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お気に入りの傘を差して小雨の中を繰り出した。「雨降って地固まる」にして悩みなど大した事は無くそれよりも藝術の秋の時雨に諭され創造力が発揮されるのです。「雨が好きって云ってごらん」


お気に入りの傘を差して小雨の中を繰り出した。「雨降って地固まる」にして悩みなど大した事は無くそれよりも藝術の秋の時雨に諭され創造力が発揮されるのです。「雨が好きって云ってごらん」。

秋の夜長は月明かりに近いガス灯の番人は架空の自由小説 [akebono]

◇ある意味私は瓦斯灯に点火する心の番人として自ら深く想いを寄せている。

私はガス灯のマントルに点火される瞬間の夜が好きだと云う風に想っている。そんな夜のガス灯がともる「楠の並木道」を歩いていた。暫くすると「バッハのチェロの無伴奏曲」のそれは黄昏れを仄暗く感じる瞬間から終わりに向かう仕上げのepilogueだった。しかし昼間の「楠の並木道」をランチを終えて1人で歩いていた時「ビヴァルディのバイオリン協奏曲フォーシーズンズ」が流れてきた。それはまるで昼と夜の風景が別世界である事に驚きを隠せなかった。

◇嫌な日本語を態々使わなければ良い

prologue.「私は自分が洋服が大好き」っと云う言い回しを伝えた事は敢えて無い。それにはある別の理由があり、喩えて云えば「私は食べる事が大好き」と云う私に対して誰かが適切なアドバイスをしてくれた時、私の発する言動に少々違和感を自ら感じた。その事を機会に「私は食べる事が好き」とか「私は洋服が好き」と云う言い回しを何故か素直には言わなくなった。また終の住処などはまだまだ無いと想うもけして建築が嫌いな訳ではない。ある意味むしろ大好きで堪らないと言える。この様に矛盾染みた私の独り歩きが又始まった秋の夜長...。

◇ 親子に魅せられたオフ・ホワイトのコンバースのハイカットが有る。

私は或る日の午後のカフェに素敵に映るアーティスティックな親子が「ホワイトのハイカットコンバース」にラフなブルージーンズにt-shirtが夏の定番の様に楽しんでいる様に嫉妬に近い興味を抱いた。そんな絵の様に映るスタイルを真似して見たくなった。

それは自由で純粋なアーティスティックなティストをprologueにしたかった。

◇私はセリグラファーと名乗る時期は、妙に自分が好きだった。

それで私は勿論だが当たり前の様にTシャツのプリントは自らシルクスクリーンで手掛ける事にした。

それには根拠が有り過ぎた想い。実は私は元セリグラファーとして青春を賭けていた時代があり唯一無二に近い「仕事師」の時代も有った訳だが荒波に飲み込まれ心身共に歯車が狂ってしまったのは決して自分以外の理由でも無くある意味「自己責任」。それでも「自己責任」と云う響きは消して軽々しく他人を巻き込む表現に使うべきでは無い嫌な言葉だ。

そんな灼熱の夏も終わりを告げる頃レモンイエロー色にレストアした自転車の試運転を兼ねてペダルを踏んでいた時だった。しだい次第に脚のクランクの回転が止まった事には或る発見があったからだった。

◇ 自然なアブストラクトなアートを発見

楠の並木道には「小鳥の帰化の衆団」が棲みついている。その道端には彼らの排泄物で抽象的な模様が映し出されていた。モノトーンのコンクリートの石畳みのキャンバスにはその様な自然なアートを強く感じている私がそこを偶然に通り掛かった。



この様に自然に実現されたアート作品を見て感じる時の幸せ感は独占して内緒もいいが少し照れながら言葉にする言語化も悪く無い不完全美でありたい共に考えた。

夜のガス灯はとても幻想的で小説と交錯する感覚すらなる。その有り様は「ヴォーン シューウ」と噴き出す響音を立てて碧く紅い炎がマントルを照らす様に化学反応が起こりそれを匂わすと云う記憶を辿っている。

月日が経つのは早いものであの日の事件の前後が走馬灯の様に蘇る。その日の詳細は内緒にしていて実は誰も知らせていない。

ただ内緒と云うものは肩の荷が重くなるから時の彼方へ忘却するか或いは自ら誰かに還元する事にして聞いて貰うか。但し公言するリスクと解放されるメリットがあるなどと云う風に考える思考回路も何だか古臭いと想うのだ。

無意識をこの様に言語化する「フィクション」も悪くないと今のいま当に未来に向かおうとしている。内緒とはこんなにも詰まらない事なのだろうかと想った。

敬愛するジャクソンポロックが独自の描画の「ドリッピング」を発見したのは決して偶然では無い。当時彼はパウロピカソに勝てなかったと云う背景のドキメント映画で知った時にそれはある計画に沿って作られている前提にして腑に落ちたポロックファンの私だった。

その様な時の様子をある日突然言い出した人がいた。それは建築現場の足場板に無意識なペンキの垂れた姿を見て「ジャクソン ポロック」を重ねて映し出した会話を始めた比喩が偶然と必然の狭間の世界がとても「詩的」で美しい「足場板のジャクソン ポロック」のアートの話しから超絶に蘇った。

もしかしてジャクソン ポロックは「工事現場の足場板からヒントを得たのかも知れない」と云う風に物事を捉える事が出来たなら社会的構造のもつヒエラルキーなど先ず成立しなくなるし人々の日常にこそ数々のヒントがありその情報を元に具現化され経済的に好循環が生まれるとすれば人々の生活から産まれる「共有財産」を「私物化」せず社会保障に回せば消費税などの不公平な税など産まれない。飛躍の内容に聞こえるが特許が成立するシステムにはある意味合理性があると云うのは都合良く出来た法律とも云えると考えが交錯した。

地球儀に納まる資源やエネルギーやアイデアは共存共栄が第一の課題になっていない様にある私達の星だ。資源やエネルギーやアイデアは個人の物でも無く国のものでも無く都合良く創られた法律やイデオロギーにより選択の自由が侵害されているのかもしれないと更なる想いをしていると止めどなく思考が空回りする。

地球儀を皆んなで支え合う「共生」こそが地球人の進む道のはずだ。破壊と云うエゴにはカオスを経験しても未だそこに気持ちが移行されないでいる人間達。

実の内緒とはKHAOS(カオス)の事件は智慧を育んだに違いないと期待した事だった。時は曙...朝が待ち遠しいと想っている私がいた。

敷地内にある欅の大木の小枝に「帰化した小鳥の番人」がいるいい朝だ「皆んなお早う」。


「先ずは挨拶だお早う」。返事が無くても大丈夫...ただ慣れてないから言いそびれただけ。







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