住んでいる吉備中央町。吉備高原都市に住んでいるが、隣の地区は上加茂・下加茂地区。

 上賀茂ーーー私にとって特別な名前。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?