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恩師に手紙 妹・姉・母

わが家には今、桜のお手紙が3通分あります。

わが子たちは担任の先生へ。

私は恩師へ。

 書こうと促した訳ではないのに、私のレターセットを見て、

「先生に、最後にお手紙書きたいから、春らしい便箋と封筒をちょうだいな🌸」

と、姉妹で吟味して選んでいました。

 私が小4の時にお世話になった(現勤務校で再会できた)恩師に手紙を書いている横で、小4の姉が担任の先生に手紙を書いています。

小1の妹は、別日に書いてしまったので、プレゼントに折り紙を折っています。

リビングでシーンとしながら互いに想いを書いて・作業している3人…。




親子だなぁ…。



親が大切にしていることは、子どもも感じてくれているんだなぁ…。

と嬉しく思いながら書いていました。

わが子たちが書き終えると、途端にうるさくなるので、最後になってしまった私が終わるまで、静かにしてもらうようお願いしました。😅


 手紙を書くって、その人への自分の想いを字に起こすことで再確認できて、私は好きです。

 しかし、伝えたい想いを相手に伝わるように書くのは難しいですね。。。

 話し言葉と書き言葉でもニュアンスは変わってきてしまうし。

 形に残るものだから、気持ちをぎゅっと要約して、そんな中にも具体的なあたたかさを感じられるようにしたいのですが。

 明日渡すので、何度も書き直しながら、今の気持ちをしたためました。。。

 恩師は書を嗜まれていた方で、いつもその美しい板書にうっとりしたものでした。

 子どもの頃、先生のチョークの字の美しさと、コツコツという心地の良い音に憧れ、掃除当番や、日直の際に、こっそり黒板に書いていたなぁ。

 これから、価値観の多様化や、ギガスクール化で、学校もどんどん変わっていくだろうし、変わっていかなくてはならないし。

 その一方で、効率だけを重視するのではなく、非効率でも、人間にとって大切なものは、取捨選択しながらも、残っていって欲しいと思うところです。

 学校で学ぶことって、勉強以上に、人間が社会的な繋がり…社会的な存在であることに大切さを感じることが大きいと、このコロナ禍で再確認しました。


 昨日の最後の授業で、恩師の速くて美しい板書を感慨深く目と身体におさめてきました。

 板書をはじめとして、発問のタイミング、ノートをとる時間、考えさせる時間、教科書問題の合間に挟みこむ、理解差を埋める手立て。

 自然と流れていく授業の中に、いくつも光るベテランの技。

 教室に流れる、程よい緊張感と、ちゃんと見ていてもらえる・受け止めてもらえるあたたかさ。

 凄すぎて、全てを真似はできないけれど、心掛けていきたい!!!

 明日の卒業式が恩師と会える最後の日となるので、これまでの感謝の気持ちと、敬意の気持ちをお伝えしてこようと思います。😌

 

 

 

 

 


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