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1201_「いつかきっと」の未来で、交わることがないとしても

どこへ行ってもクリスマスソングが聴こえる季節になった。寒くて縮こまりたくなるような日々でも、街の中はどこか軽くて明るく見える。この季節が大好き。大好きだからこそ、やっぱり寂しくもあるけれど。



最近ずっと、思うように言葉が浮かばなかった。noteを書いてみてもしっくりとこなくて。でもその理由は、悩む時間も事柄もなかったから。ここ数年でいちばん仕事をしている時間が長いのもあるかな。

気持ち的には良かった。でも文章を書ける時間が圧倒的に減ってしまった。何も浮かばない。悩むことはあるけど、全然大したことない。深く悩むようなこと、今まで山ほどあったのに全部どこかにいっちゃった。でもきっと、もしかしたら、この先も続くのかもしれないなって。

驚くほどに、自分の思考が変わってしまったから。





他人をコントロールすることはできない。


当たり前のことだけど、結局全てはこれに尽きる。

それでも今までの私はきっとどこかで、相手や環境が変わってくれること、気づいてくれること、踏みとどまって考えてくれることに期待していた。その対象が私にとって大切であればあるほど、その期待を捨てることはできなかった。

だけど思い返せばいつだって、その期待は裏切られたり、報われなかったり、叶わなかったり。だから私はいつも人や物事に執着する。いつかきっと、と思い続けて辛抱し続けるから。我慢することは執着することにも繋がるみたい。



そんな私がどうしてか、今月はいろんな出来事に対する執着を思いっきり遠くに捨てることができた。見えないぐらい遠くに。もう手が届かないようなところに。

結局何事も、動かすことができるのは自分だけみたい。
私自身のことはものすごく簡単に変えることができる。
気づくことができる。踏みとどまることだってできる。



だけど捨てたものへの興味や関心をゼロにできるほど、なかったかのように記憶から消せるほどの強さは私にはないから、どこかに、いつも頭のどこかに、きっと本当は存在している。

見えないぐらいに遠くに、ではなくて、見えないふりをしているだけかもしれない。手が届かないんじゃなくて、手を伸ばしていないだけかもしれない。


だけどいいんだよ。強がりだとしても今は本当にそう思える。間違ってない。正解は私がつくる、私が決める。
そうやってこれから先は生きていきたい。我慢や執着をしてそこに居続けることも、何かに期待して待ち続けることも、もう飽き飽きしているから。飽きるほどそれはやった。やり尽くした。


それに、手放したことへの想いも愛も願いも、変わらずに持ち続けたっていいと思う。それでも私は1人で前を向く。前に進むことにした。





家族に愛されたかった、
家族が欲しかった、帰ることのできる家が欲しかった。

そんなこと、もう十数年ずっと想い続けていたけど、一生願っていたって仕方ないね。やっと、やっとそう思えるようになった。願い続けて家族が元に戻るわけないし、私だってもう今更戻れない。


家族のことがあったから、結婚は絶対にしない、できないと昔から思っていたし、自分の子供の存在なんて、少しも、1ミリも考えたことがなかった。

だけど今年、
自分の本音はそうじゃないことにもようやく気づいた。


私は、誰かと家族になりたい。家族をつくりたい。
心から信用したいし、信用されたい。
心から愛したいし、愛されたい。
家という場所を、優しくてあたたかい場所にしたい。


がんばる理由が君ならいい、というタイトルの本を見かけたとき、まさにこう思える人と家族になりたいと思った。

1人でもやっていけるであろう自分の人生を、誰かと足し算したくなった。一緒に積み上げていきたくなった。


来年は少しでもこの夢に前進できていたら、と思うわけで。
だけど焦ることも急ぐこともせず、ただただ前進する。
きっとその道中でいろんな出会いや経験が待っているよね。この私で繰り広げられる未来が、すこし楽しみになった。



私が手放したものたちへ

私が待ち続けていた「いつかきっと」の未来で交わることがないとしても、大切に想っているよ。



/ 1,700文字


p.s.
こんなことを考えながらの帰り道。
誰かが落としたようで、
また違う誰かが飾るように置いた造花に遭遇した。
今日、絶対にこの気持ちをnoteにしようと思った。

こんな風に、誰かに大切にされて、どこかで幸せでいてね。


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