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「自分が求めるもの」の見つけ方~NVCひとり読書会・第1章

私は、人の心には「意識」と「無意識」の領域があると分かった18歳の時から、
「無意識」に存在する「自分が求めるもの」に気づけないもどかしさを
なんとかしようとしながら生きてきた自覚があります。
それが、最も簡単にできたのがNVCです。
自分なりに考えた、その理由の一つを第1章から探してみました。

第1章の1節に、以下の文があります。

NVCは「コミュニケーションのプロセス」とも「思いやりの言葉」とも表現できるが単にプロセスや言葉にはとどまらない。意識を集中させて、より深いレベルで自分が求めるものを見出すように絶えず働きかける。
マーシャル・B・ローゼンバーグ著「NVCー人と人との関係に命を吹き込む法」(新版)P21

「より深いレベルで自分が求めるものを見出すように絶えず働きかける」効果がスゴイと、私は言いたい。

具体的に言うと、
今自分はどう感じているか、を、聞き手と一緒に言葉にしていきます。
問い方に型はなく、その時の対話のあり方によりますが、
例えば「モヤモヤ」は、「恐れ」?「ドギマギしている」?「不愉快」?「悲しい」?というふうに。
また、「分析」のように見えるけれど、そうではありません。
あくまでそこにどんな感情があるかを、良い、悪いといった「評価」を交えず探していきます。

そこで話し手の人は、客観的に自分の「感情」に向き合い始めます。
例えば、
聞き手が「話を聞くと、恐れている気持ちを感じるけれど、どうですか?」と質問します。
すると話し手は
「いや、恐れてはいないのよ。XXしてしまわないかという懸念があって…。
 でも、相手には○○だと言われるし…戸惑ってる感じですね…」と、
自分の感情を的確に表す単語を探し始めます。

この「感情に対する問い」があることがNVCの「共感的に聴く」を成立させる重要な点だと理解しています。
この問いを立てることで、話し手は今感じている感情を明確にし、なぜそのような感情が湧くのか?
つまり、どういうニーズが満たされていないのか、本当はどうだったらいいのか?ということに気づくプロセスをたどります。

私はこれまで、「共感的に聴く」というと、
相手に「共感しながら傾聴する」ことだと理解していました。
NVCでは、この「感情に対する問い」が付加されることで、
”さがし求めているものが見つかる可能性のある場所に注意を向ける”ことに、絶大な効果を発揮するのです。
マーシャルは、このことを書籍の中で、
”「意識の光を当てる方法」として、わたしはNVCを開発した。”と言っています。

街頭の下で、両手をついて何かを探している男の話がある。
警察官が通りかかり、何をしているのかと尋ねた。
「車のキーを探しているんです」と男が答えた。少々酔っているようだ。
「そこで落としたんですか?」警官がさらにたずねた。
「いや、・・・裏通りで落としたんです」。
当惑した表情の警官を見て、男が急いでつけ加えた。
「でも、こっちの方がずっと明るいので」
見つけたいものがなさそうな場所に注意を向けてしまうのはなぜだろうと考えているうちに、それは自分が身を置く文化が、知らず知らずのうちにそうさせているのだと気づいた。
さがし求めているものが見つかる可能性のある場所に注意を向ける、つまり、意識の光をあてる方法として私はNVCを開発した。
マーシャル・B・ローゼンバーグ著「NVCー人と人との関係に命を吹き込む法」(新版)P 22

「合理主義」というアメリカらしさが見える例文ですね。
意識下で行う思考も、文化に影響を受けた”思い込み”に影響を受けてしまう、という意味だと解釈します。

最後に、
第1章のまとめから、1節を抜粋します。
心がとても温かくなります。

NVCは私たちに本来備わっている力ー人を思いやる気持ちを引き出すことで、自分自身と、そして自分以外の人々との交流を容易にする。
自分自身を表現する方法、そして耳を傾ける方法を見直すプロセスとも言える。
マーシャル・B・ローゼンバーグ著「NVCー人と人との関係に命を吹き込む法」(新版)P 33

補足;
「傾聴的に聴く」ことは、自分自身に対してもできます。
「自分と対話する」ということです。
ノートに自分の思いを書き出すときに使うと、やりやすいかも。




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