夜"を"駆けるのか、夜"に"駆けるのか-格助詞の違いを考える-
2022年7月9日に加筆・修正
2023年12月15日に加筆・修正
YOASOBIの「夜に駆ける」。今年(記事作成時点:2020年)の6月くらいからか、この楽曲が音楽チャートの上位に連日ランクインしている。
この曲を知ったときにまず思い浮かんだのは、スピッツの「夜を駆ける」だった。
もともとスピッツの曲の方を知っていて、「夜”を”駆ける」というコロケーションが自分の中に定着していたから、個人的に「夜”に”駆ける」というフレーズは新鮮かつ奇妙にも思えた。
そこで気になったのは、「を」と「に」の違いが、両者のタイトルにどのような意味の違いをもたらしているかということだった。
些細すぎるし心底どうでもいい話題かもしれない。
でも気になってしまったものは仕方ない。
だから今回は、格助詞「を」と「に」の違いから「夜を駆ける」と「夜に駆ける」の違いを考えてみようと思う。
格助詞とは何か
本題に入る前に、そもそも「格助詞」とは何だろうか。
ここでは以下の定義を引用したい。
上記によれば、「太郎がパンを食べる」という文では格助詞「が」によって「太郎」と「パンを食べる」との間の意味的な関係が示されていることになる。
上の例では「が」と「を」しか取り上げられていないが、格助詞が異なればそれらによって結び付けられる要素間の意味的関係に違いが生まれる。
このため「夜を駆ける」と「夜に駆ける」では、「駆ける」という動作と「夜」という時間的・空間的広がりとの間に異なる意味的関係が見出せると言えそうだ。
それでは次に「を」と「に」がそれぞれどのような意味的関係を示すのか見ていこう。
「を」の意味
「を」は動作の「対象」や移動の「経路」、「領域」を表すことの多い格助詞だ。
(1) 太郎が次郎を呼んだ。 (動作の対象)
(2) 太郎が坂をのぼった。 (移動の経路)
(3) 太郎が北海道を旅行した。 (移動の領域)
(1)では「次郎」が「呼ぶ」という動作の対象として、(2)では「坂」が「のぼる」という移動行為の経路として、(3)では「北海道」が「旅行」という移動行為が行われる範囲として表されている。
ここで確認したいことが2つある。
まずは「対象」について。
(2)と(3)の「を」は厳密に言えば対象の意味ではないが、「坂」と「北海道」という空間的広がりは「のぼる」や「旅行する」といった動作の対象と見なすこともできそうではないだろうか。
しかし、対象の意味であれば(1)のような例文は以下の通り受身形にすることができる。一方で(2)と(3)を受身にした文は自然ではない。
(1)' 次郎が太郎に呼ばれた。
(2)' ?坂が太郎にのぼられた。
(3)' ?北海道が太郎に旅行された。
この点で、格助詞「を」には動作の対象を表す以外の意味があることが裏付けられる。
もう1点は、(2)と(3)の違いについて。
どちらも移動の動作を伴っている点で違いがわかりづらいが、(2)の方は「どんな道を通って移動したか」、(3)の方は「どんな範囲を移動したか」に焦点があると考えてよいだろう。つまり、線的な移動と面的な移動のどちらを焦点化しているかにおいて、両者には違いがあると言える。
以上の説明から「を」の用法は何となく整理できたと思う。
それでは次に「に」がどのような意味を持つのか見ていこう。
「に」の意味
「に」は「空間的位置」や動作の「着点」を表すことが多い格助詞である。
(4) 太郎がコンビニにいた。 (空間的位置)
(5) 太郎が北海道に旅行した。 (動作の着点)
(4)は太郎がコンビニという空間の中に存在していたことを、(5)は北海道が太郎の旅行の目的地であることを示している。
また、「に」には空間上の存在を表す用法から転じて、時間軸上の位置を表す用法もある。
(6) 太郎は夏休みに家族で旅行した。 (時間的位置)
(6)は、「夏休み」という時間の中に出来事が「存在」しているとみなせば、(4)の例との連続性が見て取れるのではないだろうか。
さて、ここまでで「を」と「に」がどのように用いられるのかイメージができたところで、本題の「夜"を"駆ける」と「夜”に”駆ける」の意味的な対立を考えていく。
「夜"を"駆ける」vs「夜”に”駆ける」
ここでは、以上の格助詞に関する議論を踏襲しつつ、その意味の輪郭をはっきりさせるために「夜」や「駆ける」の意味も考慮しながら「を」と「に」の違いを考えることにしよう。
まず「駆ける」は移動を示す動詞、そして「夜」は時間を指す名詞だ。
このため「夜」+「駆ける」という組み合わせから、「夜の時間帯に走って移動する」という意味が得られる。
ここに「を」や「に」を加えるとどうなるだろう?
先ほど(2)-(3)で、「を」は移動動詞や場所と組み合わさることで移動経路や移動領域を表すことをみた。
そのため「夜」「を」「駆ける」が結合すると、時間表現である「夜」が「夜という時間が支配する空間的領域」として再構成され、「夜”を”駆ける」は「夜という空間的領域の中を走って移動する」というような意味に解釈されることになる。
*ここでは「夜」を移動経路でなく移動領域とみなしたが、それは夜が線的ではなく面的な広がりだと考えたためだ。
夜を空間と捉える解釈はスピッツの「夜を駆ける」の歌詞から裏付けられる。
一方で「夜」+「に」+「駆ける」はどのように解釈できるだろうか。
まず、「駆ける」が移動動詞なので(6)のように「夜」という空間が「動作の着点」であるという解釈をすることができる。
そのため、「夜”に”駆ける」は「夜という空間に向かって走って移動する」という意味を表すと言えるだろう。
しかし、「夜」は本来時間を指す名詞であるし、「に」は(7)のように時間表現と結びつくこともあるので、「夜という時間帯に走って移動する」という解釈もまた成り立ちそうだ。
このため、「夜”に”駆ける」には意味の上での曖昧さ(ambiguity)が立ち現れれてくる。
ならば、「夜に駆ける」の歌詞を参照してどちらの解釈が支持できるか考えよう。
*ただし、歌詞の内容に関する考察は浅いので飛ばしてもらっても問題ない。
引用したのは「夜に駆ける」の最後の部分。
「夜」はしばしば「死」や「終末」などと結びつけて考えられるが、歌詞の2行目「君は優しく終わりへと誘う」の「終わり」は「夜」のメタファーだと考えられる。
そして歌詞の最後にあるように、「二人今、夜に駆け出していく」わけなので、「駆け出す」という方向性を伴う動作動詞が見られることから、ここでの「夜」は時間性よりも空間性が前面に出ていると言っていいかと思う。
まとめ
以上の検討を踏まえ、「夜を駆ける」と「夜に駆ける」の意味の違いをまとめたのが以下の記述である。
夜を駆ける:夜という空間の中で走って移動する
夜に駆ける:夜という空間に向かって走って移動する
そしてこれらは以下の図のようにそれぞれ表されます。
これらを別の表現と対比して理解しようとすると、
「夜"を"駆ける」と「北海道"を"旅行する」
「夜"に"駆ける」と「北海道"に"旅行する」
は似たような構造と言えそうだ。
*「を」と「に」にはここで取り上げられたもの以外の用法もあるため、興味があればチェックしていただきたい。
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