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コルカタの熱波

4月の記憶を時系列で並べることができずにいる。それまでは自分の生活に確かな手触りがあったのだが、4月のコルカタの熱波は嵐のように私を飲み込んでいった。毎日暑さを感じることしかできず、頭の中が腐っていくようだった。人生に虚しさを覚え、なぜ自分がここで生きているのか分からなくなった。もちろん映画のためにコルカタに来たのは百も承知だが。自分のことを楽観的な性格だと思っていたけれど、暑さに理性が乗っ取られてしまった。憂鬱の最中をさまよっているとき、私は文字通り周りの人たちに助けを求めた。理性を保てている彼らは眠る場所や食事や冷たいビールを私に振る舞ってくれた。迷子犬のように家々をさまよった。ぼんやりとした思考の中、昔読んだカミュの『異邦人』の一節を思い出した。

"C'était à cause du soleil" (太陽が眩しかったから)

太陽が眩しくて人を殺すことなんてあり得ないと思っていたけれど、今はそのような状況を想像することができなくもない。ムルソーのように人を殺していないが、暑さの中では何か間違ったことをやりかねないと感じたのだ。だから私は私を殺すことにした。自分の気持ちを言語化することを諦め、暑さに涙を流した。コルカタに文句を言いたいわけでもなく、この文章で人々の同情を集めたいわけでもない。風通しのない部屋にエアコンを設置できたから、完全におかしくなってしまうことは避けられた。ただ、この暑さを経験する前と後で、3月の私と4月の私が同じ人であるとは思えないのだ。人生は得体の知れないものだと感じるしかなかった。雨がようやく訪れてから、散り散りになった4月の記憶をかき集めようともがいているが、全てのピースを集めることができていない。さまざまな感情や感覚が嵐のように通り過ぎ、気がつけば4月が終わっていた。作家の仕事をする上では貴重な経験だと感じているが、人生にとってこれが幸せなことかどうかは分からない。知らなくても生きていけたことを知ってしまったような気がする。

筆者は現在インドの映画学校で留学中のため、記事の購読者が増えれば増えるほど、インドで美味しいコーヒーが飲める仕組みになっております。ドタバタな私の日常が皆様の生活のスパイスになりますように!