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久々に孤独がどういったものだったかを思い出した

私はじつは一人で居ることが好きなほうで
一人で遊んだり一人で何かしてるほうが
誰かとよりもむしろ楽しめるほうです。

(弁明:親友は例外。
帰りたくなくなっちゃうほど楽しい。)

でも、ずっとそうだったわけじゃない。
一人で居ることが不安で不安でたまらなくて
誰かと居ないといけないと
思い込んでいた時期もあるけれど、

その当時こそ
異様なまでに孤独感を抱えていた気がする。


今は友達と呼べそうな人は
それはもう、本当に少ないけれど

不思議なことに昔ほど
孤独感で苦しめられることは無くなった。

そんなひとり好きの私が
久々に孤独がどういうものだったかを思い出したので、忘れる前に書きとめておこうと思います。

私が孤独を感じていたのは
思春期の、学生時代。

学校生活はなにかとあって
ものすごく辛かったけれど

同じくらい辛かったのは家庭での孤独感。

学生時代のことは
暗黒なのであまり書きたくないのもあるけど、
今回は後者の方。

私の実の父と母は離婚していて
小学生の頃に今の養父と再婚している。

養父はいい人ではあるんだけど
その当時から私とは折が合わなくて

さらに母親を取られることへの焦りから
よけい嫌いだった。

もはや恨んでいたかも。


母は養父と私と3人セットで
いつもいつも行動したがった。

普段の買い物、旅行はもちろん、
なんでもいつでも。


それまではあった
私とふたりの時間を、全く取ってくれなくなった。

私のことも平等に
見てくれればまだ良かった。


母は養父に夢中で
母の熱を帯びた眼差しは
いつも養父に向けられていることに
思春期に入りだした私はとうに気づいていて

私への感情が
そのぶん少ないことにも気がついていた。



3人で行動するたび
私はどこかへ消えた。

私から母を奪った養父を忌み嫌い
私を見てくれなくなった母を忌み嫌い
そのまま反抗期に入って
会話はほぼしなくなった。

家ではひとりでいた。
学校生活でも孤独だった。

母はそんな私と向き合うどころか放置して

養父とばかり話をしていた。

買い物にしても旅行にしても
私は置いてけぼりだった。


私ばかりが不幸面して、
後ろからついていくばかり。

母も母で、私と足並みを揃えてくれようとすることはなかった。

私は母に、ひそかに期待していたけれど
察してちゃんだった私は
してほしいことを言わなかったこともあり、

期待していたようにならないことに
いつも絶望していたのだ。


そんな私とは対象的に
いつも楽しそうな母と養父の背中を見ているうちに

どうしようもなく
消えたくなってしまうのだ。

消えたくて消えたくて消えたくて
堪らなくなって

いつどんな場所だろうが、
母と養父に背を向けて
逃げ出していた。


逃げ出しても、結局は孤独だった。

ただ、ほんとうは探して欲しかったのだ。



迷惑をかけるのは分かっていた。

それでも私を
少しでも見て欲しかった。

母は気づきしだい、探してくれたし、
私を置いて帰ったことは1度も無かったけれど、

私のことを見てくれるようになったのは
それでもごく最近のことだ。

反抗期で何を言っても食ってかかる娘を
どうしていいか分からず持て余して
ほっといていたのだろうと

今となっては想像に容易い。

面倒事は放置して、時間が解決するのに任せる。
そういう母だ。

私は今でこそ
人といるとむしろしんどいなと思うこともあるくらい、一人で居るほうが楽だし好きだけれど


おそらく、
一人でいても平気なように
いつのまにか心が変化したんだと思う。



なんども愛想は尽きたし
なんどもなんども呪ったけれど

それでも今は母のことはどうしてか、
どんなことがあっても好きでいられている。

なにかと無神経で不器用で残念なところもある母だけれど、素敵ないいところもあって。

母とは離別しなかったから
私は幸せな方だと思う。


今日ちょっときっかけがあって
学生時代の私が、当時抱えていた孤独が
どういったものだったか思い出したので
書き散らしました。

とても部分的で、非具体的だし、
少ししか書いてないから
大変、伝わりづらいだろうとは思いますが

もしここまで読んでくださった方がいたならありがとうございました。

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