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空回るがんばりで許されてきたけれど、やっぱり現実は怖いな

タイトルは、スピッツの「ありふれた人生」の歌詞の中で私が最も好きな部分だ。そして今の私の心に一番刺さる部分でもある。


私は、現在通っている大学に指定校推薦で入学した。高校の時に、毎回の定期テストを死に物狂いでやり、信じられない程の高い成績で指定校推薦の枠を勝ち取った。そんな高校時代に、私が指定校推薦の枠の獲得の代償として身につけたのは、「強迫症」だった。病院を受診したことはないが、間違いないと思われる。

「強迫症」の中で、私が直面したのは「確認癖」だ。「確認癖」でよく例に挙げられるのは、「家の鍵をかけたかが心配で何度も確認し、会社に毎日遅刻してしまう」や「火を止めたか不安で何度も確かめてしまい、次の行動をとれない」といったものだ。しかし、私の確認癖が発症するのは、このような場合ではなくて、主に勉強面だった。もうとっくに覚えたはずの単語を何度も何度も馬鹿みたいに口に出して音読しないと気が済まず、次の単語に取り掛かっても前の単語をまだ覚えているかが不安になってしまい、もう一度前の単語に戻って音読し始めてしまうのだ。だから私の勉強は、周りの子の何十倍も時間がかかっていた。

発症の理由は、おそらく定期テストのプレッシャーだった。主要五教科だけでなく、家庭科や保健体育などを含めた約15教科すべてで95点以上をとり続けなければならないというプレッシャーから、私は何かを暗記するときに過度な確認行為を繰り返すようになっていた。そして、いろいろなものを暗記しないと気が済まなくなっていた。最終的に、私はTodoリストを作ったら、そのTodoリストさえ暗記し、それを何度も何度も口に出して繰り返していた。この音読作業は一旦始まってしまうとやめられなくなり、肝心のTodoリストの内容をいつまでたっても取り組み始められないという状態になっていた。(Todoリストの内容は本当に些細なもので、「お昼ごはんを食べる」とかそんなものも書いて唱えていた…忘れるわけないのに………)頭の中では、「自分はおかしなことをやっている」という実感はあったものの、それが「無意味な行為」だと思うことができず、なぜだが色々なことが不安で不安で仕方なくやめることができなかった。毎日十時間以上勉強して(そのうち、おそらく5割以上は確認作業)、頭がおかしくなりそうで、本当につらかった。

当時は、悩みつつも定期テストでいい点数を取り続けられていたこと、「未来の自分が信じられないだけだ」と謎の言い訳を自分に言い聞かせていたことから、この症状を今ほどはっきりと自覚していなかった。大学生になった今は、確実癖は少し落ち着いてきたが、Todoリストを唱える癖はまだやめられず、疲れていて心に余裕がない時などには永遠に唱えてしまう。恥ずかしいことだとわかっているから、人前ではやらないようにしているが、発症してしまったら、小声で唱えたり、口パクで指で数えながらやったりする。また、未来の確実でないことが不安で眠れなくなったりする。海外に行く飛行機のチケットをとって、その他必要なものをきちんと揃えたのに、夜ベッドに入って、急に「空港で何らかの不備で海外渡航を止められたらどうしよう」などと考えて、心臓が締め付けられるほど不安になってしまう。

このように今でも私は、一見普通の大学生活の中にひっそりと異質な強迫症をすまわせながら生活している。しかし、今はもう日常生活に支障をきたすようなことはなくなったため、大した問題ではないと思っている。むしろ、「今まで散々空回りしながら勉強してきたのに、よくここまでこれたな」と思っているくらいだ。


しかし、だ。空回りの勉強が意味をなさないものになることを思い知ったのは、就活を始めてからだった。就活では、WEBテストというもの受ける必要がある。WEBテスト、みんな最初はうまく出来ないらしい。もちろん私もそうだった。だから、私は夏休みに対策問題集を買って、まるまる3周ほど勉強した。WEBテストの内容は、中学高校の頃にやったものばかりだったので、思い出しながら自分のペースで出来るとても楽しい勉強だった。しかし、時間制限のある実践のテストはいつまで経っても上達しなかった。確認癖がある私は、問題を意味もなく読み込んだり、自分が書いた式や計算の答えを何度も確認することをやめられず、過ぎていく時間に焦り、問題自体が頭に入らなくなるという悪循環に陥った。そこで、私はやっと悟った。「私って、本当は結構頭悪いんじゃないか?」と。今まで、空回りの勉強で、空回りの頑張りで、それなりの結果を出し、周りに褒められて生きてきた。だから、自分の頑張りが空回りだったとしても、頑張りの質は無視し、頑張った量という点にだけ注目して、それを自信にして生きてきた。だから、だいぶショックだった。でも、認めがたくも事実だった。私は「現実、こわすぎる………」と本気で怖がった。(私がWEBテストをできない理由として、シンプルに数学の脳がない、というのももちろん事実。問題の状況を答えとは関係のない隅々まで把握し、じっくりやらないと答えを出せない。パッと頭の中で問題を整理して必要な部分を見抜き、それだけについて頭を使い、答えを出す能力がそもそも備わっていないのもある………)

この確認癖を、今すぐ完全に治すことは難しいけれど、少しずつ、いつかは完全に治したいと思っている。そして「空回りの頑張りをする自分」を評価する姿勢を改めなくては、と思っている。でも、逆に悪化したらいけないから、少しずつ、少しずつ。空回らない自分を手に入れるまでは、スピッツの「ありふれた人生」を聴いて、慰められながら生きていこうと思っている。


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