又吉直樹 「人間」を読んで。
又吉直樹さんの「人間」という作品を読んだ。最近人間的とはどういうことを言うのかということをよく考える。例えば奥さんと母親の間に立つ。あるいは友人Aと友人Bの間に立つ。元々あまり接点のない人同士を繋ぐイメージだろうか。そしてそこから生まれる対話は無限の可能性を秘めている。本来人間としての役割を離れた「人」は欲望の赴くままに興味のあることを突き詰めるしかない気がする。しかし、他者と交わるからこそ今までにない視点を持ち視野を広げることができる。社会的な自分で居るときは価値観の異なる人同士のハブであること。それが自分にとっての「人間」のイメージだ。そしてこうした役割がうまくできないと端の方に追いやられてしまう実感がある。ちょうどそのようなことを考えていた時に出会った本だった。
あらすじ→美大生たちが寝泊まりするシェアハウスに住み込んでいた主人公(永山)。本を出版することを目標に掲げ創作活動を続けていたが、なかなか芽が出ない。又その苦悩が滲み出てしまい一部の人達を除いては人間関係を上手く築けない。そんな時にある出来事が起こり、永山は生涯癒えることのない心の傷を残す。それから10年以上経ち、とあるメールをきっかけに当時のことを思い出す永山。目指していた何者かになれたわけではないが、日常は淡々と続くものと思っていた。だが、ある旧友との再開に永山の人生にも変化が訪れる。
感想→この作品を通して描かれているのは人間の思い込みや記憶の曖昧さである。ここに自分は非常に共感した。自分自身思い込みが強いと良く言われるし、記憶力が悪い(こと、自分の関心のないことに対しては)とも言われる。つまりは正確に現実を把握できていないし思い出として記憶に残っていることも事実とは異なるということだ。作品中にも度々昔のことを話していて友人と話していて事実(少なくとも他の友人と記憶が噛み合っていない)と食い違っている場面が出てくる。それは真実ありのままを直視するのが辛い為斜に構えて物事を見ているからだと言えるし、そもそも個人が認識できる現実の範囲は限りがあるからだとも言えるだろう。人は皆程度の差はあれ不完全さや弱さを持っている為現実をありのまま受け入れることは難しい。だからこそ他者のネガティブな部分に寛容な気持ちを持ち想像力を持って受け入れていきたいとこの本を読んで思った。
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