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あらゆる感情の逆は「無関心」である

こんにちはsomekichiです。

「好きの逆は無関心」
このように聞いたことはありませんか?

無関心というと、「冷たい」や「淡白」などの印象を受けられる方もいらっしゃることかと思います。ですが、「無関心」にも「使い方」と「役割」があり、私たちは「無関心」を鎧として生きている節があるのではないかと思うことがあります。

好きすぎるが故の怒り

あなたが好きな人や推している芸能人が「悪いことをして捕まった」としましょう。その場合、あなたは「裏切られた」という感情になるのではないでしょうか。逆によく知らない人がそのような状態になったところで、特に感情が荒ぶることはありません。

すなわち「好きと嫌い」は真逆の感情ではなく「連動している」と考えることができます。好きすぎるからこそ「期待を裏切られると悲しくなったり、怒りを感じたり」することがあります。

好きと無関心は真逆に位置する

「無関心」はどうでしょうか。無関心という状態は、「知識がない」「知らない」という状態だと思います。

この「知らない」という状態から、感情がある状態にするのが「最もハードルが高い」とsomekichiは考えています。この世の中の数え切れない魅力的なモノの中から「知ってもらう」「何らかの感情を抱いてもらう」ということに大きなハードルを感じるのです。

つまり、そのハードルの高さから、「好き」という感情(もしくは全ての感情)から最も遠いところにいるのが「無関心」という状態なのではないかと思います。

「無関心」という鎧

ということは「無関心」をうまく使いこなせれば「怒り」や「悲しみ」などの負の感情からも自分を守れるかもしれません。

一つの感情コントロールのコツとして、上でも話している通り「あらゆる感情の反対の位置にいる無関心」を使って、負の感情を断ち切るという方法は有効なのではないかと思うのです。

自分の身に危険を感じた時、気持ちを害されたと感じた時「無関心になる」という技術を身に付けることで、「自分を守ることができる」のではないでしょうか。

無関心になるには

自分以外の何かに「無関心」になる罪悪感を捨てること。これこそが、無関心になる技術の第一歩であると思います。

「誰にでも優しくすること」「みんなを好きになろう」と学校ではそのように習いますが、実際にそのようなことをする必要は全くないとsomekichiは思うのです。

※自分を大切してこそ、周りを大切にできる余裕が生まれてくると思う派です。

自分毎で物事を捉えることは重要です。自責という考え方は確かに自分を成長させることに繋がります。しかし、それでは自分を攻め過ぎてしまうこともあるでしょう。傷つき過ぎてしまうこともあるでしょう。

そのために、危険を察知し「自分を守る術」を学ぶことが重要です。somekichiも可能な限り負の感情をコントロールする術を身に着けていきたいと考えています。

これからも気持ちの持ち方やコントロールの方法について気づきがあれば積極的に投稿していきたいと思います。

もし、興味があればまた覗いてやってください。
ここまで本記事をご覧いただき有難うございました!

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