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じぶんの繊細さと向き合うはなし

ここ数週間、やっとピアノを弾いたり、創作物に着手しようと思えるようになってきた。数日前、引っ越してきて以来、壁に立てかけてあるだけだったピアノをいつでも弾ける状態にした。
なぜできるようになったのか。今の仕事の一部がやっと落ち着き始め、比較的安定して定時で仕事を切り上げられるようになった。家で自炊ができるようになり、朝もあれでも安定して起きれるようになってきた。
現職に入社して、だんだんと創作やピアノから離れていったため、ここ直近まできもちの余裕は一切なかったのだろう。

とはいえ、私はそこまでキャパシティはないし、無理はできない。認めたくはないけれど、私は一般に言うHSPやエンパス体質に近い。
所謂、HSPやエンパス体質を言い訳にしている人を見かけることがあるため、それと同類にされたくないという思いから虚栄を張っている。

私はHSPではないですよ~
エンパス体質じゃないですよ~
ふっつーのニンゲンですよ~
そんな虚栄。ガハハと大雑把にがさつしていればそれだと思われないだろうという変なお気持ち汲み。

でも、それこそが「適応障害」そのものらしい。以前読んでいた本にもあったが、そういったことを書いてあって思いっきりぐさっと刺さった。
これは痛い。でも正に私だ。

そういえば、先月の生理前、PMDDのような症状が出た。
ストレスマッハだったのもある。その日はなぜか早朝に目が覚めて眠れなかった。普段は全く朝起きれないのにその日だけは眠いのに眠れなかった。
そのまま起きて、食欲はないが朝食をつくるだけつくって、仕事に出たものの何かぐらつく。吐き気がする。
日中はなんとかやりすごしたが、その夜は何をするにも涙が止まらなかった。職場で泣き出すのだけはしたくない。人と話せない。自分が自分でないみたいだ。絶対に生理前のせいだけどこんなのは初めてだ。
もう◯んだ方がいいんじゃないの?ご飯も家事もできない私って生きる意味なくない?こうなったら泣くしかないし、うまく話せないから放っといてほしい。人と話そうもんなら傷つける言葉しか出てこない。
※今月はそこまで残業が多くないのと、命の母ホワイトを飲むことでニンゲンを失っていない。命の母ホワイトってすごい。

こりゃいけないと思って、なるべく無理しないようにした結果が今月である。

話を戻すけれど、自分が繊細であることはなかなか変えることは難しい。ある程度の線引きを自分なりにするしかない。

確かに「この人◯◯してほしいんだろうなあ」みたいなのは感じるし、大抵当たる。それをあえて無視して、やらないと決断するのはなかなか疲れる。自分で精一杯なのにわざわざ他人のお気持ち汲みなんてしている余裕はない。
私に何かしてほしいなら言えよって話だし、お気持ち察してもらおうとするなよという話。
元気なときならいくらでもお気持ち汲みできるけど、そんな元気なことは滅多にない。それにデフォルトでできないことはやらないほうがいい。一度やったらそれが当たり前になる。

他の人の機嫌なんか知るか、糞食らえ。
そのくらいの感覚で良いのかもしれない。

そんな私の今年の裏目標は「お気持ち汲みおばさんをやめる」である。自分の機嫌は自分で取ったほうが生きやすい。

やっとピアノに触れるようになったんだ。もう失いたくない。


わたしたちの背中に追い風がありますように
May the wind be ever at your back

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