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My Identity
自分のアイデンティティと云うカテゴリを辿ると竹馬や竹蜻蛉のハンドメイドがある。普段の生活環境辺りで身近にある豊富な材料の竹山が条件要素となる。
資源の乏しい我が国土と云われている悲観を払拭出来るたけたけたけ
それらは無尽蔵にある竹山から「遊びの道具」が手作り出来るのは、まるでファンタジーな世界に現代は映る。では利休時代からあった既存の茶杓や茶筅の道具は未だに変わり無く存在しているし贅沢な消耗品でもあるがサスティナブルには変わりないモダーンセンスはたかが茶筅されど茶筅と話が錯綜してしまった
遊びのその意匠は誰かに教わる事では無く自らの好奇心を持つ事の大切さである。その好奇心はお金では決して手に入らない遊び道具を自ら創作すると云う古き良き時代は当に昭和のレトロなレトロスペクティブ時代でもそれは元々有った物なのだ。
当時真竹で竹馬を作る友達のお父さんが身近にいたおかげでそんな日常を観察しながら私は感心した事があり、その意匠が素晴らしい事に好奇心を寄せたのです。
構造帯は直角三角形と云うイメージで足元に「藁草鞋」を編んで行く友達のお父さんの意匠に先ず驚いた。この丁寧さは何処から来るんだろうと⁈子供の私は眼から鱗が落ちた。
竹馬の足元に「藁草履」の凝った意匠を見たのは10歳頃の当時の私は半端無い感動を覚えている。
そのものは意匠としての位置付けと親子のコミュニケーションと云う私の解釈は遊びとその遊び道具と親子の対話と云う図式化が頭の隅の引き出しファイルに半世紀近く収まりそれを出したり仕舞ったりと文字に起こしながら益々高まる意匠の思考である。
身近に竹山があり「竹馬」に乗ったりそれを作ったりしながら遊ぶ事を友達のお父さんは足元の竹に草鞋の意匠で包み込む温まる仕上げにはやはり人間と自然との共生や愛がありました。正に座邊師友そのもの友達のお父さん。
間違いなく無から有を生む創造ワードのきっかけになってます。更にオリジナリティの大切さは創意工夫する価値感さえ教えてくれます。竹馬の足元にカバーする草鞋銭の意匠は頭から離れない
◇ 後記 杵臼でつく餅粉に小豆餡を忍ばせ熊笹で畳み込む「笹餅」が美味しかった。後にも先にもあの香りには、出会す事は無い
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