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温泉ライターが本気で推す温泉本#12『ひなびた温泉パラダイス』

温泉の沼にハマり、湯めぐりを始めてから20年。その間、数多くの先人たちの書籍から温泉について学んできた。

そこで、私がこれまで読んできた温泉関連書籍の中から、特に影響を受けてきた本を紹介していきたい。

第12回は、『名湯50泉 ひなびた温泉パラダイス』(岩本 薫&上永哲矢著、山と渓谷社)

2017年に本書が出版されたと知ったとき、私は心の中でこう叫んだ。

「うわぁぁぁ!!! ヤラれた!!!」

本書は、通常のガイドブックには載っていない、シブい温泉やジモ泉(地元温泉)、有名な温泉地の穴場名湯など、全国から厳選した50泉を紹介したマニアックな温泉ガイドである。

実は、私も同じようなコンセプトの本の出版を構想していたことがある。

3016湯をめぐる旅を通じて、さまざまな鄙びた温泉と遭遇してきた。まるで時が止まったかのようなレトロな湯、ボロいけれどなぜか居心地のよい湯などなど・・・これらを「鄙び湯」と呼び、そうした温泉を訪ねるたび、「いい感じに鄙びているなあ」と敬意をこめて呟いていた。

『日本一周3016湯』を出版したあと、担当編集者と第二弾を出版しようという話になったとき、私は「鄙び湯のすすめ」というテーマをイチオシで提案した。

ところが、編集者にはちっとも響かなかったようで、鄙び湯は二度と話題にのぼることはなく、結局、より万人受けしそうな『絶景温泉100』という企画に落ち着いた。

そうこうしているうちに出版されたのが『ひなびた温泉パラダイス』である。

冒頭で述べた通り、私は本書の出版を知ったとき、「ああ、自分も鄙びた温泉を愛しているのに!」と正直口惜しかった。すぐに購入したものの、数カ月本棚に眠っていたのは、自らの嫉妬心を整理できていなかったからだろう。

少し気が重かったが、本棚から本書を取り出してページをめくってみた。すると、私の悔しさや嫉妬心はみるみる溶けていった。

ひと言でいえば、ひなびた温泉に対する愛にあふれる内容だったからだ。

掲載されている50泉のセレクトが納得するものであったのはもちろんのこと、ひなび湯に対する偏愛が伝わる文章、ひなび感を視覚的に訴える写真の数々は私の想像を超えていた。

ひなびた湯を心から愛している人でなければ、つくれない本であることは間違いなかった。

それに比べて、私の鄙び湯に対する愛情は、まだまだ薄ぺっらいものであった・・・と実感させられた。だから企画も通らなかったのだろう。

私にはこれほどのクオリティーの本は書けなかったはずだ。私が書かなくてよかった、と心から思った。

さて、本書ではひなびた温泉を次のように定義している。

「現代の時間の外にある温泉(中略)トレンドなんかどこ吹く風で、ゆるくおおらかにそこにある」

ひなびた温泉パラダイス

見方を変えれば、「古くて廃れている」という表現もできるが、ひなびた温泉は、決してボロい、汚い温泉ではない。

古くて浮世離れしているけれど、どこか居心地がよい。経年劣化しまくっているが、きちんと日々の手入れや清掃が行き届いている。おそらく、そういう温泉だからこそ、「汚い、ボロい」ではなく、「ひなびていていい感じ」という印象になるのだろう。

本書の執筆者の一人、上永氏はこう表現している。

「単に古いだけの宿と、いい具合にひなびた宿とは違う。分岐点は、『宿の人が建物に愛着を持っているかどうか』である」

ひなびた温泉パラダイス

まさにその通りだろう。鄙び感は勝手に醸し出されるものではなく、温泉の主人や女将、入浴者などその空間に関わる人によって作られるのである。

本書では「ひなびた温泉は湯の質だけじゃ評価できない」とし、源泉への評価はしていない。

だが、選ばれている温泉のほとんどは、結果的に良質な温泉ばかりである。

昔からそのままの施設ばかりなので、循環濾過システムを導入することなく、結果的に源泉かけ流しになっているのも大きな要因だが、やはり関係する人たちがその温泉に愛着をもっていることも関係しているだろう。

いい湯に巡り会いたければ、ひなびた温泉を目指せ。本書はそのことを再認識させてくれる。

ちなみに、本書の著者である岩本薫氏の『ヘンな名湯』も、愛すべき湯が目白押しである。こちらもおすすめ。


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