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「恩」や「義理」について話そう。

昨今では「数字」「成果」「実力主義」など、何か明確な誰しもわかるような成果を出している人が「憧れられる」ような世の中になっているように思う。

実際に、数字は「凄さ」が伝わりやすい。それは自分との比較が簡単にできてしまうからだ。自分が100倍頑張っても届かない数字を出している人間がいたら「凄い。敵わない。」と思ってしまうのも無理はない。

しかし、今回はそんな数字とはかけ離れた話をしようと思う。それは「恩」「義理」というものについてである。


「恩」「義理」がなくなっていく時代


あくまでこれは私の感覚ではあるが、より時代が進んでいくにつれて「恩」や「義理」というものを感じるのが少なくなってきたように思う。これは時代なのか、私の感覚が変わったのかは分からないのだが、明らかに「感情論」が煙たがられたり、苦手としている人が増えた認識だ。

これは些か淋しく思う。なぜなら、人間の温かみを感じないからである。人間としての喜びの一つに「人と人とのつながり」がある。つながりが無くなることは、温かみを伝える機会を失うことを意味し、例えそこに温かい気持ちがあったとしても、伝えなければなかったものと同じだ。

そういう、「せっかくあるのに表に出せない」という、矛盾感を感じることがたまにあるのである。


小さなことでも温かみは伝わる


私が思うのは、その恩や義理は「小さなことでも伝わる」ということだ。
・両親に月一回会いにいく。電話をかけて世間話をする
・友達には自分から連絡する
・過去、お世話になった人には年1回でもメッセージを送る

少し考えただけでも、温かみが伝えられることは思いつく。

打算的にやる必要はない。むしろ、打算的にやるくらいならやらなくていい。それでは温かみは伝わらない。「自ら能動的に」「心から」の小さな「気遣い」が恩や義理を繋ぐ。

たった、それだけのことなのだ。何も大層なものではない。そして、それを続けることが大事なのだと私は考えている。


最後に、「恩」や「義理」は昨今、軽視されることが多いのかもしれない。ただ、誰もがそれを軽視するようになった時代に生きたいだろうか?と皆さんに問いたい。皆さんにも少し考える機会を持ってもらえたらと思う。

ここまでnoteを見てくれてありがとう。

somekichi


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