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【オリジナル小説】鬼化事件の収束と友人アルの活躍について②(完)

 島の中心には、研究所がそびえ立っていた。元々あった貴族の塔を改築したものらしい。周囲は荒れた木々に囲まれ、まるでジャングルだった。

「さて、どうやって進む? ここって鬼だらけなんだろ」

 エドが誰にともなく訊ねた。

「アルがいるじゃないか」

 答えたのはキースだった。

「でも、アルの力は人間にしか効かないんじゃ」

「うん。そこで、これを使う」

 キースは半円状の装置を取り出して見せた。それをアルの手に握らせて説明する。

「これはエンハンサー。能力強化装置だ。この緑のランプが光っている間は効果がある。修行の話を聞く限り、君の能力は範囲を広げることも可能なんだろう? だったらこれで鬼にも効くようになるはずさ」

 キースには驚かされてばかりだ。アルは言われた通り装置を身に付けた。

 無事に研究所まで辿り着いた一行は、ガジュマルの枝を利用して塔の壁を登った。防犯対策か、入り口が非常に高いためだ。意外なことに、キースは残ると言った。

「僕、高所恐怖症だから」

「俺が抱えて登ろうか?」

 エドの提案も拒否された。仕方なく、四人はキースを残して塔の内部へと入って行った。

 キースの考えでは、例のマッドサイエンティストは最上階の研究室にいるという。用心深い性格の彼は、階下に部下を配置して身を守っているだろう、と。なぜそんなに科学者に詳しいのか訊ねても、「論文を読めばわかるよ」としか言わなかった。


 一階(といっても地上からはかなり離れているが)の廊下を進むと、部屋の入口が見えて来た。この塔は各階に大きな一部屋があり、そこを横切らなければ次の階に行けない仕組みになっている。恐る恐る扉を開いてみると、そこには真っ白な壁があった。

「な、なんだこれ……」

 思わず触れると、冷たい。それに、柔らかかった。

「あ、これ雪だ。一応掘れそうだけど、どうする?」

「うーん……まあ、掘って行くしかなさそうね」

エドが先陣を切って掘り進む。ガジュマルが枝でサポートした。残る二人は削られた雪を外へと運び出す。扉から真っ直ぐに進んで行ったのだが、ついに壁に突き当たってしまった。こうなると、横に行くか、上へ行くしかない。

「どうする?」

「う~ん……」

 一行は頭を抱えた。すると突然、

「あ~あ、僕の部屋をこんなにしてくれちゃって!」

という声が聞こえた。

「⁉」

「だ、だれ⁉」

 姿のない声に、ビーが大きな声で訊ねる。

「この部屋の主さ。君たちこそ、誰なんだい? 勝手に上がり込んできてさあ」

「それはすみません。ここの科学者に用があるんです。通してもらえませんか?」

「無理だね~」

 少年のような声がそう言うと、ゴゴゴゴ……という地鳴りのような音が鳴り響いて、いきなり足元に雪が溢れ出した。

「うわっ!」

「きゃあ!」

 三人が尻餅をつくと、同時に頭上の雪がぽっかりと穴を空け、そのまま上へと押し上げられた。三メートルほど上がっただろうか、穴が埋まって平らになった。そこには青白い顔をした男の子が座っていた。

「先生には会えないよ。だって僕が止めるもん」

「えっと、あなたは?」

 ビーの質問に、少年は屈託ない笑顔で答えた。

「僕はウィント。雪鬼ウィントだよ。ここから先へは絶対に通さない。帰るなら今のうちだよ」

「雪鬼? あなたは鬼なの?」

「そうだよ」

 一行は驚いた。ここまで理性を保った鬼など初めて見たからだ。

「あのさ、俺、両親を探してるんだ。君の先生なら知ってるんじゃないかと思うんだよ」

「知ってるよ~」

「え」

 エドはあまりにも普通に答えられたのでびっくりした。

「フェザーストン夫妻なら、先生の大事な道具になるんだよ」

「ど、道具?」

「そう! 先生は世界平和のために戦う正義のヒーローなのだ!」

 エドはショックを受けた。両親が道具呼ばわりされていることも、こんな小さな子が利用されていることも、悲しかった。

「とにかくここは通さない。だから早く帰って」

「……それはできない」

 エドは唇を噛み締めた。

「それじゃあ、仕方ないな~。君たちも、道具にしてあげる」

 少年が右手をかざし、青いブレスレットが光ったかと思うと、どこからともなく現れた大量の雪が一行を襲った。

「うあっ」

 思わず目を閉じかがんだエド。しかし衝撃はなかった。疑問に思って目を開けると、皆の前に立ちふさがるアルの姿があった。

「アル?」

「考えてたんだ。この強化装置、鬼にも効くなら、物はどうかなって」

「もの?」

「僕の考えは正しかった。この装置のおかげで僕は、無生物でさえも……拒絶できる‼」

 次の瞬間、こちらに向かって吹き荒れていた雪の嵐が、一気に風向きを変えた。

「うわああああ!」

 風雪はウィントに襲い掛かり、ウィントはみるみるうちに雪に埋もれてしまった。

「アル、すげえ!」

「ほんと、助かったわ!」

 アルは照れ臭そうに俯いた。ガジュマルがビーの肩をつつく。

「そうね、早く出口を見つけないと。この壁のどこかにあるはずだけど……」

 辺りを見回すも、一面雪に覆われている。どうしたものか――アルが口を開こうとした瞬間、足元が盛り上がり、中から何かが飛び出してきた。

「よくもやってくれたね」

 現れたのはウィント。続けてこう言った。

「僕は雪の中なら自由に移動できるんだ。僕が教えない限り、君たちは一生ここから出られないんだからね! それが嫌なら、僕を見つけることだね!」

 ウィントは再び雪の中へと姿を消してしまった。と同時に、部屋の中は猛吹雪と化した。

「どうする? 隠れちまったぜ」

「さっきの発言からして、僕ら自身で出口を探しても見つからない仕掛けがしてある可能性が高い。見つけて訊くのがはやいと思う」

 ビーもアルの言葉に頷いた。

「僕が雪をどけるから、二人はウィントを探して!」

荒れ狂う海のような雪景色の中、二人は目を凝らしてウィントを探した。アルが雪を避けてくれるとはいえ、雪の中を歩き回るのは異様に疲れる。

「なあ、さっきの様子からして、ウィントからは俺らの様子が見えてるんだよな。だったらこれ、勝ち目なくない?」

 確かにそうだ。アルもその点について考えていた。せめて四手に別れられれば……。

「そうか!」

 突然アルが呟いた。

「え、何?」

 アルは三人に作戦を説明した。


「ん? 急に静かになったな……」

 暗い雪の中で、ウィントは目を開けた。雪を手足のように扱えるとはいえ、猛吹雪を維持するには集中力が必要なのだ。先程まで感じていた四人の気配が突然消え、ウィントは吹雪を止めた。

「死んじゃったかな?」

 ウィントは雪上へと顔を出した。そこにはやはりだれもいない――

ガッ‼

「⁉」

 ウィントは驚いて目を見開いた。突如背後から羽交い締めにされたのだ。

「よっしゃ! 捕まえた!」

 そこにいたのはエドだった。いや、みんないる。

「ど、どうして」

「生きてるか? おいアル、説明してやれば?」

 アルは頷き、小さくてもよく通る声で話し始めた。

 アルの作戦はこうだ。まず、ウィントは雪の中でも目が見えているわけではない。見えているのなら、部屋全体を吹雪にする必要はない。ひと固まりになっている四人をピンポイントで狙えばいいだけだ。ならばあの時どうやって足元から現れたのか? 答えは音だ。ウィントは三人の声や足音を聞いて位置を割り出し、攻撃を仕掛けたのだ。

 となれば、対策は簡単だった。音を立てなければいい。四人は息を殺し、ただじっとしていた。案の定、四人が死んだと思ったウィントは吹雪を止め、姿を現した。そこをエドの身体能力で瞬時に近づき、羽交い締めにしたというわけだ。

「そっかあ。僕の負けかあ……」

 落ち込むウィントは同情心を誘ったが、両親のために折れるわけにはいかない。

「ウィント、約束通りお前を見つけた。出口を教えてくれ」

「はあ……仕方ないなあ」

 ウィントは壁の雪を一部溶かし、扉を出現させた。ウィントにしか溶かせない特殊な氷で覆っていたらしい。それも解いてくれた。

「ありがとう、ウィント」

「ふん、さっさと行っちゃえ!」

 ウィントは先生に怒られると言いつつ、ビーの微笑みに頬を赤くしていた。


 扉を出ると、エドは季節が春であったことを思い出した。窓から零れる日差しが心地よい。廊下の先の階段を上がって、二階の部屋へ。今度は躊躇わずに扉を開けた。目の前に広がったのは、大きな滝だった。

「この塔、どんな構造になってるんだ……?」

 この質問には誰も答えられず、とりあえず先に進もうと滝の下をくぐっている時、声がした。

「おやあ? ご客人ですか」

 低く響くような声の主は、滝の向こうから歩いてきた。襟付きシャツにベスト、革靴といった、セミフォーマルな出で立ちである。男は一行の数メートル手前で立ち止まった。

「本日はどのようなご用件で?」

「あ、あの、あなたは」

「失礼、自己紹介が遅れました。私、落鬼フォールと申します」

 やはり、この男も鬼らしい。

「フォールさん、私はビアンカです。こっちはエド、アル、ガジュマル。私たち、ここの科学者に会いに来たんです」

「それは困りましたねえ、綺麗なお嬢さん。先生は今誰にもお会いしたくないと仰せです」

「そこを、なんとか……」

「俺の両親が捕まってるんだ!」

 エドがたまらず叫んだ。

「ああ、君がフェザーストン夫妻のご子息ですか。ですが、どなたもお通しできないんです」

「だったら、無理矢理通るまで!」

「参りましたねえ。お話が通じないとなると……」

 フォールは腹の前で組んでいた手を放し、右手を顔の横まで上げた。

「落ちてもらうしかありません!」

 フォールが指を鳴らした直後、四人の足元が崩れ落ち、真っ逆さまに落ちていった。

「うああああ!」

滝の底は見えない。ナイアガラよりも高いであろう滝をただ落ちていく。と思ったら、突然お腹に衝撃が走って動きが止まった。

「うっ、ゲホッ、ゴホッ……なんだ?」

 見ると、ガジュマルが精一杯枝を伸ばして壁と壁を繋ぎ、三人を引っ掛けてくれていた。

「ガジュマル! ありがとう!」

 ビーは心からの感謝を口にした。血など通っていないはずのガジュマルだが、なんだか照れているように見えたのはエドだけだろうか。

「こっからどうする?」

流石のアルもすぐには答えが浮かばないらしく、沈黙していた。するとガジュマルの本体がムクムクと動き出した。なんと、もう一本の枝が生えてきたのだ。枝は上へ上へと伸びていく。

「そっか、これを登って行けば!」

 フォールのいるところ、ひいては次の扉のところまで行ける!

「ハッハッハ! そうはいきませんとも!」

「⁉」

 頭上からフォールの声が降ってきた。

「ここは私のテリトリー。私はあなた方を自在に〝落とす〟ことができる。その深さは、エンジェル・フォールの三倍! 到底登ってなど来れますまい」

 フォールが再び指を鳴らすと、ガジュマルの枝が刺さっていた壁が崩れ、四人はまたもや滝壺へと落ちていった。

「……さて、そろそろ底へ着いたかな?」

 フォールは余裕の表情を浮かべている。

「まあ、着いたところで生きてやしないか」

 フ、と不敵に微笑んだフォールは、滝に背を向け歩き出そうとした。その時、

「いや、生きてるぜ」

「⁉」

 振り返ると、ずぶ濡れになってはいたが、四人とも何食わぬ顔で立っていた。

「き、貴様ら、どうやって……」

「登ってきたか? 登ってなんかないよ。あんたの言う通り、それは流石に無理だ」

 エドの言葉に、アルが頷く。

「登れないなら、上がればいい」

「上がる……?」

「そう! 私たちは上がってきたの。伸びるガジュマルの枝につかまってね!」

「……」

 そういう手があったか。フォールは内心、舌打ちをした。この私が裏をかかれるとは。ガキだと思って油断したか。

「フ、だから何だと言うんです」

「なに」

「上がってきたのなら、何度でも落とすまで!」

 フォールは再度指を鳴らそうとしたが、その手はすでにガジュマルの枝に捕らえられていた。

「何っ⁉」

 力強く振りほどけない枝に翻弄されていると、エドが抱きついてきた。

「な、何をする!」

「へへ、これなら落とせないだろ?」

「くっ……」

「なあおっさん、あの扉、おっさんにしか開けられなかったりすんのか? だったら開けてほしいんだけど」

「フン、誰が」

「嫌ならおっさんのこと、この滝に落としちゃうよ」

 フォールは目を見開いた。

「上がってくる方法あんの? 動くガジュマルの友達がいるとか」

「く、くそ……」

 フォールはトゲの生えた枝をちらつかされて、ついに扉の暗証番号を教えた。


 三階は、まるで熱帯雨林だった。熱帯にしか生育しない木々が生い茂り、太陽もないのに蒸し暑い。

「こーんにーちはー‼」

 少し歩くと、待ってましたと言わんばかりに元気な少女が飛び出してきた。少女はガジュマルを見て嬉しそうに叫ぶ。

「あ、仲間だあ!」

「仲間?」

 少女はビーの質問にも構わずガジュマルに抱きつき、「ワーイワーイ」などとはしゃいでいる。

「あの、聞いてる? どういうこと?」

「あ、ごめんごめーん」

 少女はテヘッと笑いながら振り向いた。

「アタシ植物見るとテンション上がっちゃうの。だってだーい好きなんだもん♪」

 そう言うと少女は再びガジュマルに抱きつく。三人は呆気にとられていたが、恐らくこの子も扉を守る鬼の一人。とにかく話してみなければ。

「なあ、俺たちここの科学者に用があるんだ。扉開けてくれない?」

「いいよー」

 え、いいの⁉ 三人はまたもや呆気にとられた。

「うん、こんなに素敵な仲間を連れて来てくれたんだもん。サービスサービス~♪」

「えっと、じゃあ」

「ただしぃ」

 少女は微笑みながら続けた。

「この子たちと遊んでくれたらね♡」

 少女が言い終わらないうちに周りの植物たちが動き出し、言い終わると同時に三人に襲い掛かった。それは、ガジュマルも例外ではなかった。

「ガジュマル⁉」

「なんで⁉」

「なんでって、そりゃあ……」

 少女が不気味な笑みを浮かべる。

「すべての植物はぁ、この植鬼サマーちゃんの友達だからね♪」

 手裏剣のように飛んでくる葉を躱すと枝が振り下ろされ、避けたところに木の実が落ちてくる。極めつけはガジュマルの、トゲの生えた枝だ。

「ほらほら、避けてばっかじゃつまんない~。そんなんじゃ、みんな満足しないぞ~?」

 植物から繰り出される激しい攻撃に、三人はひとまず岩の陰に隠れた。

「くそ、どうする?」

「まさかガジュマルまで洗脳されちゃうなんて」

「これじゃあ、下手に反撃できない……」

 アルの拒絶能力で攻撃を防ぐことはできるが、それだけでは〝遊んであげる〟ことにはならないらしい。サマーはこちらからの反撃を待っているのだ。

「どーこ行ったあー? みんな待ってるぞ~」

 遠くからサマーの声が聞こえてくる。

「一体どうしたら――⁉」

(ああ、もう嫌だ)

(やめてくれ、もう疲れた)

(痛いよ、つらいよ……)

「どうしたビー」

 急に黙り込んだビーの顔を覗き込むエド。

「この子たち、嫌がってる……」

「え?」

「そうか、聞こえたんだね」

 アルは瞬時に状況を理解した。

「うん。この攻撃は彼らの意思じゃない。あのサマーって子、植物を無理矢理操っているのよ。友達だなんてよく言ったもんだわ」

「だからガジュマルも!」

「会話できる?」

「ええ。何て伝える?」

「あの子の力の源は何か。僕はあのブレスレットだと思う」

 アルは遠巻きに見えるサマーの右手首を指差した。ブレスレットに埋め込まれた緑色の宝石が煌めいている。

「ブレスレット?」

「うん。ウィントもフォールも、同じデザインのブレスレットをしていた。しかも力を使っている間だけ、宝石が光るんだ」

 エドはアルの冷静さと観察力に舌を巻いた。

「わかったわ、聞いてみる」

(みんな、私はビアンカ。助けてあげるから教えて! サマーはどうやってあなたたちを操ってるの?)

(科学者のせい……)

(あいつが変な腕輪作って彼女に渡した)

(それから彼女、変わった……)

 やはり、力の根源はブレスレットで間違いないようだ。三人は頷いて、岩陰から走り出た。

「あ、やっと出て来たあ。作戦会議は終わったかな~?」

「ああ、充分だ。ありがとな」

「いえいえ、どういたしまして♪ それで、どんな作戦?」

「言うわけないでしょ」

「アハハ! それもそーだね♪ それじゃあ、そろそろ再開しよっか♪」

 サマーが右手をかざすと、止まっていた木々の動きが復活した。三人はアルの力で攻撃を避けつつ、チャンスを待つ。

「アハハ! さっきの威勢はどこかな~。手も足も出てないぞぉ~」

 サマーは少し飽きてきてしまった。

「あーあ、久しぶりのお客さんだから期待してたのにぃ。もっと楽しませてほしかったなぁ。ま、子どもだし仕方ないか~」

「……」

「むう、無視しないでよぉー!」

「……」

 むっか~! 何よこの子たち! サマーはイラついて攻撃を強めるも、アルの能力はビクともせず、更にイラつくだけだった。

「何よ……もういい! 終わらせちゃうもんね!」

 サマーは全神経を一番大きな木に集中させた。あの太い枝を振り下ろせば、あんな子どもたちイチコロよ♪

「ハァァァ――あっ⁉」

 背後からの攻撃に、サマーは対応できなかった。砕け散ったブレスレットがサマーの足元に転がる。

「な……」

 振り返ると、サマーの支配下から逃れたガジュマルがトゲ枝を伸ばしていた。

 三人はサマーの注意を引きつつ、こっそりとガジュマルから遠ざかっていた。そうしてガジュマルが彼女の支配圏内からでるのを待っていたのだが、待つまでもなく彼女が自ら支配を解いてくれたのだった。

「それにしたっておかしいでしょ! なんであの子がブレスレットのこと知ってんのよ!」

「私が教えたからよ」

 ビーが進み出る。

「お、教えた?」

「ええ。私は植物と会話ができる。あなたみたいに操ることはできないけど、気持ちを汲んであげることはできるわ。そうしたら、ここの子たちみんなブレスレットのことを教えれくれたわよ」

「そ、そんな……友達だと思ってたのに……」

 そう、サマーは本気でここの植物を仲間だと思っていたのだ。毎日大切に世話をしている。

「……みんな、こうも言ってたわ。あなたを助けてほしいって」

「え……」

 サマーは物心着いた時から孤児院にいた。人と関わるのが苦手で、いつも一人で過ごしていた。否、植物のおかげで一人ではなかった。科学者に引き取られ、鬼化しても尚、植物と一緒に過ごさせてほしいとねだったくらい、彼らが大好きだった。その気持ちは、彼らも同じだったのだ。

「あなたの先生は、あなたに植物を操る力をくれたかもしれないけど、それは間違いなのよ。彼らは自由に動けなくたって、あなたといられるだけで十分幸せなの」

「う……うあああん」

 サマーは植物に出会って以来、初めて涙を流した。


 四階に近づくにつれて、異様な暑さに包まれた。熱帯雨林の比ではない。

「あっつ……」

「四人目の鬼は、溶岩でも操るのか?」

 冗談半分に言いながら、部屋の扉に手をかけようとしたエドをアルが制す。

「待って、これだけ熱いと火傷するかも」

「ホッホッホ」

 ふと、中から誰かの笑い声が聞こえた。

「大丈夫じゃよ。お入り」

 四人は顔を見合わせ、そっとドアノブに触れた。謎の声の言う通り、扉の温度は至って普通だった。

「主らも気づいておろう。この扉は特殊な力で守られておる。あらゆる能力の影響を受けんようになっとるんじゃ」

 目の前に現れたのは、白く長い髭を蓄えたおじいさんであった。リボンのような物で髭をまとめている。

「あの、一応言いますけど、通してくれませんか?」

「ダメじゃ」

「やっぱり?」

 おじいさんは頷いた。どうやらこれまでの戦いを知っているようで、エド、アル、ビアンカ、ガジュマルの名を呼んでこれまでの労をねぎらってくれた。

「よくぞここまで来たものじゃ。その齢にしては見事じゃの。しかしワシは彼奴らほど主らを楽しませてはやれん」

「どういう意味ですか?」

「一瞬で決着がつくという意味じゃ」

 すごい自信だな、とエドは思った。アルの拒絶能力のことも知っていて言っているのだろうから、その自信は相当なものらしい。

「あの、おじいさんわかってるよね? アルがいる限り、俺らは焼かれたりしないよ?」

 この老人の能力は炎を操ることだろう。何故わかったかというと、部屋中が炎に包まれているからだ。アルの半径五メートルを除いては。

「ホッホッホ。小童の力は素晴らしい。じゃがその力、鬼に効かんということは、鬼の能力にも効かんということじゃ」

 何を言っているのだろう。現在進行形で効いているではないか。

「何を言うとるんじゃという顔じゃな。ほれ、それのことじゃよ」

 老人はアルのポケットを指差した。

「……?」

 アルは不思議に思ってポケットに手を入れ、愕然とした。

「アル、どうした?」

「アル?」

 エドとビーが心配そうにアルのほうを見やる。アルは無言のまま、ポケットの中のものを掴んで外に出した。それはエンハンサー、ではなく、ただの灰だった。

「え⁉」

 ビーも慌てて自身のポケットを確認する。先程サマーにもらったマスターキーもまた、灰と化していた。

「な、どうやって? だって拒絶能力は効いてるのに――」

「効いてやせんよ」

 老人が口を開く。

「これはワシがお主らを避けとるだけじゃ。珍しく骨のある若者と少し話がしたかったからのう」

 老人が「ほ」と掛け声をかけると、ガジュマルの葉が一枚燃えて落ちた。

「きゃあ! ガジュマル!」

 慌てるビーを安心させようと、ガジュマルは小さな枝を振ってみせた。

 これはまずい。エンハンサーのことまで見破られていた。こうなると、アルの能力は人間にしか効果がない。この老人の気分次第で、今すぐにでも全員灰にされてしまう。

「安心するがよい。諦めて帰ると言うなら、今すぐ灰にしたりはせん」

「……みんな、帰ってくれ」

 エドの呟きに、三人は驚いてエドの顔を見た。

「ここにいるのは俺の両親だ。みんなには関係ない」

「何言ってるのエド! 私たちだけ逃げるなんて、できるわけないじゃない!」

「……科学者に会って、鬼化を解く方法を訊き出せば世界は元に戻る。またパズルができる」

 エドは食ってかかった。

「けど、もうどうしようもないじゃんか! 俺は父さんと母さんの近くで死ねたら本望なんだ。みんなはそうじゃないだろ。もうほっといてくれ!」

「エド……」

 本心では二人の言葉が嬉しくてたまらなかったが、ここは突っぱねるしかない。みんなを巻き込むわけにはいかないのだ。世界を元に戻すのだって、賢いアルがいればきっと何とかなる。別の方法を見つけるはずだ。

「結論はでたかね?」

 老人は訊ねた。四人とも、何も答えられなかった。

「ホッホッホ。好きにするといい。そろそろ時間じゃ。一人ずつゆくぞ」

 老人が動こうとしたその瞬間――

 パリン!

「いてっ!」

 窓が割れる音がしたかと思うと、何か硬いものがエドの後頭部に当たって落ちた。アルが拾ってみると、紙切れに包まれた石だった。

「なんだそれ? 何でそんなもんが……」

 次の瞬間、

「みんな、外へ出て!」

アルが珍しく叫んだ。戸惑いつつ、全員が部屋の外に出て扉を閉めた。


「ホッホッホ。何を話しとるんかの」

 老人は楽しくて仕方がない。四人との会話で自分も若返った気分だった。

「お、そろそろかの」

 老人はカメラを切った。これで部屋の外の様子を観察していたのだ。ちなみに音声までは入っていない。四人は話し合いを終え、再び扉に向き合った。

 ギィィィ――。

ゆっくりと扉が開かれる。

「……お待たせしました」

「待っておったぞ小童よ。拒絶能力とやらの裏技でも思いついたかの?」

「いえ、思いついたのは――」

 老人が瞬きのため目を閉じ、再び開くと、眼前にはエドの顔があった。

「⁉」

「彼の裏技です」

 老人が反応する間もなく、エドは老人の横っ面を殴りつけた。


「熱?」

 ビーの訝しげな声に、アルは頷く。飛んできた石を包んでいた紙切れには、『熱だ!』とだけ書かれていた。それを見た瞬間、アルは老人の能力についてのある誤解に気がついたと言う。

「彼の能力は『炎を操ること』じゃなく、『熱を操ること』なんだ」

 エドの頭には?が浮かぶ。ビーも同様だ。

「だったら、どうなんだ?」

「彼は炎を生み出すために、熱を使って部屋の中にある対象物の温度を上げているんだよ。それには時間がかかる。さっき僕らをすぐに灰にしなかったのは温情でも何でもなく、時間が必要だったからだ」

「なるほど」

「扉を開けた時から炎があったから気づかなかった。たぶんこのことに気づかせないための作戦の一つだったんだよ」

「けど、わかったところでどうすりゃいいんだ?」

 アルはニッと笑って言った。

「考えがある」


 殴られて吹っ飛んだ老人は、壁に叩きつけられた。およそ子どもとは思えない腕力に驚愕する。

「……ホッホッホ。素早い子なのはわかっていたが、力も強いのかね」

「あんたのおかげだよ」

 よろよろと立ち上がった老人に、エドは答えた。

「どういう意味じゃ?」

「あんたの力、ちょいと借りたのさ」

 此奴ら、ワシの真の能力に気づいたか――。老人は悟ったが、時すでに遅し。

「そう、あんたの生み出す熱エネルギーを俺が吸収して、筋力として放出した。だからこんなに――」

 エドは瞬く間に老人の前に移動し、蹴りをお見舞いした。

「速く強い攻撃ができる」

 老人は再び吹っ飛んで、床に転がった。

「ゲホッ、ゴホッ!」

「なあじいさん、俺ホントは人殴るのとか好きじゃないんだ。あの扉の開け方、教えてくんない?」

「……ハァ。ワシの負けじゃの」

 老人は術を解いて、部屋中の炎を消した。すると次の階への扉が顔を出した。

「合言葉はワシの名。『熱鬼ハル』じゃ」


 最上階の壁は、数々の機械で埋め尽くされていた。奥へ進むと、特別巨大なモニターの前に一人の男が座っている。

「あの」

 反応はない。

「あの、あなたがクルーさんですか?」

 キーボードを打つ手が止まった。

「キラ・クルーさんですよね? 僕の両親を返してください!」

「……」

 少しして、男は振り返った。

「君、どこで私の名を?」

「え、えっと、キースという名の少年に聞いたんです」

「キース……」

 心当たりがないのか、キラは少し考える素振りを見せた。

「あの、それより、僕の両親を」

「ご両親は無事、大事な道具だからね。返すわけにはいかない、大事な道具だからね」

 それだけ言うと、男はまたモニターのほうに向き直った。

「……人を道具呼ばわりですか」

「ああ、失礼だったかな? じゃあ君らの不法侵入を許すから、それでチャラにしてくれよ」

 ふざけているんだろうか? 少なくとも、真剣に取り合ってくれているとは思えなかった。カチンときたエドは一発ぶんなぐってやろうと近づいた。が、途中で見えない壁のような物に阻まれてしまった。

「エド! 大丈夫?」

 思い切り顔面からぶつかったエドを心配して、三人が駆け寄る。幸い怪我はなかった。

「おや、もう少し賢いと思っていたが……思い違いだったかな?」

 キラが振り返って言う。

「私が何の策もなく君らをこの部屋へ入れると思うのかね? あんな部下たちだけで身を守っていると、本当に?」

 この男、心から他人を道具としか思っていないようだ。

 防御壁は固く、エドの腕力をもってしても破壊できそうにない。キラは万策尽きた一行を冷ややかに見下ろすと、再度背を向けてキーボードを打ち始めた。

「くそっ、父さんと母さんを返せ! 今すぐ鬼化を止めろ!」

「フン、うるさいハエだなあ……」

 キラはリモコンを操作して、もう一枚の防御壁を出した。これでだいぶ音声も遮断され――

ドカーーーン‼

異常な衝撃音が鳴ったかと思うと、バリバリと防御壁が崩れていった。キラ自ら開発した、ダイヤモンドよりも硬い合成物質でできた防御壁を破るとは、只事ではない。

「な、こんなガキどもに――」

「やっと会えたな、キラ」

「⁉」

 それは聞き覚えのある声だった。PC越しの会話、お互い合成音声にイニシャルのみの画面だったが、決して忘れられない相手。

「……ああ、やっと会えたな、トーヴィー」

 煙の中から現れたのは、キースだった。

「キース⁉ どうやってここに……ていうか、トーヴィーって?」

 困惑するエドらに、トーヴィーは首の変成器を切って、爽やかな笑顔を見せた。

「黙っていてすまない。キースは偽名だ。本名はトーヴィー・ミーハン。こいつと同じ科学者さ」


 トーヴィー・ミーハンは、天才科学者として幼い頃から有名だった。才能が花開いたのは、生後三ヶ月のこと。おしゃぶりとよだれ掛けでミニ飛行機を作って遊んでいたらしい。

 トーヴィーの噂は瞬く間に世界中に広まり、両親は毎日パパラッチに追われるようになった。そのストレスから母親が鬱を発症。父親は妻の世話をするため、泣く泣くトーヴィーを開業前の孤児院へ入れた。院長は優秀な赤子を喜んで引き取った。その実彼は政府の人間で、トーヴィーのような優秀な人材を育てることを目的とした孤児院にしようとしていたのだ。トーヴィーは文句なしのモデルケースとなった。開業後も全世界から抜きんでている子どもを集めては、学校兼孤児院として生活させた。それが、アルが通っていた施設である。

「あなたが……」

 アルはもちろん施設の成り立ちを知っていたが、モデルケースとなった彼のことは「T」というイニシャルでしか知らなかった。

〝天才Tを目指して〟

〝Tの後を継ぐ者〟

と書かれた掲示物が施設中にあるのを、エドも見たことがある。

「流石だな、トーヴィー。私の防御壁をいとも簡単に破るとは」

「簡単じゃないよキラ。これを開発するのに一週間もかかった。おかげでここまで鬼化が進んでしまったじゃないか」

 トーヴィーは肩に担いでいた大砲を下ろしながら言った。それを聞いて、キラは苦虫を嚙み潰したような顔になる。キラの防御壁は開発に三年の月日を要しているのだ。

「……いや、やはり流石だよ。鬼化の件を知ってすぐに、今日こうなることを読んで、そんなものを作ったのだろう」

「まあ、そうだね」

 トーヴィーは大砲をエドに預けて防御壁の向こう側へ立ち入った。

「キラ、君の目的は、この僕を超えることだろ。そんなくだらないことのために他人を巻き込み過ぎだ」

 キラは激怒した。

「君を超えるため? 笑わせるな! 君など私の眼中にない!」

「ふーん、なら何が目的なのさ」

「……いいだろう、教えてやる」

 キラはより強い人類を作る必要性を感じていた。その背景には、セクシャルマイノリティに対する賛成意見が増加の一途をたどっていることが挙げられる。キラは彼らを「心と体の弱さからくる迷える存在」と捉え、否定的な立場にいた。そこで、エドの両親の能力・理性操作を使って人と鬼との境界を壊し、理性を保ったまま強靭な肉体を持てる人間を作り、新世界を築こうと考えた。(その根本には無論トーヴィーへの対抗意識があるのだが、本人は無意識のうちに否定している。)

 無茶な研究を重ねたキラは学界から追放されたものの、諦めることはしなかった。むしろ反対する人間が離れていって都合がいいとさえ思った。

「わかるか、トーヴィー。これは私にしかできない、新世界創造の足掛かりたる重大な研究なのだよ。私は正義だ!」

 トーヴィーは話し終えたキラをしばらく黙って見つめ、口を開いた。

「……いいや、違うね」

 思わずエドも頷いた。

「君の仮説は間違いだ」

「フン、何を根拠に――」

「知っての通り、僕はアセクシャルだ」

 突然のカミングアウト。キラを除く全員がトーヴィーを凝視した。

「それが何だというんだ」

「おかげで性愛というものに興味が湧いてね。この歳で破廉恥だ、なんて言わないでくれよ」

 そういえば、トーヴィーはいくつなんだ?

「調査してみた。マジョリティとマイノリティの違いは何か。結果から言うと、彼らの間に力学的な差は見られなかったよ。つまりメンタルを鍛えようが、フィジカルを鍛えようが、ヒトの性的指向は変わらない」

「な、なに……」

 明らかに狼狽するキラをよそに、トーヴィーは淡々と続ける。

「更には、ある集団からマイノリティを除き続けた結果、その集団は突発的な災害に適応しきれず絶滅してしまうという研究結果もある。このことから、僕はこういう結論にたどり着いた。『生物は多様性を受け入れることで自らを強化する』」

「……」

 キラはもはや顔面蒼白だった。

「わかったかい? 君のやっていることは見当違いもいいとこなんだって」

 キラはついに膝から崩れ落ちた。

「ああ、わかったとも、トーヴィー。悔しいが、今回もまた敗北を認めざるを得ない……」

「あの、俺の両親は……」

「ああ、そのドアの向こうだ」

 指されたドアを開けると、二人の男女と目が合った。

「エド!」

「エドヴァルド……!」

 即座に駆け寄ってくる母、目尻に涙を浮かべる父。エドは堪えていたものが一気に溢れ出す感覚を覚えた。

「母さん、父さん!」

 親子の再会を目の当たりにしたアルとビーは、少し寂しい気持ちになった。


 かくして、世界に平和が戻った。鬼化した人々も、トーヴィーの開発した解毒薬によって徐々に人に戻っていった。

 エドが大きくなったら理性を強めてゲイを治そうと計画していた父は考えを改め、エドの個性を受け入れた。アルはトーヴィーの実力に感銘を受け師事することに。アルヴィン・モスの名が世界に轟く日はきっとそう遠くないだろう。ビアンカは、今回の事件で親を失った子どもたちを支援する活動を始めた。

 「フラワーショップ シーウェル」のショウウィンドウでは、今日も非売品のガジュマルが静かに葉を揺らしている。

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