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本当にやりたいことは、「肌」で探す。

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悪い予感は、高い確率で現実化する。
これにはしっかりとした理由(わけ)がある。その理由とは、人間の肌が優れた認知機能を持っているということである。実際、肌の認知スピードのほうが、脳よりもコンマ数秒速いらしい。

予感は頭で認知するものだと思いがちだが、実際は肌で感じたことを脳が言語化しているだけに過ぎないのかもしれない。

人間の受精卵は細胞分裂を繰り返しながら人間らしい姿になっていく。そして、脳と皮膚は同じ外胚葉から分かれて形成されていく。皮膚が第二の脳と言われる所以はここにある。

「天才肌」や「職人肌」という言葉があるように、肌で覚えた技術の前では、どんなに優れた頭も役には立たない。コミュニケーションスキルを教える先生でも、肌が合わない人とは意思疎通は難しい。

巷に溢れる自己啓発書にベストセラーが少ない理由もそこにある。本当にやりたいこと、幸せや健康になるためのヒント、儲かる仕事は頭で探そうとするほど路頭に迷い込む。

人生を変えたいと思ったときに、頼るべきもの。
それは、脳ではない。肌なのだ!

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旅好きな人なら分かってくれると思う。

初めて訪れる街に着いたとき、なんとなく自分がこの街に「歓迎されているな」という感覚を。もちろん、その反対もあり、「歓迎されていないかも」と感じた街では高い確率で嫌なハプニングが起こったりする。

先週、わたしは急な思いつきで熱海を訪れた。思いつきといっても、多分それは自分の肌が求めていたんだと確信している。たまたま、空きがあった宿を予約し、新横浜から新幹線に乗り、熱海駅に向かった。

身を清める代わりに、わたしは駅からいちばん近い床屋に入る。「横、後ろ1ミリ、上も短め。髭とモミアゲは4ミリで」と言えば、どこの理容室も同じように切ってくれる。けど、熱海で出逢った強面の店主は、わたしが記憶しているかぎり、最高の腕前の持ち主であった。

気分を良くしたわたしは熱海サンビーチへ向かう。旅は、我々に人生をよりよくするためのヒントを与えてくれる。時間ができれば、わたしはいつも旅に出る。それは、天からの啓示を受けるためである。そしてまた、熱海のビーチを歩きながら、いつものようにわたしは啓示を受ける。

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映画『フィールド・オブ・ドリームス』の主人公はある日、「それを造れば、彼はやってくる」という謎の声を聞き、生活の糧であるトウモロコシ畑を切り開き、そこに野球場を造るのである。

人それぞれが受け取る啓示には意味があり、それを実行し完遂するまで本人にも意味は分からない。けれども、最後には予想も付かないサプライズが必ず用意されている。そのサプライズこそ、この世で本人のためだけにカスタマイズされた本当の意味での癒しだとわたしは思っている。

気功やヒーリングにおいて、“相手のため”を願えば願うほど、上手くはいかない。あなたが誰かにそっと触れるとき、あなたの手は“触れられている”手でもある。ふれあいとは、まさに“触れ合い”であり、相手のためという一方通行的な思考は、癒しへ誘(いざな)う共振の妨げになってしまう。

劇作家の寺山修司はこんな言葉を残している。
“この世でいちばん遠い場所は、自分自身のこころである”

誰もが自分のこころと触れ合いたい。そして、和解したい。そう思いながらも、随分遠回りして日々命をすり減らしている。けれども、誰も教えてくれない。そう、自分自身のこころと触れ合う方法を!

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もし、あなたが誰かのこころに寄り添うとき、相手のこころもあなたに寄り添っている。触れ合うということは、そこには“境界”が存在する。その境界を意識することで、人は相手に敬意を抱く。礼儀や敬意を欠くことは、誰とも触れ合えないまま生きることであり、それは他者の命と触れ合うことなく自分の命さえも失うことを意味するのである。

あなたが敬意を持って自分自身の肌にそっと触れる。それだけで、こころは癒される。自分は自分に“触れられている”という感覚、それはこころが存在するから生まれるのである。

肌で感じることは、こころで感じること。そのことに気付くまで、わたし自身も人生を随分遠回りしてしまった。熱海にわたしを連れてきたのは、紛れもなくわたしのこころ。

熱海サンビーチでタクシーを拾い、静岡有数のパワースポット、来宮神社近くにある法悦という名の温泉旅館に向かう。貸し切りの温泉に浸かりながら、わたしはこころに決めた。自分自身の肌の感覚をもっともっと信じてみようと。

Live your life !

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※写真はすべて熱海市内で撮ったもの。

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