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今週読んだ、本とかドラマとか、音楽とか。#4

今週は、仕事が忙しかった。
だから、読んだ本はちょっと少なめ。1冊読んで1冊途中で止めた…。
ドラマは、4話分ほど。

1冊目は、

『ここちよさの建築』光嶋裕介

NHK学びのきほんシリーズ。
建築家の光嶋裕介さんが書かれた、生活と建築に関わる本。
Amazonのオススメに出てきていて気になっていた本。


勝手なイメージで、
建築の本となると、構造とか歴史的な背景とかそういった、
「建物の見方」みたいなものと思っていたが、紹介文を読んでみると、
どうもそんな感じじゃないので、そこには、生活があって、人がいて。
興味が湧いた。

しかも、Kindle版は500円以下というお手軽さもあって。。

Amazonに載っていた紹介文、

「自分」だけの住まいの幸福論
オンラインで人とつながることが増え、多くの時間を家で過ごすようになった今、私たちがより幸せに住まうためにはどうすればいいのか。本書では「建築と建物の違い」「建築を形作る用・強・美」 など、建築家が重視する「建築のそもそも」を学ぶことで、自分の住まいのあり方を捉え直していく。その上で、「好きなものを集める」「ホッとする空間をつくる」「手入れする」など、身近なところから「ここちよい住まいの作り方」を提案する、実践的入門書。

『ここちよさの建築』光嶋裕介 紹介文

紹介文にも書かれている「建築」と「建物」の違い。
どうやら自分は、混同していたようだ。

本を読んでいく中で、そのことが分かる箇所があった。

「建物」は、物質としての建物そのもののことです。一方で「建築」は、ある価値を実現するために意図をもってつくられた建物、あるいはそうした意図によって顕在化する考え方のことです。  意図を込めるのは建築をつくる建築家や職人であったり、発注するクライアントであったりしますが、その意図を読み取るのはユーザーである住人になります。建築と人間は常にセットとしてあり、この建築の意図を交換することによって建築というものは存在しています。建築は人間の意図を伝達する媒体なのです。だから建築はモノであると同時に考え方でもあるということです。  また建築は、そこに住む人の日々の営みの記憶が蓄積されるものでもあります。そのため、建築とは「記憶の器」である、とも言うことができるでしょう。

『ここちよさの建築』光嶋裕介 P31

これを読んで、いい意味で「建築」という言葉のイメージが変わった。

序盤はこんなふうに始まります。

「はじめに」で僕は、現代の私たちは「建築に住む」ということに対していかに無関心であったかに気づいたのではないかと述べました。建築に住むことについて無関心になってしまった大きな理由は、原初の暮らしでおこなわれていたさまざまな営みが、家から切り離されてしまったからではないか。そう僕は感じています。  切り離されたのは、生と死です。生まれることと死ぬこと。現代では、この両方が住まいという建築から切り離されました。そう遠くない昔までは、家に助産師さんが来て命の誕生を祝福するという光景が住まいの中にありました。あるいは、家族の構成員が家で亡くなることも普通にあったし、家で葬式もあげていました。しかしいまでは、それらがおこなわれる場はもっぱら病院と斎場に取って代わられました。  働くという行為も家から切り離されました。おのおのがそれぞれの家で働くよりも、みんなで集まって働く方が効率がいいし、生産力も上がります。こうして、労働の舞台は、工場やオフィスなどの新しいタイプの建築に移っていきました。  生と死と労働。この三つが切り離されてしまったのが、住まいという建築の現在の姿だと言えます。

『ここちよさの建築』光嶋裕介 p15

日々のくらしの中で、あまり意識することがなかったけど、
言われてみれば確かにそうだなと。

コロナ禍でリモートワーク等で生活と仕事の距離が近くなったといえ、やっぱり、生活と仕事は切り離されている。

結局、むかしの暮らしに少し戻ったとも言えるのではないか…なんて思ったりもした。

タイトルである「ここちよさの建築」とは何か?
心地良い空間と身体の関係性を考える。そのため、「ここちよさの七つの条件」として以下が述べられています。

①ホッとする
②好きな物を集める
③思いを馳せる
④何かしたくなる
⑤変化する
⑥愛着をもつ
⑦他者と招く

⑤変化する、⑥愛着をもつ、の箇所からそれぞれ気になった部分。

住まいにおいて、この学びによる自己変容を体感できるものの一つに本棚があります。おもしろそうだと思った本、知りたいことがあって買った本、人に勧められて読んだ本、展覧会を観たあとに買った図録……。本棚はまさに、自分の知識や体験のアーカイブです。  そんな本棚に囲まれていると、自分が変化していることに気づくことができます。以前は難しすぎて読めなかった本を、ある日ふと手に取ってみるとスラスラ読めた。あるいは、前に読んだ本に引いてあるアンダーラインが、いまの自分にとっては「なんでこんなところに線を引いたのだろう」と若気の至りのように感じられる。自分の本棚に触れることで、流れる時間を感じて自分の中の微細な変化が確認できるわけです。本棚を通じて自分をチューニングする。  チューニングされた本棚は、生きた本棚だと言えます。生きた本棚は、物理的に本がよく動く。本を置く場所が変わったり、並べ替えられたり、手で触れることで本棚は生き生きします。

『ここちよさの建築』光嶋裕介 p95

六つ目の条件は愛着をもつということです。人は何かに手間をかけて手入れをすることで愛着をもちます。そのわかりやすい例は掃除でしょう。机の上を整理整頓する、床を拭く、本棚の埃を払う、エアコンのフィルターを綺麗にする。手入れは手間ですが、そうした時間をかけることで住まいや物に対する愛着が湧くのです。  また、手入れをするというのは、自分の身のまわりの空間と向き合い、物と自分との関係性を整えることでもあります。その際に大切なのは、自分にとってしっくりくる「ニュートラル・ポジション」を決めておくことです。愛着をもつためには、掃除でもなんでも、時間がかかります。ゆえに、自分なりの基準、ここちよい空間のスタンダードをつくっておくと、そこからの変化を念頭において、手入れすることができるようになります。  綺麗さをずっと維持する必要はありません。ニュートラル・ポジションだって維持するのが面倒なときもあるし、それもまた変化して構わないのです。だから、綺麗さの維持よりも、気楽に、自分らしく愛着ある部屋をつくることを意識してみる。そうした部屋で過ごす時間は、楽しいものです。  ちなみに現代では、住まいや物の手入れを他人にやってもらうことができます。しかし、お金を払って手入れを人任せにすると、自分なりのここちよさを育む行為を放棄することになり、感覚も鈍ってしまいます。  手入れは、空間にコミットする大切な営み。流れる時間を感じる営み。身体を動かして自ら空間に手を入れることは、不快を取り除き自分なりのここちよさをつくり出すことに直結するのです。

『ここちよさの建築』光嶋裕介 p99

また、巻末には、本が紹介されていて、気になった本がいくつかあった。
読んでみたいと思う。


Kindle版


2冊目は、
『教養としての教養』角田陽一郎

たまに本屋さんで見かけていて、
さらにこのイベントをTwitterで知って、興味が湧いて読んでみた。

結果、少し読んだくらいで判断するな、、と言われそうだが、
今の自分には、なんだか少し違った。
もっと理解できれば違っていたかもしれないが、、
しばらくして、また読んでみようかな。

下記はブクログに書いたメモ。

ちょっと期待した感じと違った。
3割ほど読んだ時点で一旦読むのをやめてしまった。。

一般的なニュースのような、テレビような印象を受けた。
教養ということばに自分が引っ張られたのかもしれない。

確かに紹介文でも、それらしきことが書かれていたが、もう少し踏み込んだ内容かなと期待していた、、さらに読み進めれば違うのかな…。


Kindle版

最後は、
ドラマ 『カルテット』

先週から観ていた『カルテット』を最終話まで観終わった。

やっぱ良いドラマ。
坂元裕二さんの独特のセリフ、間、出演者の演技。

次、坂元裕二さんの作品、何を観ようか。

あと、音楽

6月夜の散歩の時に聞いていた曲たち。
R&B、シティ・ポップが多め。

おわり。

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