ミシェル・トゥルニエ「メテオール(気象)」

この小説は、「卵形の愛」に充足していた双生児、ジャンとポールの物語と、彼らの叔父である、5つの町のごみ捨て場を支配する「ごみのダンディー」ことアレクサンドルの物語が、三人称の叙述と一人称の語りが交錯する形式で書かれています。

2つのテーマはほぼ並行して進行していきますが、この小説を序盤から中盤にかけて牽引するのはアレクサンドルの物語です。同性愛主義者の彼は、異性愛者は自然や道徳と一体化することで自分を偽っている存在である、と単独者としての誇りと矜持をもって痛烈に市民社会の常識を批判しています。フルーレット(仕込杖)を手に、町から町へと渡り歩く彼の数奇な運命は、それだけで1冊の長編になってもおかしくないアクの強さをもつ魅力に富んだものとなっているのです。残念ながらアレクサンドルは小説の途中で命を落とすのですが、その最後に至って、彼の物語の主題が双子主題とリンクしていることが示され、小説は後半へと続きます。

アレクサンドルが物語の中盤で退場してからクローズアップされるのは、逃走したジャンの足跡を追うポールです。再び充足した「卵形の愛」を取り戻そうとするポールは、ヴェネツィアにはじまり、ジェルバ、アイスランドと世界をまたにかけてジャンを探し求めます。途中、日本にも立ち寄るのが興味深く、「日本の庭」と題された章では、庭についての思弁的でポールを諭す上人の語りと、ポールの語りによる動向が交互に配置された、この物語の中でも不思議な魅力をもった章となっています。

ポールの旅はなおも続き、カナダのバンクーバーからドイツのベルリンへと、ぐるりと世界を一巡りします。ベルリンでは「ベルリンの壁」の建設に立ち会うこととなるのですが、ここで彼の運命に劇的な変化が生じ、最終章になだれ込みます。そうして「広げられた心」と題された最終章ではこれまでもそこかしこに現れていた「気象=大気現象」のモチーフが物語全体のテーマと重なり、物語の幕を降ろすのです。どんでん返しの結末、というわけではないのですが、「なるほど、こうやって着地させたのか」と感心させられました。

著者のミシェル・トゥルニエはもともと哲学志望だったのが、哲学教授資格試験に失敗したため小説家に転身したという経歴の持ち主です。そのこともあってか、この小説でも双生児の世界と単独者の世界と関係性についての考察が張り巡らされていますが、構造のたくみさと、寓意性を保ちながら歴史的なイベント、地理的な描写を織り込むことによって本作をまぎれもない小説としているのがさすがでした。 

彼の作品はこれまでデビュー作の「フライデーあるいは太平洋の冥界」や「聖女ジャンルと悪魔ジル」といった、過去の名作(「ロビンソン・クルーソー」や歴史(ジャンヌ・ダルクとジル・ド・レ男爵)を下敷きにしたものを読んでいたのですが、ヴォリューム、内容の充実度は本作が一番でした。機会があれば「魔王」や「ガスパール、メルキオール、バルタザール」といった他の代表作も読みたいですね。

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