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強い女我儘女『ジョゼと虎と魚たち』by田辺聖子

1987年に出版された名作の短編集、ジョゼと虎と魚たちを読んでみようと思い今回手に取った。

何度も映画化されたりアニメ化されたりする名作だと思ったら、表題のジョゼと虎と魚たち自体は非常に短い短編のひとつでしかないのが意外すぎた。

そして関西弁で、時代のせいなのか私にはとても読みにくい文章に思えたけど、この1987年は男女雇用均等法とかバブルとかそういう時期に出された恋愛物だと思うので、よくよく考えたらこの頃の流行りはこういう感じのキャラクターが受ける時代だったのかもしれないと感じる。

以下、また見出しを付けて気になった事を書いていこう。

1.ひたすら変人しかいない

なんていうか今の小説のヒロインって、共感できたりするキャラ設定の方が多いのだけれど、キャラがひたすら濃い。

特に変人すぎるのが、第2章のうすうす知ってたのヒロインは、陰キャで恋に恋焦がれているけど付き合った事なんてなくて、一人でシャーッ!とかいって空を切るただの変な子だったりする。

いや、普通にだたの痛い子…むしろ関わりたくないくらいの痛い子だ。

でもこの時代からやはり、陰キャというものは認知されていたのかとひたすら感心もしてしまうのである。

4章のそれだけのことのヒロインは、チキっていうよくわかんない人形に6歳下の恋人と共に話しかけてしまう気持ち悪い女である。

しかも旦那がいるので、人形を介して不倫…そうそれで罪悪感を和らげているのかもしれない…いや、でも一番これが読んでてちょっと気持ち悪さに耐えられず飛ばそうかと思った。

3章の恋の棺のヒロインは、小さい頃から知ってる甥っ子をくってしまうという、なんだろうおおう近親じゃん…ってやつだしもうなんだろう。

とりあえず割と、アクの強いヒロインで構成されてるな、そう思った。

2.ひたすら強い女たち

全ての女がみんな、自分で仕事を持っていたりする。

表題のジョゼは車いすの障碍者なので生活保護で生きているけれど、それ以外は大抵キャリアウーマンだったりで、弱い養われていますみたいな専業主婦はほぼいないに等しい。

そしてみんな強い。

関西弁ですべてが描かれているからそう見えるかもしれないけど、皆たくましいしむしろ我儘で強い女。

一番イライラするほど我儘なのは、ジョゼと虎と魚たちのジョゼだ。

むしろ性格が悪い超我儘、一緒にいてくれる彼氏である管理人が可哀想になってきて同情してしまうのである。

でもカップルって、意外とこんなものなのかもしれないなぁ…って読みながらなんとなく考えた。

やっぱり一緒になる相手は、自分を映し出す鏡って事を言いたいのかな?と思う位似た者同士カップルはいない短編集。

この時代はこういう強い女が憧れだったのかなとか、ああでも今の時代も強い女は憧れるよなぁとか色々考えながら読んでしまうかも。

3.むしろ女は我儘であれなのか?

そう、むしろしおらしい女など存在しないし。

ヒロインによっては、もっといい男がいたならもう遠慮せず乗り換えるし。

自分の我儘を押し通そうとするし、割とみんな我が強いヒロインたち。

最強番付でいったら、やっぱりジョゼが一番我儘なんだけど、割とみんな自立していてしっかり自分の考えを持っていて、大体男のほうがだらしない。

でもこんなもんなのかもしれない、ちゃんと強くてしっかりした男などどこにもいないって事も訴えてるのかなぁ?っておもったりする。

むしろ年下の男はピュアで可愛い子が多い、そんな感じの印象だった。

第1章のお茶が熱くて飲めません、のみはヒロインがまともで訪ねてきた元カレのほうがあかんやつだった意外は、割とみんな我儘ヒロインだったりする。

バツイチも普通で、身体の関係が大事って考えてもう結婚しないし、そういう考えの自由な女達。

誰も男に負けないくらい我儘を通しているので、相手のクズ男に対しては若干ざまあみろって思う。


こんな感じの作品だった。

うーん、自分にはあわない小説だったけど、文章表現方法はちょっと独特だったかな?

でも短編だけどずっと映画とかになってるジョゼと虎と魚たちに関しては、やっぱり設定だけ使って膨らますのは確かにやりやすいかもしれないって事で、興味がわいたら一度は読んでみる事をオススメしたい。

アニメ映画と実写映画みてみたいなぁって逆に思いました。



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