温泉ライターが本気で推す温泉本#3『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』
温泉の沼にハマり、湯めぐりを始めてから20年が経つ。その間、数多くの先人たちの書籍から温泉について学んできた。
そこで、私がこれまで読んできた温泉関連書籍の中から、特に影響を受けてきた本を紹介していきたい。
第3回は、益田ミリ著『47都道府県 女ひとりで行ってみよう』(幻冬舎文庫)。
初めに断っておくと、本書はいわゆる温泉本ではない。何カ所か温泉地にも足を運んでいるが、記述は数行程度。基本的には、漫画家である著者の旅のスタンスやエピソード、考えていることを愉しむエッセーである。
著者の益田ミリさんに関しては、もともと『週刊文春』などの連載漫画を読んでいたが、エッセーを手に取ったのは初めてだった。「47都道府県(日本一周)」「ひとり旅」というテーマに興味を抱いたからだ。
本書は、一般的な紀行文の類を期待して読むと後悔するかもしれない。なぜなら、益田さんはそもそもひとり旅が好きではない。「日本には47都道府県もあるのに、全部行かないのはもったいないなあ」といった、ふわりとした動機で月に一度の日本一周旅行を始めている。
4県目の茨城県の回では、すでに「はっきりいって、もう飽きている・・・中止してもいい気がする」と率直にぼやいている。
そう、本書の魅力は、一般的な紀行文のように「旅のすばらしさを伝えよう」「読者に何か学びになるような文章を書こう」という気負いがない点にある。
観光スポットの魅力を深堀りしたり、現地の人と交流したりといった紀行文のセオリーを放棄し、「とりあえず現地に行ってみただけ」というスタンスを貫いている。
私の場合、人の目に触れる文章を書くときは、「温泉の魅力をどう伝えるか」を第一に考え、その土地の人ともできるだけコミュニケーションをとろうと思う。だから、自然と力が入ってしまう。
そして、ひとつの温泉についてくまなく観察し、言葉を尽くして表現しようと心がける。その一方で、ネガティブな情報はあえて書かないことも多い(源泉の質については私にとっては重要事項なので率直に伝えるようにしているが)。
益田さんの文章は、実に正直である。神奈川県の川崎大師を訪ねた回では、「川崎大師・・・知らない」と白状し、「想像していたよりもうんと立派で、浅草みたいな華やかさもあった」と1行だけ感想を漏らす。川崎大師の魅力を語ろうとはしない。
だからといって、けっして旅を楽しんでいないわけではない。川崎大師の参道にある蕎麦屋では、向かいの席に座ったおばあさんと孫娘のエピソードを綴っている。
おばあさんのためにメニューを端からゆっくりとひとつずつ読み上げてあげる孫娘と、それをうなずきながら聞いているおばあさんの姿を見て、涙がこみあげてきてしまう。
普通の人なら見過ごしてしまう光景も、著者の細やかなセンスで拾い上げて、読者の心を揺さぶる。
本書は紀行文の魅力である旅情はあまり味わえないけれども、旅の愉しさを再認識しながら、飽きることなく読み進められる。そして、各都道府県のエピソードが不思議と心に残る。
同時に、私は自問自答する。「このような人を惹きつける文章を書けているだろうか。温泉の魅力が読む人の心に残っているだろうか」と。そして、「まだまだできていない」と少し凹む。
温泉のことを知っているからこそ、その見方や伝え方が画一的になってしまっているかもしれない。本書を読み返すたびに、「温泉のことを知らなかったらどう思うだろうか」「色眼鏡をかけずに温泉を見てみよう」と反省している。
益田さんの文章には、はっとされられることが多い。石川県では海鮮が苦手なのに「名物だから」と注文して激しく後悔し、名物の呪縛から解放されることを心に誓う。熊本では観光そっちのけで、お気に入りの名産「いきなり団子」のことばかり考えている。
ひとり旅なのだから、旅の常識や他人のスタイルに縛られる必要はない。観光名所や特産品をノルマのようにこなす義務など一切ない。自分が楽しむことがいちばんである。
私が提唱する「ソロ温泉」も「温泉ワーケーション」も、温泉とひたすら向き合い、愉しむことを基本としている。このスタンスを共感してもらえるのはうれしいが、共感されなくてもそれでいい。旅のスタイルは押し付けられるものではなく、各人がアレンジして独自につくるものだからだ。
最後に、温泉に関する気づきをひとつ。益田さんは愛媛県の道後温泉を訪れた回で、こんなことを書いている。
冷めてガチガチになっている焼き鳥とか、冷たい天ぷらとか、乾いた刺身とか。旅をしていてよく思うんだけど、ああいうのは温泉宿にだけ許されている特権クッキングなんでしょうかね。街の定食屋で同じ料理が出てきたら、客は普通に怒ると思う。
この記述を読んだとき、ハンマーで脳天を殴られたような衝撃を受けた。「旅館の料理が冷めているのはしかたない。そういうものだ」と、いつの間にか自分に言い聞かせていた。あまりにもそういう宿が多かったからだ。
しかし、普通の感覚なら、益田さんが言うように「こんなの食べられない」と怒ってもいいはずだ。「旅館には旅館の都合がある」と客側が気を遣って弁護するのはおかしい。少なくとも客側には宿を選ぶ権利はある。
残念な料理を出す旅館はだいぶ少なくなった感はあるが、今も私の中で、料理の善し悪しが宿選びの重要なファクターになっていることに変わりはない。
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